都錦

 ——カン、と硬いもの同士がぶつかり合う音が響いている。
 何度も何度も繰り返し。次第に風を斬る鈍い音と、勇ましい掛け声が加わって気が付けば音たちは部屋の至る所から聞こえた。

「打ち方止め!」

 太い声が掛け声が響く部屋に鋭く切り込まれると、音たちはピタリとなりを顰め、「ありがとうございました」と男たちが声を上げる。
 目を閉じていた千尋は、これは夢の中だと妙に冷静な頭で耳元で響く音に全ての意識を持って行った。
 真っ暗な視界では拾える情報に限りがある。夢の中でも眠っている千尋はゆっくりと瞼を開けた。

「俺たちは京に行く」
「おう!」
「そういやぁ、松平容保公が守護役を募集していたな」

 狭い部屋に男たちが所狭しと座っている。その中でも一段と風格のある男が木刀の柄を握り、腕を真っ直ぐ前に突き出して声高らかに宣言した。

「俺たちは京で武士になるんだ」
「遂に近藤さんの夢が叶うんですね」
「あぁ。漸く、漸く俺たちは武士になれるんだ」

 コンドウサンと呼ばれた男は照れたように笑った。
 肩幅も広く分厚い身体、木刀を片手に夢を語る双眸は鋭く力強い。それなのに、小柄な少女の言葉に頬を僅かに染め照れながら微笑むその姿に、千尋もつられて口元を緩める。
 見知らぬ、たった今名前を知ったばかりの人だというのに、男の笑みは千尋の目に懐かしさを覚えさせた。
 春の曙を連想させる、夜明け前の高揚感が部屋を包む。瞬きをすれば暗転し、見たことのない木造の建物が眼前に広がった。

「左之助」
「おー、久し振りじゃねぇの! お前今までどこになりを顰めてたんだ?」
「いろんな所を転々とねぇ。いやぁ、京の芸妓は美人が多くて、酒が旨いのなんのって」
「お! じゃ今夜平助と新八辺りを誘って呑みにでも行くか!」
「いいねぇ」

 右腰に大小二本の刀を下げている男と、左腰に一本の刀を差してる男は旧知の仲のようで、肩を組んで歯を見せて笑みを浮かべている。
 サノスケもヘイスケもシンパチも聞いたことがない名前だったが、右腰に二本の刀を差している男の姿は見たことがある。知っている姿よりも髪が長くて毛先がうねり、サーヴァントとして召喚した姿よりも若いように見えるが、目の下にこびりついている隈とか、口調とか、身長とか、まさにセイバーそのものだ。
 夢の中で見えるこの映像は、夢なのではなく、セイバーが生きていた時代なのだろうか。だとすれば、私は今、セイバーの許可も取らずに生前の記憶を覗いていることになるわけで、途端にちくりと罪悪感が胸の表面を刺激する。

 うわ……セイバー。ごめん。

 見慣れたスーツ姿ではなく、和装をしている斎藤の背中に向かって千尋が無意味にも謝罪の言葉を送るも、当然届くわけがなく、サノスケと共に遠ざかって行った。
 もう一度瞬きをすれば、コンドウサンと呼ばれていた男に向かって頭を下げているセイバーが見えた。その後ろには大小二つの刀が置かれている。

「そうか、お前も此処から出て行くのか」
「あぁ、俺は俺の誠を貫き通したい。その為には局長じゃなくて、伊東さんに付いて行った方が良いと判断した」
「……お前がいなくなるのは、寂しいなぁ」
「すまねぇな、近藤さん」
「いやなに。進む道が違えど、俺たちは幕府の為に刀を振るう同士だ」
「あぁ」

 何を思っているのかわからない表情は硬く、怒っている時の顔とも違う、見たこともない斎藤の表情に千尋は目を見張った。強固なまでの意思を貫き通すその双眸を向けられた近藤は、何処か悲しそうに笑って大きな音を立て腿を叩けば、寂しさを何処か遠くに飛ばしたように溌剌とした笑みを斎藤に向けた。一瞬視線を逸らした斎藤は、背中に置いていた二本の刀を手に取って立ち上がると、そのまま敷居を跨いで出て行った。

