明日を恐れるキョウチクトウを夢見て


「ホロスコープ上に、お前たちが生まれた日の星の配置を浮かび上がらせ、今日の星の位置を重なるように」

 癖が付いてしまっている眉間の皺は、いつ見ても山脈のように深い。上品な話し口に、育ちの良さを窺える。

「必ず頂点は太陽になるように調整するのがコツだ」

 真っ白な紙の上に、ユウが目にしたことがない文字で円が描かれている。その円の上を、うっすらと青みかかった半透明の半球が覆っていて、半球の頂点は淡いオレンジ色の光を放っている光があった。格子状の薄い線が半球に描かれていて、真ん中の光を中心に幾つかの光が小さく輝いている。

「いいか。占星術とは己の吉凶を占うのは勿論、他人、大きくは国の将来を占うことが出来る」
「オニャァアアヴァァァア」
「今のお前たちには、今日の運勢すら正確に占うことも難しいだろうが、いずれは数年後の未来をも占えるようになる」

 トレインが掌を薄っすらと青みがかった半球に翳せば、動きに合わせるかのように、新しい光が加わった。

「最初の手順として、ホロスコープに自分の生まれた星の位置を示すのはどうしてだ? アイザック・グラッド」
「はい。ホロスコープを描いている用紙に、自分の生年月日を示し、直接固定することで占いの精度を高めることが出来るからです」
「よろしい。では次だ。――このように今日の星を、己の生まれた星の上に重ねる。これは何の属性の魔法を使うのか。グリム」
「んなッ!!」

 腹が膨れない授業は眠くなると日頃から言っているグリムには、占星術の授業は些か厳しいらしく、淡々と語られるトレインの話しに首が船を漕いでいた。
 半分夢の中に旅立っていたグリムが今の状況についていけるわけがない。ユウは咄嗟にグリムのノートに、βと書いて答えを与えれば、グリムは「でかした子分!」と上機嫌に笑ってみせた。

「あるふぁなんだゾ」
「なんでよ!」
「……はぁ。基礎からやり直すように。監督生、代わりに答えなさい」
「はい。人属性、β波です」

 がっくりと肩を落として答えるユウの後ろ姿は疲労感が漂っている。

「グリムこんなこともわかんねぇのかよ」
「ちゃんと勉強しないとダメだぞ。ユウにまで迷惑がかかるんだからな」
「してるんだゾ! ……テスト前とかに……」

 テスト前以外にも勉強をしていれば、こんな簡単な問題を答えることが出来るのに。この小さな魔獣は兎に角苦労を嫌がる傾向が強い。そんなグリムを諫めることしか出来ないのだから、猛獣使いなんて夢のまた夢の話しなのかもしれない。

 どうしたらグリムが日頃から勉強をするようになってくれるだろうか。まるで保護者のような考え事をしながら、机の上に広がっている十二宮が描かれたホロスコープを見下ろしていれば、トレインがルチウスを腕に抱いたままユウに近付いた。

「監督生には違う占星術を用意しておいた。やり方を簡単に説明すれば、この七つの石をホロスコープの上に投げ捨てればいい」
「紙から出てしまっても大丈夫なんですか?」
「あぁ。やってみなさい」

 色の付いた色んな形のガラス玉をトレインから受け取ったユウは、サイコロを転がす要領で、掌の中で軽くガラス玉を振ってからホロスコープの上に投げ出した。
 コロン、カロンと軽い音を鳴らしながら散らばっていくガラス玉は、二つはホロスコープが描かれた用紙の上から飛び出て、一つは円の外に、残りの四つは円内に散らばった。
 これが何を指しているのか、半分程度にしか理解が出来ないユウは、大まかにわかるところから考えてみることにした。

 用紙から外れたガラス玉は十二宮のどれにも属さないことを意味している。つまり役割がない。もしくは予測出来ない出来事を指している。トレイン曰、魔力を持ち、占星術を理解し運用している魔導士がやると、先ずホロスコープが描かれている用紙から出ないそうだ。

「ユウさー。運悪くない?」
「あんまりよろしくない結果なのは、僕でもわかったぞ」
「だよねぇ……」

 二つは双児宮ゲミニ
 一つは白羊宮アリエス
 一つは人馬宮サギッタリウス
 それぞれの枠の中にはまった。
 ホロスコープの枠の上で止まるというのは反転を意味している。双児宮は“行動”“トラブル”“移ろい”。白羊宮は“活力”“自己意志”“自己意思”。人馬宮は“明朗”“好奇心”“自己発現”。

