それは、私たちの愉に弔う


 昼休みが終わった後の授業一発目はクルーウェルの授業である魔法薬学だった。
 今回作るのは風邪薬だ。鼻やのど、熱と万能に使えるらしい。そんな万能風邪薬が授業で作れるなんて有難い。とはいえユウは魔法が全く使えない為、グリムが頼みの綱ではあるのだが。

「この風邪薬の材料なんだ? ジョン・ドゥ」
「ぶどうの葉とレモンの皮、グリンディローの吐き水にトルケーロの樹液です」
「グッドボーイ。では調理方法を説明する。一度しか言わないから良く聞いておくように。そこの駄犬! 静かにしろ!」

 黒板に教鞭を叩きつけたクルーウェルは、教科書を片手にチョークで文字を書き黒板の空白を埋めていく。最重要ポイントには下線が引かれ、その下には注意書きが書かれる。一度しか言わないと言った冷たさとは裏腹の優しさが見え、ユウは誰にも気付かれぬように口元を緩めた。

「——説明は以上だ。何か質問は? …………無いな? ではこれからペアを発表していく。クリスチアーノ・グロッタと——」

 たっぷりと間を置いたあと、出席番号順にペアを発表していくクルーウェルはユウを一瞥した。

「ユウ、お前はエースとデュースと組め。今回は今までのよりも難易度が高いからな。グリムとペアにさせると補習したところで点があげられないだろう」
「なんだと!! オレ様だって一人で出来るんだゾ!」
「このクルーウェル様の判断を疑うのか! バッドボーイ!」

 悲しくもバッドボーイと叱られた子猫は目を吊り上げるも、クルーウェルに何を言っても決断を覆ることはないと諦めたのか、ユウの足元に擦り寄り抱き上げるようにアピールをした。クルーウェルに見下されたのが嫌だったのだろうと、ユウはグリムを持ち上げ目線を高くしてやれば、調子の良いグリムが短い片腕を上げてシアンの丸い目を細めた。

「さっさと作るんだゾ!」
「ったく、調子の良い奴。んじゃ、監督生とデュースが材料を持って来てくんない? オレと大して役に立たないグリムが道具を揃えて来っから」
「わかった。行こう、監督生」
「うん。グリムもエースの言うことちゃんと聞くんだよ!」
「オレ様の方がエースよりもずっと偉いんだゾ!」

 小さな身体でも威張っているグリムをエースに託したユウは、デュースと並んで風邪薬に必要な材料を薬品棚に取りに行く。ユウの背が届かない場所にある材料はデュースに頼み、手が届くものは自分で取る。新しくなった棚の中には貴重な薬品まであるらしい。ラベルされている瓶を落さぬようしっかり掴んで、エースとグリムがいるテーブルまで戻れば、取って来た道具を並べているところだった。

「早かったじゃん」
「よし、これで全部揃ったな」
「んじゃ先ずはー」
「ぶどうの葉を細切れにするんだよね。薬研でやっちゃうか」
「だな」

 ぶどうの葉を四枚、薬研の中に入れて薬研車で細切れにしていく作業をデュースがしている傍らで、エースがトルケーロの樹液が入っている小鍋をコンロの上に置いた。最初の工程は刻んだぶどうの葉を樹液と混ざ合わせ火にかけて沸騰させるのだ。
 先に樹液だけを火にかけるとぶどうの葉の成分が分泌されないらしい。黒板の注意書きに書いてある情報だ。

「出来たぞ」
「オレ様が入れるんだゾ!」
「はいよっと。グリム、零さないように入れろよ」

 ユウに持ち上げられたグリムは、短い前足で薬研を掴んで刻まれた葉を小鍋の中に入れる。全部分量が決まっている為、少しでも零せばやり直しになるのだが、全ての葉を小鍋に移すことが出来、どうやらリスタートは免れたとホッと息を吐くユウの傍らで、エースがゴムベラで小鍋の中身を均一になるように掻き混ぜる。そうしてコンロの火をつけ樹液が焦げないように混ぜながらα波——無属性の魔法を加え続ける。

「んー、エース、ちょっとα波から逸れてきてる」
「まじか。作業しながらって地味にムズイんだよなぁ」
「じゃあ僕が魔法を加えるから、エースは混ぜる方に集中してくれ」