「ようこそ。御陵衛士へ」
「……あぁ」
「アンタはこっちに残ると思っていたが、この組織も一枚岩じゃないってこったな。藤堂然り」
「そりゃあ、組織ってのはそんなモンだろ」
「俺たち御陵衛士は強固な岩になるぞ。この国の為の一枚岩に」

 国とかそんな大きなものの為に刀を振るう時代。そんな物騒な時代は日本の歴史の中で幾らか存在する。鎌倉後期、戦国、そして幕末。服装からしてみて、恐らく時代は幕末。御陵衛士がなんの組織なのかはわからないけど、セイバーがコンドウサンと袂を別ったことはわかった。

「いっちょ、歴史に花でも咲かせてやりますか!」
「オレの為に、悪い」
「平助が責任を感じる必要は何処にもないでしょ。俺は俺が正しいと思った道を選ぶだけだ」
「けど、オレが伊東さんを連れて来なかったら、今頃、皆で……オレだってまだ此処に——!」
「近藤さんが言ってたぜ。離れてても意思が同じなら何処に居ても同士だってな」

 藤堂の頭を撫でる斎藤は弟を慰める兄の表情をしている。千尋も何度か見たことがある穏やかな目元に、やっぱり生前から優しい人だったのだと胸の内側が暖かくなる。
 伊東一派が新選組から独立した日の空は晴れ晴れとしていた。

 ——どぷん、と身体が水の中に落ちた。
 服の中に入り込んだ水が気持ち悪くて、身体の中に入っている酸素を取り逃さないよう両手で口を塞げば、金属音がぶつかり合う甲高い音が連続して耳に入る。
 男の呻き声は絶命に変わり、土を踏む草鞋の足音が多方向から聞こえ、叫ぶ男の声が複数。その中に斎藤の声が混じっているのを千尋はすぐに気が付いた。

「平助! 平助! しっかりしろ!!」
「も、……だめ、だ、オ、レ……このま、まッ」
「死ぬんじゃねぇ! 平助!!」

 白い塀に背を預けて斬られた腕を抑えている藤堂は口から血を流している。白い塀にはべっとりと血が付着している。背中を斬られたのが致命傷だったのは歴然だ。瞳から徐々に光が失われている中、斎藤は男に背を向けたまま刀を持って切り結んでいる。視線は敵である男に向かっているのに、意識は背後にいる死にかけの藤堂に注がれている。

「お前! 同じ勤王の御陵衛士のくせに何故、同じ衛士に向かって刀を向ける!」
「簡単な話だろ。僕は最初から御陵衛士の人間じゃない。そんだけだッ!」

 切り結んだ刀を上に弾き飛ばした斎藤がガラ空きになった心臓に向かって一突きすれば、敵は血を吹き出しながら両膝を地面に付け、己の命を奪った斎藤を忌々し気に睨みつけた。

「この、裏切り、……ッもの、……が……」

 恨み言のように吐きつけた怨念じみた台詞を聞き届けもしなかった斎藤は、何もしなくても絶命していく男に背を向けて藤堂に向かって駆け出し、その肩を抱き寄せる。

「平助! 目を開けてくれ!」
「オレ、のっ分、まで……生きて、くれ、よ」

 糸が切れたように静かに生命活動を終えた藤堂を、斎藤は地面に横たわらせると、その心臓に向かって刀を振り下ろした。
 既に絶命していた藤堂は呻き声すら上げない。それどころか、まるで人形のように斬られた衝撃で一瞬跳ねただけだ。残り少ない血が心臓から飛び出し、地面が鮮血で穢れていく。

「後ろ傷は局中法度で切腹もんだからな。正面から斬られたことにしておいてやるよ」

 ——おかえり、平助。

 死屍累々とした油小路の一画。一等優しい言葉を投げかけた斎藤の唇は震えていた。

 浮遊する感覚に気持ち悪さを覚え、さっきとは違う意味で口元を押さえながら辺りを見渡せば、視界に映る人の服装が和装から洋装に変わっていた。戸板に乗せられた怪我人、多分もう施しようのない重傷者が次々と運び出されている景色が広がている。
 額当てが割られ、腹部に穴が空いていて止めどなく血が流れている。光が消えている瞳が呆然と空を見上げているが、何もその目に映ってはいないのだろう。片足が無くなった戦士や、背中を斬りつけられた戦士、戸板が足りなくて男二人がかりで怪我人を左右で支えて建物の中に入って行く。
 篝火に照らされる地面には、いくつかの血痕が散っている。否が応でもここが戦場であることが分り、千尋は息を詰まらせた。

