「──此処に、聖杯戦線を宣言する!」
毎日のように吹雪いている外が、今日最初の明かりを伴って新しい日常を連れてくる。
各々が眠りから覚め、今日も美味しい朝餉をありがとうと、キッチンでその腕を奮っている英雄たちに感謝をし、ゆっくりと本日一番の楽しみを嗜んでいる時のことだった。
食堂に響き渡るスピーカー越しのダ・ヴィンチの声は、活き活きとしている。もしこれが“本日もおはようございます”。みたいな挨拶だったら、“機材のテストかな”なんて思えるのに。
まぁいいや。どうせ関係の無い話だ。とダ・ヴィンチの宣言を意図も容易く切り捨て、ブーディカ手製のスパムとエッグのホットサンドにかぶりつく。
「嬢ちゃんは今の放送、なんか知ってんのか?」
ランサーの時とは違い、どことなく知性を感じる出で立ちをしているクー・フーリンがふらりとやって来た。
サーヴァントなら誰しもが気になる情報がたった今流れたのだ。顔見知りのカルデア幹部が近くにいれば、内容の一つや二つを聞こうというものだ。
「……いえ? 何も。昨日も何も聞いてないので、多分私には関係のない話なんだと思います」
かぶりついたホットサンドを咀嚼し、飲み込んだ千尋の喉がゴクリと鳴った。
ケチャップベースのソースが喉を通り過ぎると同時に、喉に小骨が引っかかった違和感を覚え、瞬きよりも短く眉間に皺を寄せた。
「ほーん」
「なんですか。にやにやして。何かあるなら言ってください」
「アンタ今、巻き込まれるかもって顔してたぞ」
「いやいやいやいや。そんな馬鹿な」
昨日と同じ生活の始まりに、そんな不吉なことを言わないで欲しい。極力表情を消してクー・フーリンを見上げるも、ルーン魔術の師である男には千尋の虚勢も、直感も見破られているらしく、眉尻と口角を上げ面白いものを見る目で見下ろしている。
大体なんだ聖杯戦線とは。聖杯と名を冠するだけあって、聖杯と何かしらの関わりがあるのだろうけど、一体どこからその聖杯を手に入れたと言うんだ。いやいや、でも、もしかしたらイベントを盛り上げる為の演出かもしれない。あー、でも相手はダ・ヴィンチちゃんだし、もしかしたら「勝者にはこの聖杯をプレゼント」くらい言ってくるかもしれない。
いやいやいやいや。そんな馬鹿な。流石にダ・ヴィンチだってそんなことしない。彼女ないし彼は聖杯の価値を分かっているのだから。
「勝利したマスターには、この聖杯をプレゼントしよう!」
そのまさかだった。
管制室の一角で高らかに宣言し、見せ付けんばかりに掲げるダ・ヴィンチの手には黄金に輝く聖杯が握られている。
一体どこで手に入れたというのだろうか。そんな疑問さえ持つことは許されないと言わんばかりの、当然という態度を前に千尋は考えることを放棄した。
勿論、最も高貴な娯楽は理解することだと言っていたらしいダ・ヴィンチに対しての皮肉だが、そんなことを知ったところでダ・ヴィンチは聖杯戦線とやらを止めないし、美が体現しているその姿で人差し指を立て、「思考を止めることは人生を放棄したのと同じだよ。追求し理解し、また新しいものを追い求める。それが楽しいんじゃないか」と言うのだろう。
「ダ・ヴィンチちゃんその聖杯どこで見つけていたの?」
「私も出処が気になります」
人生の娯楽を捨てた千尋の隣で、好奇心が止まらない若人二人が純粋な眼差しでダ・ヴィンチを射貫く。
片目を閉じて人差し指を立てると、口の端をきゅっと上げた。レオナルド・ダ・ヴィンチが理想としている女性像とあってか、その姿は嫌味なほど似合っている。
「私の工房に置いてあったんだよ。よく言うだろう、情けは人の為ならず、ってね」
「そんなことが! 確かに徳を積むという言葉もあるように、いい意味での因果応報なのかもしれません」
両手で握り拳を作るマシュの隣で藤丸が不意に小首を傾げた。
