柳川絞り

「“マスターちゃん! コロッケ! コロッケ美味しそうじゃない?”」
「えー、セイバーさっきカラアゲ買ったばっかりだよ」
「“お肉屋さんのコロッケは美味しいって聞いちゃってるからねぇ、食べてみたいんだよなぁ”」
「なんで英霊がそんなこと知ってんの? そんなに最近の英雄なの?」
「“聖杯からの情報”」
「えー……?」

 なに、そのどうでもいい情報を与えてくれる聖杯って……。そんなのが願望機って呼ばれているの? そんなのに私の望みは懸けたくないなぁ。いや、懸けるしかないんだけど。

 聖杯について疑問と疑念が一つ増えた千尋は、怪訝な顔を隠すこともせず、商店街の中を闊歩している。
 斎藤はというと、目についたものに反応しては、千尋に買うよう勧め、千尋の両手には色んな店のビニール袋がぶら下っている状態だ。

 量り売りの肉屋の前で立ち止まった千尋は、店の前に立てられている自家製コロッケの文字を見て、赤い色をした肉が収納されているガラスケースに腕を乗せて人が良い笑みを浮かべている店員を見た。あ、これは拙い。と思ったのも束の間。店員は千尋と目が合うと「今なら揚げたてのコロッケだよ」と食欲を駆り立てる情報まで与えてくる。
 穏やかそうな顔をしていて、その実悪魔なのではないのだろうか。なんて、現実逃避する頭とは別に、足は確り肉屋に向かって行っているのだから、人間食欲には抗えないのだと、ビニール袋を両手に掲げている少女は、齢十七にして真理を悟ってしまったのである。

「コロッケ二つお願いします」
「はいよ。うちは馬鈴薯と、メンチと二つあるんだが、どうする?」

 勿論、両方うちの肉が入っていて美味しいよ。と追加情報を与える店主が益々悪魔に見えてくる。
 馬鈴薯もメンチも、同じ外見をしているくせに、どうしてこうも二つとも魅力的に見えてしまうのか。千尋の頭の中を占めているのは、斎藤が強請ったコロッケを買うことではなく、目の前にある二つのコロッケのどちらを食べようか。ということだけだ。
 さて、どうするべきか。と銀のトレーの上に並ぶ二種類のコロッケを前にして真剣に悩んでいれば、また耳の内側で男の声が聞こえた。

「“どうした? マスターちゃん”」

 斎藤曰く念話が下手くそと称された千尋は、口に出さないと霊体化している斎藤と念話での会話が出来ない。が、しかし、目の前には肉屋の店員がいて、正面で向かい合っているこの距離では、流石に小声でも微かに声が聞こえてしまうだろう。相手もいないのに一人でぶつくさと何かを呟いている女は、傍から見れば間違いなく不審者で、不審者を見るような目で見られることは避けられまい。
 とはいえ、斎藤に何で悩んでいるのかを伝えないといけない訳で、千尋は焦った。
 一番端に置かれている豚ひき肉と書かれたプレートから、反対端にある牛細切れと書かれたプレートの間を何度も行ったり来たりしているのにも気が付かないまま、どうしようか。と焦り、時間が経つほど斎藤が念話で話しかけてくる。

「“マスターちゃん?”」

 斎藤の問いかけに、千尋は弾かれるように正面を向いた。目が合った先にいるのは肉屋の店員だ。

「決まったかい?」
「えーっと、まだ迷ってて……どっちにしようかなって」
「“それなら——”」
「ゆっくり悩みな。うちのコロッケは一番美味いからね」
「ははは……はーい」

 念話。念話ってどうやってやればいいの?! わかんないよ! 念話のこと義両親から教えてもらったことないし!

