糸括

 かつてのマスターと再会を果たした。とはいえ、体感的に恐らく多く見積っても一週間やそこら。もしかしたら一夜の別れのようだったのかもしれない。
 久し振りのようで、つい昨日まで会っていたような、妙に腹に溜まる感覚を斎藤は千尋に会ったその日から抱いていた。
 眠りから覚めたら未来にいるのにも関わらず、知識だけは一丁前に持っているときた。カルデアの外に一歩も足を出していない斎藤が未来を感じるものと言っても数少ないが、その中でも大きいのは千尋の存在だった。

 だが、本当にあの時の少女と同じ人物なのだろうか。そんな疑いが斎藤の中に時折現れては泡のように弾けて消える。
 それはあまりにも斎藤が知っている千尋という人物と、他人の口で聞く人物像がかけ離れているからだ。
 斎藤の記憶の中に存在している少女は、喜怒哀楽の一つ一つを見本と思わんばかりに、丁寧に表情を変えていく。そんな中でも溌剌とした笑みは青空の下で良く映えた。が、このカルデアの職員曰、斎条千尋──藤田千尋の印象は真逆とも言って良いものだった。表情の変化が少なく、笑っているところはあまり見ない。そもそも三日に一度程度しかその姿を見ないという。あの子はツチノコにでもなったのかい。そう笑っていた斎藤も、廊下で再会をしたあの日以降一度も千尋の姿を見ていない。

「どういうことだと思いますー? マスターちゃん」
「どうもこうも、なんで千尋さんのこと探してんの?」
「それは置いといて、ホントにこの施設の中にあの子いるんです?」
「いるよ。多分、ボイラー室か機械室か電気室かサーバー室、地下食糧庫、図書館、うーん、シミュレーションルームか自室に籠っているか管制室にいるか、次のレイシフトについてドクターたちと打ち合わせをしているのかも」

 ティールームで僅かな休憩時間を寛いでいた藤丸の前に遠慮なく座ったサーヴァントは、召喚されて一週間しか経っていない新参者だ。黒いスーツを身に纏う男は、二本の刀をぶら下げながらもスーツを着こなしている。スーツ姿で刀を差してるのはミスマッチに思えるのに、どうしてか、斎藤一という男を見ると違和感を感じないどころか、似合っているという感想まで抱くのだから不思議なものである。というのは、斎藤を召喚した日に藤丸が後輩に語った内容だ。

「あの子、なんでそんなに動き回っているわけ……?」
「仕事が沢山あるんだって。オレにも手伝えることがあったらいいのに」
「少ない職員でこの施設を支えてんのか……新選組ですらもう少しまともな運営をしてたわ」

 嘘だろ……。そう呟きながら丸いテーブルに肘をつき、蟀谷を指を当て項垂れている斎藤を前に、藤丸はエミヤお手製のプリンをスプーンですくって舌の上に転がした。ひんやりとしていながら、卵の甘みとカラメルソースのほろ苦い甘さを楽しんでいれば、正面に勝手に腰をかけている斎藤が大きな溜息を吐いた。
 どうしてそこまで一人の職員を気に掛けるのだろうか。と行儀悪くも口にスプーンを咥えたまま小首を傾げれば、視線に気が付いた斎藤が藤丸を見て眉尻を下げた。

「一ちゃんはさ、どうして千尋さんが気になるの? 子孫だから?」
「んー、あー……ちょっとねぇ。色々とあんのよ。大人には」
「……ま、話さなくていいけどさ。もしただの興味本位なら止めて欲しいなって」
「それはねぇから安心してくれよ。マスターちゃん」

 目を細めて弧を描いた斎藤は、自分よりうんと幼いマスターの頭を撫でると探し人を求めて席を立った。先ずは機械室から。
 全身から気怠い雰囲気を醸し出している斎藤の脚は中々に早く、すれ違った職員に挨拶をされても「どーも」と言って横を通り抜ける。タブレットを片手に挨拶をしてくれる職員の顔はこの一週間で何度も見かけた。医務室に根城を張っている所長代理の顔すら一週間の間に二、三度見ている。なのに、補佐の方を全く見かけないのは、むしろ避けられているのではないだろうか。

 ──避けるか……? 千尋が? 俺を? なんで?