「情けはって、そういう意味だっけ?」
「正しくはそうね。誤用して使っている人が多いけど、正しい意味としては、情けを人にかけていれば、巡り巡って恩恵が自分に返って来るって意味よ」
「千尋さん物知りだね」
「それなりに生きているからね。──というか、勝利したマスターってどういう意味なの? ダ・ヴィンチ女史」
勝利したサーヴァントならわかる。サーヴァントに気安く聖杯を与えるものではないが、戦うというのであれば、やはりサーヴァント同士の戦いが頭に思い浮かぶ。が、ダ・ヴィンチは“勝利したマスターに”と言った。つまり、マスター同士の戦いの可能性が高い、というわけだ。
このカルデアにマスター適正があるのは、藤丸とムニエル、それに千尋の三名。それなのに、この管制室に呼ばれているのは藤丸と千尋だけだ。
朝感じていた違和感の正体が説明される前にわかった千尋は、そっと気配を消してその場から立ち去ろうとするも、一歩及ばずダ・ヴィンチに名前を呼ばれてしまった。
「千尋、何処に行く気なのかな」
「私には関係のない話だから聞かない方が良いと判断したまでよ」
「それはないね。頭の良い君のことだ。私が何を言うつもりなのか、もう想像が付いているんだろう? ──その通り、この聖杯戦線、戦ってもらうのは藤丸くんと千尋だ!」
管制室に響き渡る宣言で始まった聖杯戦線。ダ・ヴィンチに手渡されたタブレットにはカルデアに召喚されたサーヴァントの名前と顔の画像が一覧になっている画面が写っており、好きなサーヴァント、共に戦いたいサーヴァントを最大五騎まで選択出来るようだ。
「これ、どのサーヴァントを選んだかは勿論相手にはわからないんでしょうね」
「勿論だよ」
「えー、五騎かぁ……選ぶの難しいあ」
タブレットの画面を端から端まで見て、指先で画面を上下に動かしている藤丸は「うーん。此処はバーサーカーって行きたいところだけど、流石に全部バーサーカーだったら指示出来ないしなぁ」と唸りながらタブレットに噛り付いている。
その横で千尋はお目当てのサーヴァントを見つけると、アイコンをタップし操作を終わらせた。
「おや、もう終わりかい? じっくり考えた……って聞く必要もなかったね」
「勿論。最高の組み合わせをセレクトしたつもりよ」
「千尋さん選ぶの早! 千尋さん仲のいいサーヴァント多いし、多分、千子村正とキャスターのクー・フーリンは入ってるんだろうなぁ。ジャンヌとも仲いいし、沖田ちゃんとも仲が良いし、一ちゃんとも仲が良いよね。ロビンとも仲いいし、ヘラクレスとも会話してるところ見たことあるし……って言うか、会話どうやってしてんだろう。オレ一方的にもんじゃ焼きの話ししかしたことがないよ」
「先輩! 話が逸れてしまっています!」
画面を暗くし、伏せた状態のままダ・ヴィンチにタブレットを手渡した千尋は、彼女ないし彼の耳元に唇を近付け、藤丸に聞こえないよう、見えないように口元を手で隠しながら唇を動かした。
「持参したいものがあるんだけどいいかしら」
「いいとも。そう言うサプライズは大好きさ」
「そう言うと思ったわ」
瞳が弧を描き、千尋はふらりとダ・ヴィンチから離れ管制室から出て行こうと背中を向ける。その背中に「シミュレーションルームAで待っているよ」とダ・ヴィンチが声を掛ければ千尋は右手を上げて管制室を後にした。やっぱりバーサーカーしかいないのでは。と呟く藤丸の横でマシュがもう少し考えましょうと誘導している声が、閉まる扉に掻き消された。
広い廊下に出て向かう先は自室、ではなく、数少ない時間を過ごす趣味が半分開発半分の工学室だ。その部屋の中には千尋がカルデアで従事し始めてから約十年、作り上げて来た様々なものがある。その中の機材をいくつかを手に取り、パソコンを立ち上げ、コードを繋いで接続し画面に映っているグラフをパソコンと接続している掌サイズの人型人形に読み込ませて登録させていく。