「“念話念話念話念話念話……!”」
「“ブハッ!!”」

 耳の内側で男が吹き出すように笑った。そんな芸当が出来るのは千尋と契約しているサーヴァントしかいるはずもなく、千尋は驚いたものの、驚いた声を努めて出さないよう気を張り、肩を跳ねらせただけで終わらせた。

「“マジかッ、……くっ、マスターちゃんッ、最高……!”」

 声を振るわせている斎藤の姿は確認出来ないけれど、きっと肩を震わせているのだろう。簡単にその姿を想像することが出来る。
 なんでそんなに笑っているんだと、斎藤を詰りたくとも詰ることも出来ない。こんな悔しいことがあってたまるか。と唇をへの字に歪める千尋の耳の奥でまた斎藤の声がした。

「“マスターちゃん、俺に話しかけてみろって”」
「“それが無理なんじゃん?!”」
「“いやいや、出来てるって。ほら、おじいちゃんを信じてみなさいよ”」
「“うぇー?”」

 何時ぞやのように、「うーん」と「えぇー」を同時にしたような音を発した少女の瞳が、ガラスケースの奥に立っている店主を見つめるも、白い目を向けられることはなく、先程と何も変わらない営業スマイルを浮かべている。

「“もしや私、念話を獲得出来たのでは……?”」
「“ブッ、そう……うん、そうね、出来たね……っ、おめでとさん”」

 まさか、こんな形で新しい技術を習得するとは思いもしなかった千尋は、肌がぞくりと逆立ち、満足感と達成感で口元が角度を上げる。心臓の鼓動が加速し、上昇した体温が胸の真ん中から身体の隅々まで駆け巡っていくのがわかる。
 肉屋の店主の存在を思い出した千尋は、すぐさま表情を消して頭の中で斎藤の姿を思い浮かべた。

「“セイバー”」
「“ん? さっきから何で悩んでるんだ? おじいちゃんに言ってごらんよ”」
「“馬鈴薯とメンチ、どっちを食べようかなって。因みにセイバーはどっち食べたい?”」
「“どっちも買えば良くないか? 半分にすりゃあ、どっちも食えんだろ”」

 その手があった。気付きを得た千尋は、店主に「馬鈴薯とメンチを一つづつください」と人差し指を立てながら注文すれば、気前よく「はいよ」とトングを手に取った店主が、それぞれ一つづつ紙袋の中に詰め、口をセロハンテープで塞いだ。

「ありがとうございます」

 会計を済ませた千尋は、商店街を抜けた先にある公園を目指して再び歩き出したのだった。勿論、何度も斎藤が興味を引かれた店の前で立ち止まりながら。

 散歩という名の買い食いは、思いのほか楽しく、沢山のビニール袋を両手にぶら下げながら少女が一人歩く様は中々人の目を引いたが、若さゆえか千尋の大胆な性格故か、さして周りを気にしない少女は適当な大きな公園に入りベンチに腰をかけたところで斎藤に声を掛ける。

「セイバー出てきても大丈夫だよ」
「もういいのか?」
「うん。ごめんね」

 二人掛けのベンチに並んで腰をかける二人の間には戦利品である団子と、コロッケ、シュークリーム、カラアゲと道中にあった自動販売機で買ったお茶が二本。
 誰がどう見ても買いすぎで、二人はお互いの顔を見合わせて息を吹き出した。

「これじゃただの買い食いだよ」
「美味いもんは幾らあっても困んないじゃないの」
「だからって、これは……ハハッ!」

 緩む口元を手の甲で隠す千尋は大きく肩を上下に揺らしている。女の笑声に耳を傾けながら斎藤はベンチの背凭れの縁に両腕を乗せて、空を仰ぎ見れば、いつの時代も変わらない飲み込まれる程の鮮やかな青が広がって、風に乗って流れる白い雲が形を変えている。
 嗚呼、良い天気だ。漠然とした解放感と共に、過去の記憶が蘇る。そのどれもが血生臭くも、輝かしい日々で斎藤はそっと目を閉じた。
 ——戻れるなら。もし、過去に戻れるのなら、俺は……やり直してみたい。いいや、あの人たちと同じ旗を掲げたあの日々を繰り返していたい。

 胸の奥に滲む感傷に浸っている斎藤の無防備な唇に柔らかいものが触れた。

「これ、美味しいよ!」
「ん? ありがとな」
「うん。他にもいっぱいあるし、幸せだね」

 団子を斎藤の口に押し付けた千尋は満足気に頷くと、三つ連なっているうちの一番上の団子を口に含んだ。
 醤油のしょっぱさと砂糖の甘さが絶妙に絡んだみたらし団子に、舌鼓をうち串団子を持つ手を軽く持ち上げ、反対の手で頬を下から押さえつける。

