当たり前が火傷する会話


 唇を落された額がいつまでも熱を持っているみたいに、昼終わりから始まる授業中から今に至る放課後も先生の話しもどこ吹く風で、意識はターコイズブルー色の男に向けられてた。

「ユウー?」
「監督生どうしたんだ?」
「…………――え? あ、何?」

 ひらひらと目の前でエースの手が揺れていることに気が付いて、パッと顔をあげると心配そうに顔を覗いているデュースと目が合った。鮮やかなピーコックグリーンが歪められると、すぐさまテラコッタの髪が視界に入り目元の赤いハートが強烈なまでに視線を奪った。

「心此処に在らずって感じだけど、なんかあった?」
「んー、と。あった、かな」
「何があったんだ?」

 心配です。と顔面に書いているデュースを前に、ユウは間延びした返事で言葉を濁して返事をすると、エースとデュースの眉間に皺が寄り、グリムはこの話題に興味がなかったのか、まだ帰りそうにもない雰囲気を察し机の上で丸まっている。

 心配をしてくれるのは大変ありがたいんだけど、これは、誰かに相談出来るような内容でもないような……。あ、ダジャレになっちゃった。いやいや、そんなことはどうでもよくって。――そもそも何で相談という言葉がでてくるの。私は悩んでいるの? 何に? わからない。困っているの? 何に? やっぱりわからない。
 ただ、ずっと気になってはいる。ジェイド先輩のあの言葉の意味も、行動の意味も。

「……私って優しくないのかな?」
「優しいと思うぞ。それに頼りになる奴だし、根性もある!」
「まぁ、イイ性格してるよな。平気で人の心抉ってくるし」
「抉られるようなことをしてるからじゃん」
「そういうところよくない!」

 エースの人差し指を向けられながらも考えることは、やはりジェイドのことだった。
 どうしてわざわざお優しいと言ったのだろうか。

 ――どうして言いながら傷付いた表情を浮かべていたのだろう。

 一体いつの間に傷付けてしまっていたのだろう。幾ら考えても答えなんて出てくる気配もなく、漠然と時間だけが過ぎていきそうでユウは両掌を勢いよく合わせて軽い音を立てた。

「止め!」
「なにを?」
「何がだ?」
「帰るのか?」

 唐突の宣言を受けた三人の反応は二分化されていたが、そんなことを気にもせずユウは鞄を持ち上げて帰る為に教室を後にした。その後ろを付いて来る二人は何事かと聞いてくるが、何もわかっていない今、話せることなんて何もないと無視を決め込みにっこりと笑えば、何かを察したのかそれ以上追求してくることはなく、いつものくだらない話が始まった。

 最初こそユウが先頭きって歩いていたのに、気が付けばデュースとエースの方が前を歩いている。必死に歩かないといけない程二人のスピードが速いわけではないけれど、一瞬でも立ち止まってしまえば二人はそのまま歩いて行ってしまいそうだ。だなんて考えてふと悪戯心に火が付いた。
 うん。このまま立ち止まってしまおうか。
 目の前で楽しそうに話す二人の背中を見て、足を動きを止めた直後二人が同時に振り返った。

「監督生はどう思う?」
「ユウもあの映画面白いって言ってたよな?!」

 あまりの眩しさに息を飲んだ。
 美しい光景だと、そう思ったのだ。
 
 暮れなずむの空から射す夕陽を遮る高い建物はあまりなかったから。後光が射しているように見えたから、だから美しく見えた。そんな言い訳を思わず並べてしまうくらいに、一瞬の景色が目に焼き付いた。

「――なんの映画の話しだっけ?」
「だーかーらー、デカい魔獣に取り込まれた女が胃の中で宝物を見つけて……ってヤツだよ! シリーズ何作か一緒に見たじゃん」
「あー、あのパニックサイコホラーものだっけ? 面白い……うーん。好きだって人の感性を疑いはするかな」
「やっぱりユウもそう思うだろ!」
「えー、あのキャシーの泣き顔とか腹抱えるくらいウケんだけど」