「未完成だけど、ま、いっか」
十体程度の人形に情報を読み込ませた千尋は両腕に小さめの紙袋の中に仕舞うと部屋を出た。するとたまたま前を通りかかっていた斎藤と出くわし、驚いた千尋が足を一歩後ろに下げ背中を逸らせるも、斎藤の腕が千尋の背中に伸び抱きとめた。
「あっぶねぇ。もう少しで頭と扉がぶつかるところだったぜ」
「──! ありがとうセイ……斎藤さん」
「どういたしまして。どっか急ぎのようでもあんの?」
「そう、朝の放送で流れた聖杯戦線に参加することになってね」
「なるほどなぁ。それってどういうシステムなわけ? 俺たちサーヴァントにはその辺の情報って降りて来てないのよ」
「そうなんだ。あのね──」
広い廊下を二人並んで歩いていれば、幾人かのスタッフやサーヴァントたちとすれ違う。一瞥する者もいれば、全く視線を向けない者もいる。そう言う集団の集まりの中で、千尋と斎藤の距離は近い分類に入る。お互いがお互いのパーソナルスペースの中に入っている。密接距離と保つ二人は他者にとって、親しい間柄何だろうと容易く連想させる。実際千尋にとって斎藤という存在は親しい千尋はフレキシブルなバウンダリーを構築しているが、斎藤という存在が境界の構築に大きな影響を及ぼしている。
「なるほど……それであんたは誰を選んだんだわけ? 一ちゃんを選んでくれたりした?」
「いや? 普通に違うサーヴァントにしたけど……」
「なんで?」
「だって斎藤さんにする理由ってある?」
純粋な瞳で斎藤を見上げる千尋は小首を傾げている。
合理的選択をした末に捨てられたのだと考えるまでもなくわかるその一言に、斎藤の何かが触れた。
「あんなに一緒に戦ったのに、僕を容易く捨てるんですか。いいんですよ。僕はいつだって選ばれるのを待つだけの立場なもんで」
「うーん。なんかしっくり来ないかなって」
「しっくり……」
それが理由で除外されたとなれば、間違いなく“しっくりくる”サーヴァントがいるわけだ。そのサーヴァントは間違いなくあの刀鍛冶だ。
「それ、マスターちゃんももう決めたの?」
「さぁ? 私が管制室を後にした時にはまだ迷ってたけど。熟考しているみたいだし、もしかしたらまだ考えてるかも」
「そうか」
千尋から視線を逸らした斎藤は腰に差している刀に手を置いた。
何かを企んでいる表情を浮かべている男を前に、本日二度目である千尋の直感が正解を告げる。
「まさか……!」
「そのまさかだったりして。面白そうだろ、僕は面白いことが好きなんでね」
遠回しに参加すると表明した斎藤を前に千尋の表情が一瞬暗くなる。
敵に回るのが悲しいとか、怖いとかそういう類のものではない。ただ単純に無敵流の始祖である斎藤一という剣士と敵対し、何処まで通じるのだろうかと想像した瞬間に負けをイメージしてしまったからである。
試合が始まる前に負けを決めるなんてあまりにも早すぎるが、大きすぎる実力の違いに気が早いも何もない。
勝とう気合がないわけではないが、負けることはしたくはない。試合に負けて勝負に勝つくらいがいい。が、これは中々ないチャンスの一つなのではないのだろうか。己が極めた無敵流が一体何処まで通じるのかを確認することも出来る。
「管制室にいると思うよ」
「ありゃ、引き留めもしないのか。こりゃ中々寂しいねぇ」
「楽しみにしているよ」
敗れる想像をしていたと感じさせない勝気な笑みを前に、斎藤も口の端を上げた。
二人が纏う空気は敵同士であり、戦友であり、師弟であり、同士でもあった。
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