「相変わらず美味しい!」
「ん、これ、結構美味しいやつじゃないの」
「そうなの! ここのお団子屋さん有名でね、早く行かないと売り切れちゃうこともあって、今日は残っててラッキーだったね」

 自分が褒められたわけでもないのに、どうしてか褒められた気になった千尋は、みたらし団子を味わいながら咀嚼し、飲み込むと同時に目を細めたまま斎藤をその視界に映した。

「このお団子を食べると、辛いことも頑張ろうって思えるの」
「ご褒美に食べるんじゃなくて?」
「うん。先に食べちゃうの」

 それはつまり、この団子を食べる時は近い将来に“辛いこと”が待ち受けているという事実があるわけで、斎藤はなんてことはない素振りで食べ終わったみたらし団子の串を軽く揺らし、千尋に問いかけた。

「因みに、僕に黙ってこの団子を食べたことは?」
「ないよ。セイバー召喚する前に食べたけど、それも一か月前だし」
「へー、その時は何を食ったんだ?」
「同じみたらし団子。私このお団子が一番好きだから」

 一か月前に辛いことを経験していて、その時も同じ団子を食べているとなれば、間違いなく千尋は近い将来で“辛いこと”を経験する。高確率で今朝言っていた、明日の用事がソレに該当するのだろうと悟った斎藤は、みたらし団子を頬張る千尋の口元に付いているみたらしを指の背で拭った。

「ん? ついてた?」
「べっとりな」
「言ってよ。恥ずかしいじゃん」

 せめてその時、この笑みが曇らないように側にいようと決めた斎藤は、コロッケが入っている紙袋のテープを剥がして、サクサクの衣にかぶりついた。

「ん! なんじゃこりゃ! 美味いなあ!」
「わかる! コロッケ美味しいよね!」

 初めて食べるのか、コロッケの美味しさに驚いている斎藤は千尋の目に、男の人でありながらどこか可愛らしく見え、再び湧き上がる満足感に任せて顔を近付けると、一瞬口の端を上げた斎藤が食べかけのコロッケを千尋に向けて差し出した。
 食べても良いというサインなのだと受け取った千尋は、遠慮なく口を開けてコロッケを頬張れば、口一杯に肉の旨味が広がり黄色い悲鳴に似た唸り声を上げる。

「んーー!」

 その後もシュークリームやから揚げを平らげた二人は、満たされた胃袋をお腹の上から優しく撫で、食べ過ぎたと後悔のない溜息を吐いて来た道を引き返した。
 人目を避けるように斎藤は霊体化し、斎条家の近くまで歩いて来た頃には、詰まっていた胃の中の物が順調に消化されていた。

「“時代が変われば、食べ物も変わるもんだなぁ”」
「“セイバー年寄りくさいよ”」
「“実際僕、おじいちゃんよ——って、止まれ。誰か門の前にいる”」

 斎藤の指示の通りに千尋は、歩みを止め家の門の前に立つ人を遠目で観察する。銀髪の長い髪を三つ編みしている男だ。日本人の顔つきをしていないから多分外国人だ。
 千尋は義両親の知り合いにあんな人がいただろうか、と過去にあった人物の顔を銀髪の男の顔を照合するも、該当者が出て来ない。思い出せないだけかも知れないが、あの若さで綺麗な白銀の髪をしている男を見たら忘れない。
 古い知り合いってわけじゃなさそうだけど……。

 さっきまで浮足立っていた歩みが一転し、慎重なものに変わり、警戒心を露にしながら千尋は銀髪の男に近付いて声を掛けた。
 怪しげな男に近付く千尋を何とか止めようとするも、念話を受け付けない千尋の耳に斎藤の制止の声が届かないでいる。

「何か御用ですか?」
「いえ、あまりにも立派な家だったもので」
「ありがとうございます」

 なんだ。ただの迷い込んだ観光客か。とホッと胸を撫で下ろした千尋は、安心しきった笑みを浮かべ男を見やれば、ニコリと男が笑った。

「迷惑をかけてしまう前に帰りますね」
「さようなら。お気をつけて」
「ありがとう。では、また」

 踵を返すように帰って行くその背中を見送った千尋は斎条家の門を潜り、ふと首を傾げた。

 ——では、またってなんだ?

 社交辞令だろう。そう結論付けた千尋のすぐ傍で斎藤は銀髪の男の影を睨みつけていた。

 

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