そして、私たちの偲に踊る


 運命を強制的に捻じ曲げる糸——通称、運命の赤い糸を結んでから一週間。ジェイドは我が物顔でオンボロ寮の敷地に足を踏み入れていた。
 歪んでいる門を越え、階段を上った先にあるゴーストたちが住まうに相応しい建物の玄関でジェイドはドアノッカーで来訪したことを家主に伝えるも、反応がなく、この時間は特に何も用事がなかったはずでは。と手首に付けている腕時計を見れば午後三時を指している。ユウが学園内で出かけると言えば、ハーツラビュル寮が真っ先に思い浮かぶが、リドルの様子を見る限りなんでもない日のパーティーを開催する様子もないように見えた。
 その寮生がユウを誘う可能性は十分にあるのだが、監視の厳しい自寮に誘うよりも監視の目が無いオンボロ寮に遊びに来る方が頻度は高いはずだ。

 ——誰かが遊びに来ているのであれば、中から返事が返って来そうなものですが。

 ジェイドはユウへの土産を片手にもう一度ドアノッカーで来訪者の存在を家主に伝えれば、ドアが歪み半透明のゴーストが顔だけがドアから出て来た。

「おや。今日も来たんだね」
「はい。監督生さんは不在ですか?」
「いいや、いるよ。今鍵を開けるから待っててね」
「ありがとうございます」

 ゴーストは宣言通りすぐに施錠を解除し、ジェイドはドアノブに手をかけ捻る。するとすんなりとドアが開き顔を覗かせていたゴーストが出迎えた。
 ふくよかな体型をしている半透明のゴーストは、ジェイドの目線に合わせるように宙を泳ぎながら談話室を目指して進む。その後ろを付いて来るジェイドの顔を見ては、眉尻を下げて「すまないねぇ」と謝罪の言葉を口にした。

「何かあったのですか?」
「折角来てくれたのに、あの子朝から庭仕事をしててね。疲れちゃったみたいでソファでぐっすり眠っているんだよ。折角来てくれたのにあの子が起きていないんじゃ意味がないだろう」

 庭仕事……何か花でも植える予定でもあったのだろうか。いや、監督生さんは花に興味はないから単純に見栄えの良さで雑草整理でもしていたのだろう。とはいえ、ジェイドが知っているユウは、必要ないと思ったことには手を付けない、そういう性格の人間だ。果たして草むしりなんてするのだろうか。自分と接しているうちに花に興味を持ち始めた可能性だってある。これはどっちなのだろうか。
 そんな疑問を殺しきれなかったジェイドはいつもの笑みを浮かべ、世間話の軽さでゴーストに問いかけた。

「庭仕事、ですか。珍しいですね」
「何か野菜を植えれば育つかもって、そりゃあ張り切ってやってたもんさ」
「んふ、野菜、ですか。それは監督生さんらしいですね」

 一人分の靴音に合わせて軋む床はいつ底が抜けてもおかしくないほどだが、オンボロ寮を担保にした際に下見した時よりもいくらか手が加えられている。ユウやその友達が頑張ってて修理をした証拠なのだろう。その現場に呼んでくれたらよかったのに。と内心修繕されつつある床を冷めた目で一瞥したジェイドは談話室のドアノブに手をかけた。
 床と同じく寂れた音を立てながら扉が開くと、オンボロ寮でもとりわけ広い部屋の中が広がる。なるべく靴音を響かせないようにジェイドはユウが丸まって寝ているであろうソファに近付き、上から見下ろせば、想像通りぐっすりと眠っているユウが身体を丸めながら小さく肩を上下させていた。
 畑仕事を頑張った勲章と言わんばかりに頬に土汚れが付いてしまっている。それを胸ポケットから取り出したマジカルペンを振って拭ってやれば、睫毛が僅かに動いた。

 起こしてしまっただろうか。一瞬目を細めるジェイドとしては、ユウが完全に目が覚める前に一枚だけでも撮っておきたいところである。

 素早く内ポケットからスマートフォンを取り出したジェイドが手早くカメラを起動させてシャッターを切った。それを五秒程度の連写に止めたジェイドが、数十枚に及ぶユウの寝顔が記録されている媒体を素早く仕舞えば、小さい唸り声を上げながら少女の目が薄っすらと開いた。