 やべー奴だよお前は。と舌の根元まで出かかった言葉をどうにかこうにか飲み込んでにっこりと笑みを浮かべた。元々思っていることを表面で隠すのは得意だし、それが自然と身に着く国で暮らしていたんだから、息をするように表面を取り繕うことが出来る。

「エースの感性ヤバ」

 でもどうやら、このツイステッドワンダーランドに来てからは違うらしい。

 ――人が群れを成していると表現しても差し支えがないほどに混みあった鏡舎の前で別れた。何故かグリムとも別れた。
 当然、相棒とオンボロ寮に帰るつもりでいたユウは、エースたちと一緒に鏡舎の中に入って行くグリムの揺れる三叉の尻尾に小首を傾げれば、なんてことはないとシアンの丸い目がユウを見上げた。

「今日はエースたちとゲームする約束だったんだゾ」
「え、聞いてないけど……。まぁいいか。ちゃんと課題終わらせるんだよ」
「わかってるんだゾ!」

 最後の台詞はグリム以外の二人にも言ったつもりだったのだが、返事をしたのはグリムだけで、自分たちにも言われているなんて思ってもいないのだろう。しかも、返事をしてくれたグリムも多分、やるつもりは無いけどわかったと言っておこうという、大変ずる賢くも馬鹿らしい返事に内心溜息を吐いて漸く別れた。

 魔法薬学室と植物園の間の道を歩いてオンボロ寮に向かわないといけない。これ以外の道はなく、本校舎まではなかなかの道のりだが、下校中、しかも一人で歩くとなるとかなりの気分転換になって丁度いい距離感なのだ。
 たまには一人になってゆっくりと考えたいことだってある。例えばあの学園長が何処まで元の世界への帰り方を調べているのだろうか、とか、グリムのあの性格はもう少し如何にかならないものか、とか、占星術の授業はもう少しわかり易くならないだろうか、とか。
 別に一人の時じゃなくても考えられそうなものばかりだが、誰かが側にいては中々考えられそうにないものばかりだ。
 とはいえ、今日の考え事といえば間違いなくジェイドのことで、考えないようにしていても、考えてしまう。
 だって額にキスされたことなんてない。
 手っ取り早く本人にあの行動の意味を聞いた方が良いのだろうけど、あんな表情をもう一度させたくはない。させるくらいならわからないままの方がずっといい。

 それが向き合うことからの逃げだとしても。

 とはいえ、わからないものをそのまま放置するのは大変に気分が悪い。相手に迷惑はかけたくないけど、理由ははっきりさせたいタイプなのだから仕方がない。
 自分も相手もすっきりさせる解決方法はないものか。と、一人、植物園と魔法薬学室を背にを歩いていれば、ガサッ、と何かが揺れた音がした。
 咄嗟に振り返れば草垣が揺れていて、思わず足を半歩後ろに引いて鞄を胸の前できつく抱き締める。

 なんかいる。

 ガサガサと音を立てる草垣に注視していれば、ターコイズブルーの頭が草垣から生えた。
 この世界には変わった髪色をした生徒は沢山いるが、ターコイズブルーの髪は知っている中でたった二人しかいない。ジェイドかフロイドだけだ。
 もしこれでジェイドだった場合、どういう顔をして前に現れればいいんだろうか。
 さっきはキスをどうもありがとう? これでは何か嫌味っぽく聞こえてしまう。キスのことを触れない方がいいのかな。でも、あれは結構な一大事だったから触れないのはそれはそれで変な気がする。いや、そもそもなんでされた側が気を使わないといけないんだ? 寧ろ気を使うべきは向こうだよね?
 兎に角、此処は息を顰めて早々に離れた方が何かと良さそうだ。