 魔法解析学でも習ったことの一つに、属性の揺らぎの違いがある。魔法が当たり前に使える世界に生まれた人は日常生活において魔法の使用は不可欠だ。故に属性の違いに疎い。意識しなくとも何となくで使えるのだから、当然のように疎くなる。だが、ユウは魔法が存在しない世界からやって来た。そのお陰で属性の揺らぎの違いに敏感で、学年でも五指に入る正確度を誇っている。

「デュース、もう少し揺らぎを抑えたら完璧なα波になるよ。出来そう?」
「結構頑張っているつもりだったが、難しいもんだな」
「エースよりは正解に近いから大丈夫」
「サラッとオレをディスるのやめてくんない?」

 手際よく小鍋の中を掻き混ぜているエースが片眉を吊り上げながら顔を顰める。あまり気にしていないらしいけど、気に障ったのなら謝っておこうとユウが「ごめんね」と口にすればエースは口を窄ませて顔を逸らした。
 一応拗ねてますよっていうアピールをしているのだ。可愛い奴め。なんてユウが控えめに肩を揺らせば、沸々と樹液が沸騰してきた。

「次はー……グリンディローの吐き水か」
「吐き水ってなんか汚いけど、大丈夫なものなの?」
「あれ? グリンディローって妖精知らないんだっけ? ざっくり言うと湖の中に住んでる妖精で、子供とか老人とかを水湖の中に入れて捕食するんだけど、そいつらが吐き出す水は清らかで、効能を高めるんだってよ」
「へー、よく知ってるね」
「僕たちは小さい頃に湖には近付かないようにって親に言われたりするからな。監督生にだってそういうのあったんじゃないか?」
「あった、かも?」

 グリンディローの吐き水を、少量ずつコンロから下ろした小鍋に入れて温度を緩やかに落としていく。とろみの強かった樹液が吐き水で伸びていく。決まった分量を全部入れ終えて荒熱を取る。最後におろし器でレモンの皮を入れれば完成だ。
 何事も問題なく出来た。とそっと息を吐いた瞬間だった。

「うわッ!」
「お前何を——!!」

 隣の机のチームの一人が魔法を暴発させてしまい小鍋から煙が立ち上る。これは拙いと咄嗟に鼻と口を塞ぐと、エースは風魔法を使って煙を窓の外に向かって飛ばそうとしてマジカルペンを振るえば、どうしてか煙が塊となってユウを襲い掛かる。

「んぐー!!」
「監督生ッ!」

 何となくの予想は付いていた。エースにしろデュースにしろ誰かが魔法を使った時点で、こうなるだろうと読んではいたがだからと言って対策が瞬時に出来るわけじゃない。
 失敗した煙に巻き込まれたユウは咄嗟にグリムの安否を確認し、きつく瞼を瞑った。

 ——良かった。グリムは無事っぽい。

 ポン! と軽い音が魔法薬学室に響き渡る。今度こそ。とエースが風魔法で煙を払いユウが目を開ければ、いつもよりもうんと視界が低くなっていることに気が付いた。

「にゃにゃにゃ?! にゃ?! にゃあ!」
「……か、監督、生……なのか?」
「にゃっ!!」
「子分が、猫に、なっちゃったんだゾ!!」
「ユウもお前には言われたくねぇだろ」

 それはそう。というか、え? 何? 私猫になってんの?!

 手を挙げてみれば見えるのはグリムのような前足。何かの間違いじゃないのか。と振り向けば揺れている尻尾が一つ。この薬学室にグリム以外の動物はいない。しかもグリムの尻尾は三股に分かれているけど、この尻尾は一本のもの。
 動物言語学得意なやついるー? と呑気に他人の力を頼ろうとするクラスメイトたちの中にユウの叫び声――否、鳴き声が響いた。

「にゃ……にゃにゃにゃぁぁああ!!」
「なんじゃこりゃあ、だな。駄犬ども、猫との会話なんて初歩中の初歩だぞ」
「んげぇー」

 んなこと言ったって出来ねぇもんは仕方ねぇじゃん。と肩を竦ませるエースは猫に姿を変えてしまったユウを抱き上げた。赤いハートがいつもよりも近く、ユウは瞬きを繰り返し、首を出来る限り回してクルーウェルを視界に入れ数回鳴けば、端正な顔つきをしている教師が小さく頷く。意思疎通が出来たのだろう。