「兵も装備も三流揃い、こんなんで勝てるわけねえでしょ」
「会津はもう駄目だ……北に行くぞ」
「そうですか。じゃあ、僕は抜けますんで」
「……なんだと?」
「あれ、聞こえませんでした?斎藤の一ちゃんはここでお別れってわけ」
「どういうつもりだ……?」
「あんたの下じゃ、もう面白くないんでね。隊を抜けるのも切腹でしたっけ?」

 いつもの軽口を叩くような声色で斎藤は、脱隊を言ってのけた。土方にとっても斎藤の一言は寝耳に水だったのか、一瞬何かを考える素振りを見せると、首を左右に振った。

「……いや、もういい。此処からは俺一人で行く」
「…………なあ、副長。いや、土方さんよ。もういいんじゃねえのか?」
「……何がだ?」
「近藤局長も死んで、沖田ちゃんも死んじまった。昔馴染みなんざ、もうほとんど残ってねぇんだしよ」
「……まだだ。まだ新選組はおわらねぇ……」
「もう終わってんだよ! どこに新選組が残るってんだ!」

 敗走で寂れた陣営の中に男の怒号が駆け抜けた。
 顔見知りの仲間が次々と死んでいった。唯一の大将までもが薩摩藩に捕まり、斬首刑にされた。刀一つで戦える時代の終わりはすぐ隣まで迫っている。
 誰がどう見てもこの先の戦、全てが負け戦だ。

 ——それだというのに。

「……俺だ」
「……なんだと?」
「俺が新選組だ……!」
「副長……あんたまだ…………そうかい、それじゃあな。あんたはそうやって死ぬまでやってりゃいい」

 新選組に囚われているのか、土方の全てが新選組なのか。
 きっとそのどっちでもない。

「……………死ぬまでやってりゃいいさ」

 短く切られた毛先が風に揺れる。どんな瞬間だって見続けていた背中が遠ざかっていく。

 ——副長、あんたは、近藤局長の夢に囚われてるんだろうな。
 武士になりたいと、片田舎の道場で恥ずかしそうに零したあの小さな夢に……。

 暗転し迎えた朝、白地に會と書かれた幾つもの旗に混じって赤地の布に白いだんだら模様の旗が一つ。真ん中には金糸で誠と大きく刺繍されている。

「悪いねぇ、俺の下に配属されたのが運の尽きでよ」
「いいえ組長。僕たちは最後まで誠の旗の元、刀を振るいます」
「そうだな」

 斎藤は一度深呼吸をすれば、左右の腰に差している刀を引き抜き両手で二本の刀をきつく握り絞めた。

 大砲や銃の嵐の中でも立ち止まりはしない。何処までも突き進んでいく。この刀が届くその場所まで。
 誠の旗に己の武士道を乗せ魂を律せよ。二本の刀に死んで逝った仲間の意思を纏わせろ。走れ走れ走れ——!

 俺の誠を貫き通す為に!

「会津中将お預かり浪士隊、新選組三番隊隊長斎藤一! 誠の旗の元、推して参る!!」

 駆け出した斎藤の背中を追うように、浅葱色の羽織を着た男たちが刀を片手に走り抜けていく。

「手加減無用! 歯向かう奴ら全て斬れ!!」

 銃声が響き渡る度に浅葱色の隊服を着ている男が一人、また一人と地面に伏していく。
 激しさを増す戦場に木霊する怒号は収まることを知らない。銃弾の雨は止む気配を見せやしない。それでも斎藤は二本の刀を振り続けた。一人、また一人と立て続けに真っ赤な花を咲かせる。誠の旗に掛けた己の誠を貫く為に。

 

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