 ぱっと見でもわかる程に結果が悪い。何よりも双児宮にガラス玉が二つも入っていることが縁起が悪いように思える。

 ユウは授業で習った範囲でしか、結果を読み解くことが出来ない。その結果としての自己解釈は――好奇心で動いた末、トラブルに巻き込まれる。と言ったものだが、ホロスコープの上のガラス玉の広がりを見たトレインは、「ふむ」と呟くと、反転を意味しているガラス玉を指差した。

「これは、性別が反転している。だから、外側からやって来る事情に対しての結果だ」
「……どちらにしろ、あまり良い結果ではないですよね」
「そうだな……すぐにでも、この占いの結果が出るんじゃないか? ――他人の好奇心に付き合わされてトラブルに巻き込まれる。そんなところだろう」
「それは――」

 どういう意味ですか? そう、ユウがトレインに訪ねるよりも先に教室の窓ガラスが音を立てて割れた。何事があったのだろうか。と反応する身体に対して、すぐさま落ち着けと脳が指示を出す。あれは学園長が入って来た音だと。

「お邪魔しますよ」

 どうして素直に出入り口から入ってくることが出来ないのだろうか。とユウは頭が痛くなるが、此処の生徒はそうでもないらしく、見学にきた学園長に対し、友好的な態度を見せる生徒もいれば、あからさまにテンションの落ちる生徒もいる中で、深々と溜息を吐いて頭に指先を当てていた。
 あ……、トレイン先生もこっち側だ。なんてユウが安心しきっていれば、コツコツと軽い靴音が近付いて来た。

「監督生くん」

 何を考えているのか全く分からないペストマスクのような仮面をつけた男が、いつもの、何かを頼む時のように名前を呼ぶ。
 これは何かしらの事件に巻き込まれる。そんな直感がユウの肩を重くさせた。

「………………はい」
「なんですか、今の長い間は。まぁいいです」

 返事をしたくない。でも、返事をしないといけない。感情と理性の狭間に立たされたユウは、ギリギリまで考えた末に渋々返事をしたのだったが、クローリーにとってその間は、余りにも長い沈黙だった。

「この紙にやって欲しいことが書いてあります。監督生くんが一人で出来ないようであれば、誰かに手伝ってもらって大丈夫です。生徒との友情を深める機会を与えるなんて、私、優しすぎませんか?」
「友情なら間に合ってるので大丈夫です。それより、対価はなんですか?」
「……あなた、あのジェイド・リーチくんと一緒にいすぎて、商売根性でも移ってしまいました……?」
「そんなわけないじゃないですか。それで。対価は?」
「お小遣いをあげましょう。お昼ご飯代を。あぁ、そんなに喜んでくれなくてもいいんですよ。私、優しいので」

 まるでユウが学園長に向かって何度も頭を下げて、感謝の言葉を口にしているかのような言いぐさだが、実際のところ、ユウは感情の死んだ目でクローリーを見つめている。
 紙には“月光の採取”、“深海の真珠”とだけ書いてあるが、月光の採取なんて聞いたことがない。深海の真珠ってなんだ。サムさんのところにお使いにいけばいいの? 出来れば自分て行って欲しい。

 ノートの切れ端に書かれたメモには詳細なんてものは書かれていない。

「これ、どうやって――」
「あぁそうでした。深海の真珠はこの薬を飲んでから海の魔女に会いに行ってください。本当はこの薬高いのでお金を払って欲しい所ですが、今回は私のお使いなので、タダで差し上げます」
「……人の話を聞かなすぎなのでは?」
「では。授業に励んでください」

 まるで嵐が過ぎ去ったかのような静けさだけを残して学園長が姿を消した。ご丁寧に壊した窓ガラスを魔法で直していくのだから、やはり出入り口から入って来た方が何かと経済的に思える。
 そんなことをあのペストマスク仮面に言ったところで、納得してくれなさそうだが。