「いつになったら魔法が解除されるのか、だな。……今日中には解けるから安心しろ。このままハーツラビュル寮で世話になるのもいいし、リーチ兄のお世話になってもいいだろう。女の我儘一つこなしてやらずに紳士は名乗れんからな」

 流石クルーウェル先生。言うことが違う。

 ユウが感動で胸をときめかせていれば、スラリとした革手袋に包まれた指先がユウの顎下を擽る。

「にゃあ」
「ま、精々首輪が増えないことを祈るんだな。たく、こんな独占欲、今時見ないぞ」
「ぐにゃ」

 クルーウェルの一言にユウは芋虫を踏み潰したような鳴き声を上げた。勿論心当たりしかないからだ。先日繋がってしまった運命の赤い糸のことを指しているのだとすぐにわかった。運命を捻じ曲げる糸を“首輪”と称するとは、中々に嫌味な言い方ではあるが、言い得て妙なのでぐうの音も出ない。

「独占欲? あの先輩、お前に何したわけ?」
「なぁーん」
「あー、なんでもないってか? お前さー、何かされたんならちゃんと言えよな」
「にゃにゃん?」
「確かに僕たちはリーチ先輩には負けるかもしれないけど、気合なら負ける気がしない!」

 そう言いながらデュースが胸に拳を当てる。自信満々のところ悪いが、気合であのウツボに勝てる未来が見えない、と言えばきっとデュースはショックを受けてしまうだろうと、ユウが口を噤めば、空気を綺麗に読み切った上でエースが挑発交じりに笑った。

「ホントに出来んのかよ?」
「あぁ! 気合いなら負けねぇ!」
「マジで何処から出てくんのよ、その無駄な自信」

 がっくりと肩を落とすエースの右肩に前足を二本かけて飛び乗り、左側の肩に移動してみる。成程。確かにこの運動神経ならば流動体と言われるのも頷く。
 器用にエースの肩に座れば、騒がしい薬学室の扉に鮮やかな青色を見つけた。
 見つけてしまえばもう、ユウの耳には騒がしいばかりの喧騒よりも、丁寧な靴音しか耳殻に響かない。脳裏に焼き付いたジェイドの歩く音に誘われるユウの尻尾が小さく左右に揺れる。

「監督生さん、お迎えに……監督生さんはどちらに?」
「これっス」

 我が物顔で下級生の輪の中に入って来たジェイドが、いつものように決まった言葉を口にしながらユウを探すも、見当たらず小首を傾げれば、ユウを肩に乗せているエースが一匹の猫を指差した。

「こちらの猫が監督生さん? 何かあったのですか?」
「かくかくしかじかだ。今日中には戻るから安心しろ」
「今日中に戻ってしまうんですね。それは残念です」

 肩を落として見せるジェイドにユウの尻尾が足の間に丸まる。どうやらこの身体は無意識に尻尾を動かしてしまうらしいと理解しても、上辺を繕う暇もなく感情が尻尾に現れるのだからどうしようもない。

「ふふ、首輪をサムさんのお店で買ってから帰りましょうね」
「にゃ、にゃぁああああ!!」
「おやおや、そんなに喜んで頂けるとは。僕も嬉しいです」

 ジェイド・リーチという男は決して成績が悪いわけではない。要領よくテストの点を取るタイプだ。そんな男が動物言語学の初歩中の初歩である猫の言語がわからないわけがない。
 
 可哀想に。そう思ったのは誰だっただろうか。

「ま、人間の言葉を話してようが猫語を話していようが、あんま変わんねぇか」

 そう切り捨てたエースは、我関せずと頭の後ろで手を組んだ。
 これがあの二人の日常なのだ。今更何を言ったって意味は無い。

 ——後日、ユウからジェイドと赤い糸で繋がっているんだけど。と報告を受けた二人は、あまりにも変わらない日常に顔の色を失い、ユウの運命とやらを哀れんだ。
 どうやら彼女の運命はあの男に声を掛けたあの日に捻じ曲がってしまい、絡み合い、解けることはないらしい。