 避けられているとしか思えない現状ではあるが、斎藤の中に避けられる原因が見当たらない。聖杯戦争で勝利を手に出来なかったからか? そりゃ、僕だって勝ちたかったですけど。かと言って、千尋は過去のことをそこまで気にして避けるような女だっただろうか。
 そうじゃねえんだろうな。もっと、根本的に何かが違っている気がする。

 斎藤の重たくも素早い足取りから逃れるように、どの部屋を訪ねても斎藤は千尋に会うことは出来なかった。

 同日の夜。大人ですら眠る時間に斎藤はふらりと食堂に足を運んだ。夜間の人の動きを覚えておこうという心積もりだったが、斎藤は千尋を探してカルデアの施設を歩き周っていた所為で、夕食が些か足りていなかった。もっとも“気がする”ってだけの話だが。
 案外俺もまだ若いってことかぁ? なんて、困った笑みを浮かべながら食堂の中に入れば、薄暗い部屋の中に一人の姿を見つけた。小さいその後姿は女のもので、こんな夜中に女が一人いるのも不自然に見えた斎藤は、一度足を止め遠巻きにその姿を見つめていれば、不意に女が顔を上げ壁に掛かっている時計を見たその横顔は求めていた女の顔だった。

「……千尋」
「っ! なんだセイバーか」
「こんな時間まで仕事かい? ご苦労なことで」

 斎藤は大股で歩いて千尋の前に腰をかけると、テーブルに肘をついて頬杖をした。女の一挙手一投足全てを見逃さないと言わんばかりに斎藤が千尋を見つめるも、視線を浴びている本人は気にも留めず、テーブルの上に置いてあるトレーに乗せられているおかずを箸で持ち上げて口に運ぶ。咀嚼し、飲み込んで、また口に入れて。そんな動きを二度繰り返した後に千尋は斎藤の視線に気が付き頭を傾けた。

「なんで此処にいるの?」
「そりゃあ、食堂に来るなんて用事は一つしかないでしょ」
「ご飯? 何か作ろうか?」
「いやいい。あんたはそこに座ってな。適当に自分で作ってくるよ」

 椅子が床に擦れる音を響かせながら立ち上がった斎藤はそのまま厨房の方に姿を消し、それを見届けた千尋は箸を茶碗の上に置いて手首に付けている通信機器を無意味に触って空虚な時間を浪費することにした。
 隣接している厨房から醤油と出汁の匂いがし始めたと同時に、何かを切る包丁の音が小さく聞こえる。生活音と呼ばれる音に耳を傾けた千尋はゆっくりと息を吐いて口の端を緩く上げる。疑似的ではあるが、今この時間は二人だけのものなんだと蕾から開花する花の如くゆっくりと実感し、身体の内側がほんのりと熱を上げる。

 なんか、落ち着く。

 ほどなくして戻って来た斎藤が、食べ終わっていない千尋のトレーを見て一瞬、まばたきをするもすぐに察し笑みを浮かべたまま、もう一度正面を陣取った。

「それじゃ頂きますか」
「頂きます」
「頂きます」

 二人同時に両手を合わせて小さく頭を下げ箸を手に取り、千尋は白米を、斎藤は湯気の立つそばを口に入れる。
 あのいい匂いの正体はお蕎麦だったのか。と器の中で自由に揺蕩っている麵を一瞥した千尋は、白い皿の中からコロッケを摘まみ、そのまま斎藤が左手を添えている器の中に入れた。ソースも何も掛けていないから味が喧嘩することもないだろう。

「なあに? くれんの?」
「ん、セイバー、コロッケ気に入っていたでしょ。確か」
「おー、やっぱり肉屋のコロッケは美味いもんだわ」
「そうだね」

 受け答えがあの時よりもずっと大人しくなったのは、それだけの歳と人生経験を重ねたからだろうか。
 十年、いや、十二年も経てばあの頃の少女の面影は何処かに消えてしまもんなんだな。変わらない方が難しいとわかっているつもりでも、喜怒哀楽の変化が小さくなってしまったかつての少女を前に斎藤は無情にも過ぎる時の流れの偉大さを思い知った。

