楊貴妃

 藤丸とマシュがサーヴァントを引き連れて食料狩りという名のレイシフトに行ったあと、千尋は自室に篭りシステム調整を行っていた。
 今回のレイシフトは普段のものと違って、食料を狩れるだけ狩ってくればいいという簡単なもの。存在証明さえきちんとされていれば、問題なく任務を完了させることが出来るだろう。ロマニが管制室に残ることになり、違う仕事が出来るようになった千尋は意気揚々と自室に篭ってパネルを操作していたが、どうしてか、自室に戻って五分もしないうちにかつてのサーヴァントが姿を現したのだ。

「千尋ちゃん、久し振りー」
「…………なんで来たの?」
「中々捕まらないからさ、家宅侵入しちゃえって思って。よかったよ、千尋ちゃんが自室にいてくれて」

 元警察官が一体何を言っているんだ。と言葉にしないでも千尋の冷めた視線が雄弁に語っている。しかし、そんなものを気にしない斎藤がへらりと笑いながら、千尋に近付きこの部屋に備え付けられているベッドに腰を掛け、両手で上半身を支えるように皺のないシーツに大小様々な皺を作った。
 初めて入った部屋の内装が気になるのか、天井や壁や床に視線を向けてる。何を考えているのかいまいちわからない表情を浮かべたままポツリと呟いた。

「何も置いてないのか?」
「うん? ……あぁ、インテリアの話し? 備え付けのもので十分だし、寝るだけの部屋に拘ったって仕方ないじゃない」
「僕、千尋のサーヴァントに“目が座ってたら遠慮なく落とせ”って言われたんだけど」
「村正ったら過保護だなぁ。無視しちゃってもいいからね。あのおじいちゃん、世話焼きというかなんというか……」

 眉尻を下げあからさまに困っています、と顔を作っているものの、千尋の口元は上がっており、言葉を内心が一致していないことは明らかだった。

 頼れる存在が出来たのだと思えば嬉しい成長だが、その一人がサーヴァントというのが斎藤に引っ掛かりを持たせる。人間なら兎も角サーヴァントなんて明日いなくなってもおかしくない存在だ。己が聖杯戦争の最中で座に還ったように、このカルデアの中にいるサーヴァントだっていつ退去するのかわかったものではない。
 設備として魔力は潤沢に貰っているが、何があるかわからない。この施設の立ち位置がはっきりとは掴めないが、千尋の役職が“所長代理補佐”だという。とどのつまり、この施設には正式な責任者がいないということだ。この外界から隔離されたこの施設でそんなことが起こるとなれば、内乱が一番真っ先に上がるが……その線は薄いだろう。未来を書き換えるなら兎も角、未来を観測するだけの施設で戦いを起こす理由がない。
 責任者が辞任し自害するとしても、次の責任者が決まり所長として名乗る。それすらも出来ていない状況と考えれば、外部からの攻撃を受け正規の所長が死亡。その後急ごしらえで代理を立て今に至る、というのが斎藤の考えるカルデアの現状だ。
 サーヴァントはそこら辺の人間に比べて優れているが、それは活動エネルギーである魔力が与えられているからであって、それが絶たれれば退去するしかない。

「……まあ、そんなことはどうでもいいんだけどさ」
「言っておきながら酷くない?」
「僕さ、どうしても千尋に聞きたいことがあるんだけど」
「一時間後でもいいですか。システム調整に時間がかかるから、休憩の合間に質問に答えるよ」

 パネルの操作に戻った千尋の背中を眺めている斎藤を他所に、千尋は黙々と仕事に取り掛かり、結果として千尋の集中力が完全に切れたのは長針と短針が二度重なった後だった。
 背凭れに体重を預けて天井を仰ぎ見る千尋の横顔を眺めている斎藤は、引き攣った表情を隠しもしない。この二時間の間千尋は席を立つことも、肩の力を抜くことも一切しなかった。一般的に集中力は一時間程度だ。それを軽々と越えている二時間という時間は、斎藤の目にあまりにも異様に映ったが、思えば、何かと負けず嫌いな元主は、剣術に対しても真面目に取り組んでいたと少し前の出来事を思い起こした。

「話し掛けてもいいか?」
「んー、いいよぉ。なんか質問があったんだっけ」
「そう。あんたが京に行った理由が知りたいって思ったら夜も眠れなくなっちゃって。見てこの隈、酷いもんでしょ」

