花座論

 まだ薄っすらと寒い季節だというのに、千尋は脚を出した服装で外に出掛けようとし、斎藤に「女の子が脚を出すんじゃない! 冷えるでしょうが!」と怒られ、渋々ロングスカートに履き替えて漸く街に繰り出した散歩は、千尋のお願いで斎藤には霊体化してもらうことになった。

「斎条家から出るなら現界していてもいいんじゃないの」
「嫌だよ。近所に散歩に行くんだよ? 学校の子とかに出会ったらどうやって説明するのよ」
「おじいちゃんですって言えば?」
「バカじゃないの」

 終いには右手の甲に刻まれている令呪を赤く光らせ始めた千尋を見た斎藤が、慌てて霊体化したことで事は解決した。

「“マスターちゃん、令呪の使い方知ってたのかぁ”」
「何となくはね。本で読んだし」
「“本たぁ、また……”」
「三回しか使えないのが何か嫌だなぁ。奮発して十回分とかにならないのかな」
「“えー……僕、気に食わないマスターに十回も強制命令されるの嫌すぎるんですけど”」

 確かに。マスターとしては、三回では使い所を考えてしまう回数だと感じてしまうが、サーヴァントとしてはセイバーの言う通りだ。
 実際、膨大な魔力を必要とするから、三回が限界ってところなんだろうけど。

 斎条の敷地を出てからやや暫く歩いても、人の気配が感じられない。
 主要商業施設からも、交通の中心部からも遠い、俗に言う僻地と言われるところに斎条家が居を構えているのは、単純に魔術は秘匿されるべきという思想が強い。その意見には納得するのだが、年頃の娘らしく、何処かに遊びに行きたいと思っても、簡単に行けないところは大変不便に感じている。

 三センチばかしのヒールの音が一つ、小さくも一定のリズムでコツコツと音を鳴らしていれば、不自然なほど自然に靴音が一つ加わった。
 隣にはさっきまでなかった人の気配がし、千尋がちらりと右側を横目で見れば、黒いスーツをこれでもかと着こなしている男が一人。

 トットット、と足早に駆け出した千尋が、落ち着いた色のロングスカートを翻して斎藤と向き合った。

「ね、もし仮に、私が令呪全部使い切ったとしても、私の為に闘ってくれる?」
「そりゃあんたが何の為にこの戦争に参加したか、その理由に、僕が、納得したら幾らでも」
「手強いなぁ」

 か弱い少女の涙に絆されてくれたら、どれだけ楽だっただろうか。
 言いたくない、自分の中に秘めた罪悪感と共に湧き出る欲。美しい言葉で言い換えるなら、それは祈りであり願いであり、悲願だ。
 実際はそんな優しい言葉で飾るようなものでは無い。
 願望機たる聖杯にかける望みは、千尋の胸を常に苦しめている。
 理想は限りなく遠くて、手を伸ばして走ってもその背中すら見えない。それどころか、目の前にある現実が鉛となって四肢を縛り付けてくる。

 ──言えないよなぁ。
 全部、全部投げ出して自分の意思で生きたいなんて。

 魔術師として、斎条家の人間として教育され生かされている。物事の判断基準は全て魔術師としてのもので、そこに私の意思なんてどこにも存在しない。

 たまたま生まれた時から魔術回路の本数が多くて、魔術師としてのセンスも高かった。たったそれだけで、私は私の自由と未来と意志を、赤の他人の手によって剥奪された。

 恨み辛みは尽きることなく、胸の深層にあって、それでも私はあの人たちを上手く憎めないでいる。
 小さい頃は、よく旅行に連れて行ってくれた。義母が作るお弁当が美味しくて、ピクニックが楽しみだった。門限を破ると心配して怒ってくれたし、慈しむように抱き締めてくれた。
 私を使える道具として愛してくれていただけなのかもしれない。
 それでも、“千尋”を愛してくれていることに間違いはないから……。

 ──だからこれは、私の我儘であり、我欲であり、罪。

 誰にも言いたくない。出来れば時間が解決してくれると思っていた。
 でも、人生に一度しかないチャンスが巡って来てしまったから。

「セイバー、私が悪い子でもマスターちゃんって呼んでね」

 何処か諦めたような笑みを浮かべる千尋を正面から見定めた焦げ茶色の瞳。己を見上げる希望を絶つ少女の、セピア色に染まる双眸を一瞥した斎藤は、大股で千尋に近付くと、人差し指の節で額をコツンと軽く小突き、千尋の手を攫うように掴む。
 千尋が促されるようにくるりと向きを変え、隣を歩く斎藤と並べば、軽く握られていた手がするりと離れていった。

 黒い手袋越しに重なった肌の温度が思ったよりも熱くて、離れていった熱を追いかけそうになってしまった。
 指の先すら触るのをためらったのは、きっと、求めてはいけない温度だと、本能が叫んだからだろう。