「んー……、んん」
「監督生さん」
「うー、誰ぇ?」

 寝ぼけている目を擦りながら意識を取り戻していくユウの口調は、幼子みたいに舌足らずでジェイドは口元を緩めヘテロクロミアの瞳を細めた。

「貴方のジェイドですよ。こんにちは、遊びに来てしまいました」
「じぇいどせんぱい?」
「はい。貴方だけのジェイドです」

 上半身を丸めてユウの肩の後ろに手を回し、抱き寄せながら小さな身体を起こせばゆったりとした動きで床に足を付けてジェイドを見上げる。
 完全に覚醒しきってはいない様子は男の目に愛らしく映り、ユウが先程まで寝そべっていたスペースに腰を下ろして間近で鑑賞しようとするも、ユウの覚醒の方が数秒早く寝ぼけ眼から一転し訝しげな表情を浮かべてジェイドを射抜く。なんでオンボロ寮にいるんだと目で訴えているが、ジェイドは気付かないフリをして「んふ」と笑みを深めるばかりだ。

「どうやらお疲れのようですね」
「ええ、まぁ。庭仕事を少ししてて……そう言えば、裏に大木があったんですけど、先輩植物には詳しいんでしたっけ?」
「キノコや山の植物にはそれなりの知識はありますけど、幹を見ただけで名前を言えるわけではありませんね」
「そっか。残念。どんな花を咲かせるのかなって気になっていたんですけど」

 窓の外に見える裸の木に目をやったユウは口の端を上げながらも眉尻を下げた。
 そこまで執着はしていないらしいが、畑仕事をしている間は気にしていたらしい。とユウの心情を推し量ったジェイドがユウの手を取り立ち上がる。

「では、咲かせに行きましょうか」
「——はい?」

 ジェイドの言葉に首を傾げたユウだったが、あれよと言う間にジェイドに連れられて外に出たユウは、季節柄葉っぱ一つ身に着けていない大木の前に立っていた。
 この枯れている木に花を咲かせるとは一体どういうことなのだろうか。
 隣に立つジェイドをちらりと見上げれば、背の高い男は胸元からマジカルペンを取り出した。なるほど。魔法を使って花を咲かせるのか。言われてみれば魔法以外にこの枯れた木に色を取り戻すことは出来るはずがない。深く納得したユウは己の手を包んでいる大きな手を一瞥した。

「監督生さん。そのまま僕と手を繋いだままでいてくださいね」
「はい? はぁ」
「頭の中で想像してみてください。この大木がどんな花を咲かせるのか」
「想像……」
「はい。魔法の父と呼ばれる男——ウォルズ・ディートニはイマジネーションが大事だと述べています」
「先輩、私は——」
「えぇ。監督生さんは確かに魔法が使えませんが、僕と監督生さんは運命によって繋がっています。他人よりも強力な結びつきがある状態です。これなら監督生さんの想像を僕が魔法で具現化することも可能なはずですよ」

 思わず見つめたヘテロクロミアが柔らかく歪んだ。魔法という概念にまだ疎いユウにとって、たかが運命の糸程度で繋がっているだけで、結びつきが強力になっているとかまではわからない。だが、ジェイドが出来ると言ったのであれば出来るのかもしれない。魔法の運用については理解出来なくとも、ジェイドを信用することは出来る。
 そっと瞼を閉じたユウは、今一番見たいもの。見せたいものを頭の中で想像した。

 それは春の訪れを告げるもの。春を届ける妖精が季節の変わり目だとするのであれば、ユウが想像している花だって季節の変わり目を象徴するものだろう。
 柔らかい桃色の花。
 想像しろ。より鮮明に明確に。この繋がっている手を通して伝わるように。

 ジェイドの持つマジカルペンの先から零れた光の粒がそよ風に乗って大木を取り囲む。葉が芽生え緑の装飾が施される。次いでぽつりぽつりと淡い桃色の花が一輪づつ咲き始める。光の粒を追いながら花が咲き散らしていく光景はユウの意識を奪ったと同時にジェイドの視線を奪う。