 ユウがオンボロ寮に帰るべく歩き出した直後、耳が慣れ親しんだ声で呼び止められた。
 呼び止められたら振り向くしかない。ユウは短く息を吐いて草垣の方へ振り返った。

「監督生さん?」
「――……ジェイド先輩」
「今お帰りですか?」
「はい。先輩は何をしているんですか? そんな草垣で」

 思ったよりもスムーズに繋がる会話に、ユウは表に出さないものの混乱していた。
 まるで昼間の出来事なんて何もなかったかのようなその振る舞いは、あれは何か魔法かなんかで見せられた白昼夢だったのかな、とでも思ってしまう程で。
 いや、もしかしたらあれは夢だったのかもしれない。だって、あんなの――。

「少し用事がありまして」
「そうですか。お手伝いしましょうか?」
「いえ……意外ですね」
「手伝うのがですか?」

 手伝おうかと声をかけて意外だと言われるなんて心外だ。ツイステッドワンダーランドとは大きく言えないが、ナイトレイブンガレッジの生徒よりずっと優しい人間だと自負していたのに。

 少し膨れてジェイドを見れば、困ったように「違いますよ」と笑った。

「昼間のことがあったのに、手伝おうなんて言ってくれると思わなかったので」
「あれやっぱり夢とかじゃないですよね? 先輩の態度が余りにもいつも通りだったので夢だったのかもって思っていたところです」
「監督生さんは夢の方が良かったのでしょうか?」

 見定めるような視線は心臓を貫くかのように真っ直ぐで、一瞬でも目を逸らしてしまえば全てが変わってしまいそうに思える程に強い。

 夢の方が良かったのか。そうじゃない方が良かったのかと聞かれれば、正直に言ってわからないが正解だと思う。
 額とはいえキスをされて嫌だっただけじゃない。と、思う。あからさまな不快感があった訳じゃない。疑問には思っているけど。

「夢、の方が良かったんでしょうか?」

 首を傾げて問えば、ジェイドはユウとは反対方向に小首を傾げた。

「良くなかった?」
「良くなかったわけではない、です。多分」
「多分」
「多分。嬉しかったわけでもないですけど」

 お互いに小首を傾げたまま会話を進めている姿はなんてシュールなのだろうか。

 そう。嬉しいわけではなかった。あのイケメンにキスをしてもらっちゃった! ラッキー! なんて感情は一ミリも湧いて来ない。だからと言って、何あのイケメン。勝手にキスして来るとか気持ちが悪い。という感情だって湧いて来ない。
 それを良かった。良くない。に当てはめようとするから正解が出て来ない訳で。

「心配、したんだと思います」
「僕を、ですか?」
「それ以外に何が? 放っておけない、と言うべきなのか。兎に角、いつもと違う様子だったので心配をしたんだと思います」

 改めて当時――そこまで時間が経っているわけではないが、便宜上当時と言った方がしっくりくる。当時の心境を振り返るというのは中々に骨の折れる作業だ。その時芽生えた感情を一つ一つ繊細に覚えていたら、記憶容量が幾らあっても足りなくなってしまう。
 だから印象に残った一番強い感情だけピックアップすると、心配が浮かびあがる。

「私は先輩を心配したのですが、先輩の口からなんであんな行動をしたのか聞くつもりはありません」
「どうして? 僕のことは気になりませんか?」
「先輩のことって言うよりは、あの行動の意味は気になりますけど、でも、あんな先輩の顔をもう一度見るくらいなら、聞かない方が良いと思ったので」

 紛れもない本心だ。泣くのを我慢しているような、失う恐怖を知っているようなそんな顔をもう一度みたいなんて、間違っても思いはしない。

「では、今夜、あのキスの意味を教えに行きますね」
「……はい」
「そのついでに映画でも見ましょうか。何が良いでしょう……嗚呼、あの魔獣に飲み込まれた女性が胃の中で大立ち回りする映画なんてどうでしょう」
「先輩あの映画好きなんですか?」
「割と気に入ってますよ。主役のキャシーさんのあの咽び泣くシーンなんて面白くて繰り返し見てしまいますね」

 此処にもいた。感性の狂っている奴が。