 近所でも有名な団子屋さんの引戸を、カラカラと音を立てながら開ければ、ガラスケースに並ぶ色とりどりの団子が千尋を出迎える。
 人通りが多くなってきた為、斎藤は霊体化している。

「えー、っと……みたらし団子二本と、よもぎ団子一本とー……えっ、いちご大福を、うーん、二つ! お願いします」
「みたらし二つとヨモギが一つ、いちご大福が二つでお間違いなかったですか?」
「はい」

 透明なパックが手提げのビニール袋に詰められ、代金と引き換えにビニール袋を受け取り、出迎えてくれたガラスケースに背を向け、カラカラと乾いた音を鳴らしながら外に出れば、脳に直接響くような、耳の内側で調子の良い男の声が笑う。

「“いやぁ、悪いねぇマスターちゃん”」
「もう、絶対変な人って思われたじゃんか」
「“大丈夫だろ”」
「そうかなぁ」

 ビニール袋を握る手が動く太股にぶつかって、乾いた音を立てた。
 団子屋でいちご大福を目にした斎藤は、念話で千尋にいちご大福を追加してもらったのだが、予定のものと違うものを買うことになり、千尋は困惑をそのまま、声に出してしまったのだ。

「この先に商店街があって、もう少し歩いたら公園があるから、そこで一緒に食べようよ」
「“お、いいねぇ。のんびり日向ぼっこでもしようじゃないの”」
「セイバーが日向ぼっこって言うと、なんか可愛いね」
「“なんだぁそりゃ”」
「なんかさ、日陰が似合いそう……って言ったら怒っちゃう?」

 眉尻を下げる千尋は、誰がどう見ても叱られるのを待つ仔犬じみていて、斎藤は長い髪が掛けられた耳の輪郭を一瞥して眉間に皺を作った。
 怒るかどうか聞いてきた奴が、なんで答えを聞く前からそんなに泣きそうになってんのかね。と軽口を叩いて良いものなのか、返答に悩んだ末に斎藤は、千尋に目もくれず口を開く。
 霊体化しているのだから、斎藤が今何処に居て、何を見ているのかなんて千尋にはわからない。それでも斎藤は千尋に目を向けなかった。

「“いんや? 僕は日陰の方が似合うからなぁ。実際”」
「ふーん。良かった」

 ——初めて人を殺したのは何歳の時だったか。
 確かまだ壬生浪士組として、芹沢さんと近藤さんが共同で局長をしていた時だった気がする。
 試衛館道場で木刀を打ち合ったり、他の道場で竹刀を打ち合っていた時とはまるで比べ物にならない緊張感に、俺は、これが剣なんだ、と、己が両手で握っている玉鋼の重さと、衣服に飛び散った他人の返り血を浴びて、何を思ったのか、これで俺は一端の武士になれたのだと、足元に転がる血達磨の木偶の棒を前に、罪悪感よりも喜びが勝っていたのを今でも覚えている。
 これであの人の役に立てる。この国の為に戦える。俺は、俺の意思を全う出来ると、肺一杯に息を吸い込んだ宵闇は今日みたいに冷たかったっけ。

 いくつか名前を変え、立場を変え、間者として生きて来た俺は間違いなく日陰者の存在だろう。
 このお嬢ちゃんの指摘は的を得ている。何も間違っちゃいない。——ただ、マスターちゃんが振り返り俺を見たその瞬間、あまりにも日の光が似合っていたものだから。だから、何となくなんで自分が召喚されたのだろう。と疑問を持ってしまっただけだ。
 まぁ、血縁者だってんなら、互いの身体に巡っている血が触媒になるのは必然か。

「私ね、日陰を歩くのが好きなのよ。だから、セイバーが日陰って言葉に悪い印象を受けてなくて良かった」
「“日向の方が暖かいだろ”」
「嫌よ。特に夏なんて幾ら日焼け止め塗っていても焼けるし。あと、眩しいじゃない」

 あんたがそれを言うのかよ。と斎藤は息を吐き出して笑い、千尋にバレないよう、息を殺して肩を揺らした。

「あー、でも春の日向は好きかも。ぽかぽかしていて暖かいもん」
「“そうだねぇ。僕も好きだわ”」
「春になったらまた散歩……って、その頃はいないのか」
「“……そうだな”」

 寂しいな。と心の中で吐露した千尋は頭を振って、足元に向けていた視線を上にあげれば、雲一つない空が広がっていることに気が付いた。

「セイバー、空が綺麗だよ。見えてる?」
「“おーおー。見えてますってマスターちゃん”」
「この天気の中、散歩出来るのすっごい気持ち良いねぇ」

 曇りが一つもない笑みを浮かべて歩く千尋を横目に、斎藤は八木邸の庭から見たあの桜を思い出した。
 それはきっと、かつて仲間と共に花見と称して庭先で食べた同じ団子が入ったビニール袋をぶら下げている少女が、壮大な夢を語ったあの人たちを彷彿さたのだろう。

 淡い、淡いあの夢は今——、何処に逝っちまったのかねぇ。

 

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