「これは……」
「——桜。私の暮らしていた国に咲いている花です。綺麗でしょう?」
「はい、とても、綺麗ですね」

 ユウはこの枯れた大木がどんな花を咲かせるかなんて想像も出来なかった。でも、慣れ親しんだ桜なら容易に想像出来る。春の、何気ない日常のワンシーンに必ずあった花なのだから。

 ふわりと頬を撫でる風によって花弁が散って桜の雨が降る。柔らかい季節の始まりと終わりが同時にやって来たような、どこか切ない風景に胸が締め付けられ、そよ風に乗る花弁に手を伸ばす。名残惜しさを掌中に収めてしまいたくて腕を伸ばしてみるも、そう簡単に花弁がユウの手に誘われない。

「……小さい頃、落ちてくる桜の花弁をキャッチ出来たら、好きな人と両想いになれるって聞いたんです」
「可愛らしいですね。監督生さんは挑戦してみたんですか?」
「はい。掴めたことはなかったですけどね。懐かしいなぁ」

 小学生の頃だった。クラスの好きな男の子と両想いになりたくて必死に花弁をキャッチしようとしたものだが、風に乗って自由に落下していく花弁はそう簡単に掌中には収まってくれなくて、この恋は叶わないものなんだ、とすっかり冷めてしまったんだっけ。今思えば、彼への感情もその程度で整理出来るくらい簡単なものだったのだろう。
 もう、その男の子の名前すら思い出せないけど懐かしくも何処か淡い思い出の片隅に向かって、今を生きるユウが苦笑いを零した。
 まさか世界を選ぶ羽目になる恋をするなんて、当時の私は考えすらしなかっただろうに。

「試してみますか? 花弁をキャッチ出来るかどうか」
「因みに誰が?」
「勿論監督生さんが。僕は現在進行形で好きな方と運命の赤い糸で繋がっているので、このサクラで試す必要がありませんから」
「わーお。なるほどー。意味がわかりませんね」

 それ、私も同じなのでは? と首元まで出かかった科白を嚥下したユウは短く息を吐き出した。それを言ってしまえばジェイドの思惑にまんまと乗せられてしまう気がして、ユウは桜を一瞥して口の端をあげた。

「もし私が取れなかったらどうします? ジェイド先輩曰、私は先輩のことが好きなようですが」
「大丈夫です。その時は僕が魔法で監督生さんに花弁をお届けするまでです」
「最高に意味のない行為ですね!」

 繋がっている手に力を入れてみれば、ジェイドが笑みを深めて繋がっていない方の手を取り抱き寄せた。さながらワルツを踊るかのようにユウの手を己の背中に誘導させ、逃がさないと言わんばかりに細い腰に手を回す。

「では踊りましょうか」
「今日の先輩は考えが読めませんね。さてはフロイド先輩と入れ替わっていたりします?」
「えー、小エビちゃんオレとジェイドの見分けがつかねぇの? ジェイドが可哀想」
「うわ、フロイド先輩にそっくりですね」

 が、しかし。ユウの知っているフロイドはジェイドに対して可哀想なんて感情は持ち合わせていない。いや、備わってはいるのだろうけど、他人に見分けがつかれなかったくらいで可哀想とは言わない。寧ろウケる。と笑いすら起こるだろう。
 己を可哀想だと自称した、鼻歌混じりの曲に合わせてステップを刻み始めたジェイドは紛れもなく本物だと言うことが分ったユウは、今日はどうしてこんなにも気分屋なのだろうか。と内心で首を傾げるも、あのフロイドの片割れなのだからそういう時もあるか。と妙な納得をし、誘われるまま足を踏み出す。

「先輩、私マイムマイムしか踊れませんけど大丈夫です?」
「では練習をしましょう。プロムで必要になりますからね」

 機嫌よく刻まれるリズムに身を任せるユウはふと視界の端に映った桜を前に考えた。
 そういえば、この花は何処で見た景色だっただろうか。と。