「海の魔女……ウルスラか」
「ウルスラ?」
「謎の多い海の魔女の名前だ……陸嫌いは治ったのだろうか」

 トレインが何かを考え込むように小声で呟いた声は、静けさの中に半分解けてゆき、ユウはその全てを聞き取ることは出来なかった。

 それからほどなくして授業が終了し、疲れたと気だるげな声を背景に教室から出て行けば、隣を歩いているエースが「そう言えば」と声を上げた。

「お前の占い当たってたな」
「そう言われればそうだな」
「うーん。あのお使い程度で済んだって思えば、まだ上々の結果なのかな」

 あのおつかいが、学園長の興味であれば、本当に人使いが荒い上に、恩着せがましいとしか言いようがないが、今のところ学園長の心許ない庇護下の中でしか生きていけないのだから、仕方がない。帰るまでの辛抱だと思えば良いだけだ。あの腐れ烏め。

「月光と深海の真珠ってどういう組み合わせなんだろうね」
「何かの素材だろー? 何かは知らねぇけどさ」
「月光ってどうやって採取したらいいんだ? 光の閉じ込め方なんて聞いたことがないぞ」
「確かに……」

 月光というモノが文字通りのものであるのなら。どうやって採取すればいいのだろうか。生まれながら魔法に触れてきた二人がわからないと言っているのに、異世界から来たユウに月光の採取方法なんて思いつくわけもなく、学園長から渡された紙を片手に途方に暮れた。

「あれは? 先輩に聞いてみたらいいじゃん」
「そうだな! 先輩なら何か知っているかもしれない。リドル寮長に聞いてみるのはどうだ?」
「そうだね。そうしてみるよ。ありがとう二人とも」

 次の授業まであと少し時間がある。リドルがいる教室は現在地からも近く、スマホでメッセージを送るよりは直接会いに行った方が早い。ユウはメモ紙を片手に二年E組に向かって歩き出した。

「リドル先輩は……っと、あそこにいた」
「げ、寮長休み時間でも教科書開いてんのかよ……引くわー」
「勉強のし過ぎで頭とか痛くなったりしないんだろうか」
「それ、普段勉強していない人の台詞だよね」
「うっ!」

 教室の扉に貼り付いて中を覗いている三人の視界の先には、背筋を伸ばして教科書を読んでいるリドルの姿がある。恐らく予習、ないし復習をしているのだろうが、休み時間を休み時間として活用していない生徒を見るのが初めての三人は、リドルに話しかけて良いのかもわからず、取り敢えず、話しかけるタイミングを待つように、リドルの動向を見守ることにするも、全く持って話かける隙を見せてはくれない。
 これでは次の授業に遅れてしまうと内心溜息を吐いたユウの顔に影が出来た。

「誰かをお探しですか?」
「ヒュエ」
「うわッ!」
「何事?!」

 突然聞こえて来た声に驚いた三人は、話しかけて来た男から飛びのくように足を一歩後ろに下げた。

「そんな驚かれなくてもいいんですよ」

 にっこりといつもの笑みを浮かべるジェイドに、三人の心境は一つになった。

 ――気配もなく近付いて来られたら、誰でも命の危機を感じるだろッ!

 それを口に出そうものなら、何を言われるか分かったものではない。ジェイドお気に入りのユウは兎も角、エースとデュースは気まずそうにヘテロクロミアから視線を逸らした。

「それで?」
「あ、リドル先輩に用があったんですけど、集中しているので、話しかけるタイミングがどうも掴めなくて」
「ああ。リドルさんはいつもああですよ。授業でわからないことがあるのなら、今晩、僕に聞いてくださればいいのに」
「授業ではなくて、学園長からのおつかいなんです」

 さり気なく晩にユウと会っているという情報だけを周りに残していくジェイド。ユウは全く気が付いていないが、エースはその意味に気が付き、げんなりと表情を歪ませた。

 当たり前のように出てくる今晩という単語。何度も同じような時間帯に会っていないと出て来ないその言い回しは、間違いなくオンボロ寮の監督生はオクタヴィネル副寮長のお手付きなのだと知らしめている。
 それがわからないのは、よっぽど鈍い奴しかいない。

 ――そう例えば……。

「ユウはジェイド先輩に勉強を見てもらっていたんだな!」
「こんなところで話し込んではいけないよ。動線の邪魔になってしまうだろう」

 深くものを考えない奴とか、人の感情に鈍感な奴しかいないだろう。丁度デュースやリドルのような。

 騒がしい校内にエースの溜息は掻き消され、空気に解けていった。