 自分の目元を指差しながら笑ってみせる斎藤を尻目に、千尋は椅子から立ち上がり電子ケトルに水を入れた。疲れが見て取れるゆったりとした動きで戸棚に収納されているマグカップを二つ取り出して中にインスタントコーヒーの粉を入れると、電気ケトルがお湯を作った合図を出し、ゆっくりとマグカップにお湯を注いだ。
 この苦みと酸味が美味しいと語る人間の前に、千尋は口を噤んで作り笑いを浮かべるしか出来ない程度にコーヒーを得意としていない。それでも毎日口にするのは、カフェインを摂取していないと眠ってしまうからだ。

「それ、ギャグかなんかなの? 京都に行った理由なんてそんなの、セイバーを知りたかったからだよ」

 両手にマグカップを持った千尋は、その内の一つを斎藤に手渡し自分は再び席に戻りテーブルにマグカップを置いた。

「どーもね。なんで一ちゃんのことを知りたいって思ったのって話なわけよ」
「自分と一緒に戦ってくれた人のことを知りたいって思うのは普通のことじゃないの」
「あー、成程。そっちが先だったわけか」

 なるほどな。と繰り返した斎藤はマグカップを持っていない方の手で髪を乱すように掻くと、息を吐いて真剣な眼差しを千尋に向ける。
 感情がどこにも載っていないようにも見えるのに、感情が表情に出ているようにも見えるその眼差しを前に、女の心臓が小さく跳ねる。何度か見て来た憂いすら感じる茶色の眼差しに何度胸が高鳴るのだろう。
 何も知らないのが狡い。

「俺とあんたの関係って?」
「元マスターと元サーヴァント」
「他には?」
「…………先祖と子孫。性格には高祖父と玄孫だね」
「了解。そこまで知ってんのね」

 両手を胸の高さまで持ち上げ、掌を千尋に見せた斎藤は左上に一度視線を泳がせた。
 誰かが言っていたが、左上に視線を向けたら何かを思い出そうとしているのだと。そしてそれは一瞬の出来事であるが、無意識にやっているが故の行動だから注視した方がいいと。
 斎藤は何を思い出しているのだろうか。そんな疑問がぽんと浮かんですぐに霧散した。

「なぁーんか、なぁ」
「何よー」
「いじらしいねぇってな」
「ぅえ?」
 
 いじらしい? いじらしいとは? いじらしいとはなんだっけ?

 ぐるぐると視線を彷徨わせて斎藤の言ういじらしいの意味を見出そうとしている千尋に近付いた斎藤は、上半身を倒して千尋の顔に近付けると、千尋の顔に影が浮かんだ。彷徨わせていた視線を茶色の右目に合わせれば、口の端を緩ませている。視界の端で腕が伸びて頭の上に重みが僅かに加わった。
 十年以上忘却の彼方に飛んで行ったはずの知っていた重さは、たった一瞬で懐かしさを連れて蘇る。触れたその刹那だけ戸惑いを走らせるその掌は、無遠慮に千尋の髪を乱していく。

「な、なに……?!」
「照れくせぇことするじゃん。一ちゃん、きゅんってしちゃった」
「きゅ、きゅん?!」
「それで? どう思ったよ。俺たち新選組の生き様は」

 凪いでいる海の如く穏やかな表情を浮かべた斎藤は、千尋の頭に掌を置いたまま尋ねた。京都を訪問したのはもう何年も前の話しで、全ての景色を覚えているわけじゃない。それでも、どうしてか斎藤の双眸に魅せられた千尋の脳裏には、泥臭くも血生臭い鋭い切れ味をその志に宿したあの人たちの姿が映像として蘇る。
 一度目は夢の中で。斎藤の記憶の一部を覗き見た。散り散りになっていく仲間を前に、顔を顰めて心の内で涙を流していた。
 二度目は話の中で。京都を訪問し、彼らの足跡を辿った。八木邸、東本願寺、壬生寺、二条城、そして京の街並み。今も残る彼らの生きた証に生きていた頃の斎藤を想った。

 夢を見なければきっと想像も出来なかった。話を聞かなければ理解が出来なかった。
 どうして汚れ役を承ったのか。どうして刀が廃れ行く時代に武士を目指したのか。どうして国の行く末を憂うことが出来たのか。その刀にどんな志を宿したのか。新選組にとって局長と副長がどれだけ精神的主柱だったのか。斎藤がどうして会津という地で立ち止まったのか。
 わからないこと、知らなかったこと。その全てを理解する為には夢も証も全て必要だった。