「俺がいなくなったあとの話しって聞いてもいい感じ?」
「セイバーが聞いても楽しくないかもよ」
「聞きたいだろ。あんたが見て経験したものなら、なんでも」

 自由になりたいと願い泣いた少女は今の今までどんな人生を歩んできたのだろうか。聖杯に願った世界旅行には行けたのだろうか。叶わず魔術師としての道を歩んだのだろうか。どんなことでもいい、どんな些細なことでも知りたい。否、知るべきだ。
 斎藤は最後の麺を胃袋の中に収めて「ご馳走さん」と律義にも両手を合わせたあと、そのままもう一度頬杖をついた。
 何も言わずに千尋を見つめる視線は千尋の半生を語るように促している。一瞬茶色の瞳から逸らしてテーブルが続いている空間に目を向けて、もう一度戻すもまだ茶色の瞳が見つめている。
 逃げ切れないと唇を噛んだ千尋が観念し溜息をゆっくりと吐いた。

「………………京都に、行った」
「は? なんで」
「セイバーが、どんな人生を、過ごしていたのかなって、取り敢えず京都に行って、最後に会津若松に行ったよ」
「……そりゃあ……随分とまあ……」

 何と言葉にしたらいいのかがわからない斎藤は、何度か瞬きを繰り返し頬を紅色に染める千尋を見つめる。色々と思うところはある。どうしてそんな旅をしようと思ったのか、とか、あの家から自由になれたのか。とか。それでも斎藤の胸の内を支配しているのは、言い知れない喜びだった。

「それで? どうだったの?」
「楽しかったよ。いい出会いもあったし、発見もあった。こんなところで過ごしたんだなぁとか、どんな思いで戦っていたのかなぁとか……」
「なんかくすぐったいねぇ」

 心の外側を擽られている感覚に、斎藤はへらりと笑って見せ、最後の一口を飲み込んだ千尋に視線を向け思考を止めた。
 自分は今、この女が最後の飯を食べた所を見た。確実に。それなのに、どうしてこの女は空の茶碗に向かって箸を刺し空気をすくって口にしているんだろうか。

「あの〜千尋さん? それ何食べてるの?」
「八木邸とか、二条城とか行ったよ。資料館とか行ってどんな活躍をしていたのかとか全部見た」
「うん。わかった。で? なんで空気を食ってんだ? ていうか若干会話成り立ってないよね? わかる?」

 全ての語尾に疑問符が付くのは仕方がない事情だった。
 いつの間にか朧げな瞳に変化していた千尋は飽きもせずに空気を食している。何が怖いって、ちゃんと咀嚼して飲み込んでいるのだ。

「ちょっ、これ、どうすべきなの」
「そう言う時はこうしてやってくれ」

 突然現れた村正の存在に驚いている間に、赤茶の髪をしている男が手刀で千尋の意識を奪い取った。身体から力を失った千尋は、持っていた箸と茶碗を床に落とし、カランと静かな空間に軽い音が響き渡る。

「こいつは限界まで頑張っちまう奴でな。気力で身体を動かしている馬鹿なんだ」
「あー、うん。それは何となく」
「あんたこいつと知り合いなんだろ? 目が座っていたら遠慮なく意識落してやってくんねえか。何日も寝ずに作業しやがって、身体に悪いっちゃあありゃしねぇ」

 女の子相手に今の手刀は許されるものなのか。と疑問を覚える斎藤の目の前で村正が深く眠っている千尋を横抱きにしていた。多分自室に連れて行くのだろうと予測が立つが、役目を代るとは言えない。今、自分は藤丸立香のサーヴァントであって、千尋のサーヴァントではない。しかも、正式なサーヴァントが連れて行くのだ。役目を奪う理由が何処にもない。

「……千尋のこと、頼んだ」
「おう」

 武士ではないと豪語する割にがっしりとした身体をしている鍛冶師に抱えながら食堂を出て行く千尋の垂れる髪を見つめ、斎藤は頬杖をついていた手で口元を覆った。指で隠れきれなかった部分から見える肌が薄く紅を差している。

「あー、くそッ。狡いでしょ。あんなの」

 自分を想って同じ景色を見てくれたのかと。繋がりが断ち切れてもまだ繋がりを求めてくれていたのではないのだろうか。そんな考えが男の腹の底を熱くさせた。
 昼間に比べて肌寒さを感じる施設内だというのにも関わらず、斎藤は籠る熱をゆっくりと吐き出した。

 真夜中に融ける吐息は朝陽が昇る頃には霧散し、誰にも気付かれないのだろう。それでいい。それがいい。誰にでも見せるもんじゃねえ。
 男の腹に籠る熱の温度は誰にも知られずに朝を迎えた。

 

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