 刀に懸けた志士の心を前に、千尋は何度涙を流したことだろうか。
 己が聖杯に懸けた望みは“自由になりたい”。今思えば自力で何とかなりそうな願いだった。己の意思が弱いから、聖杯戦争に全てを託すしかない。当時そんなことを真剣に考えていたが、結果的に聖杯を手に入れなくとも叶えることが出来た。そんな願いだ。

 ──それなのにセイバーは私を否定しなかった。

 彼らが成し遂げたかったのは、国の平穏と武士としての在り方。
 ただの百姓の集まりに過ぎない彼らが、武士を志して、最期まで象徴である刀を捨てなかった。銃が主流になり時代遅れと言われようと、信じたものを貫き通す強い意思。

 それらは全て千尋に持っていないものだった。
 死して尚それは変わらず、英霊として刀を振るうその姿に何度千尋の心が大きく跳ね、小さな、誰かに背中を押してもらわないといけないような、ちっぽけな夢に向かって歩く足を強めてくれたのだろうか。

「有り体に言えば、格好良いと思ったよ」
「うんうん」
「昔も、あの頃も、今も、ずっとセイバーの在り方は変わらなくて、私はそんな姿を見る度に好きになっていくんだと思う」

 そう、初めて自覚した初恋。時効となって消えたとばかり思っていたその想い。賭けに勝ったのだからこの恋は諦める必要がない。だってこの人は私が愛した人なのだから。

 眼前にある斎藤が一瞬動きを止め、即座に離れようと上半身に力を入れて起き上がろうとするが、千尋の小さな両手が斎藤の頬に触れる方が速かった。己に近い体温に包まれた斎藤は逃げる道を失い、目を皿にしたまま女を直視している。
 今この娘は何と言ったんだ。違う。そうじゃない。少女が言っているのはそういう意味じゃない。
 必死に現状を否定している斎藤を嘲笑うかのように、警報が煩いくらいに響き、耳元まで近付いた心臓が嫌な音を立てている。

 嫋やかに、それでいて強かな微笑みを浮かべている女の顔が斎藤の意識を搔っ攫っていく。

 ──あ、もう、俺の知っている娘じゃない。
 これは間違いなく──女だ。

 幼い娘として見ていたあの少女は、いつの間にか立派な大人に成長をしていたらしい。
 再会してからもう何度か会っているというのに、斎藤はその事実に漸く気が付き、現状に焦りを覚えた。

 いやいやいや、流石に僕はダメでしょ。千尋ちゃんさあ。

 心の内では良く回る口も回るの内心だけで、喉が震えず唇が一文字に結ばれたまま動こうとしない。
 耳の内側で警報と心音が鳴り響く中、からん、と下駄が鳴る音が妙にクリアに聞こえた。

「あ、もう私のセイバーじゃないんだから、セイバーのことなんて呼ぼうか」

 全く関係のない話に飛んで行ったことに安堵を覚えた斎藤は、起き上がることを諦め膝を折ってしゃがむ。すると逃がさないと言わんばかりに己の頬を包んでいた小さな手がすんなりと離れていき、頬にほんのりと冷たさを感じた。

「一ちゃんでもなんでも、好きなように呼んでくれ」
「どうしようか、斎藤さん? 斎藤くん? 一ちゃん? それとも、一さん?」
「──ッ」

 どこで覚えて来たのか、最後の呼び名は妙な色気を纏わせている。再び、からん、と音が遠くで聞こえ斎藤は頭を抱えた。

「最後のはナシな。それ以外なら何でもいいわ」
「うーん。じゃあ斎藤さん、かな。一番呼びやすいし」
「ソウシテクダサイ」

 短い藍鼠色の髪を乱暴に乱した斎藤は視線を足元に下げ大きな溜息を吐いた。瞬間視界の端に映った己よりもうんと小さい女の足を見て頭を左右に大きく振った。

 ──俺は鹿じゃないっての!

 明らかに挙動がおかしい斎藤を前に、千尋は笑みを深めた。
 さぁ、これからどうやって攻略してやろうか。口には出さなくとも、弧を描いている千尋の瞳が雄弁に語っていることを、斎藤は気が付かないでいる。

 

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