──第一回聖杯戦線の勝利者は藤丸くんだ! 彼にはこの聖杯をプレゼントしよう!
「ありがとうダ・ヴィンチちゃん。って言っても俺、余裕で負けた気がするんだけど」
「何を言ってるんだ。彼がキミを助けて勝利を飾ったじゃないか。確かに千尋を前に何も出来なかったのは愚策だったけどね」
溌剌と笑ってみせるダ・ヴィンチを前に藤丸はがっくりと肩を落とした。この戦いはまさに“試合に勝って勝負に負ける”と言ったところだ。
勝利の盃を手にした藤丸は、腑に落ちないと偽りの勝利の証を睨みつける。真っ直ぐに物事を捉え逃げたりしないのが彼の強みでもあり美点でもある。その様子を眺めていた千尋は、痛む心臓をぐっと抑えて少年の横に立ち、まだ幼さを残している頼りなくも信頼している藤丸の頭に手を伸ばしてそっと撫でた。
「千尋さん?」
「藤丸が頑張っていることは皆知っているよ。焦らないで、自分のペースで強くなっていったらいいの」
「──はい!」
力強く頷く藤丸を見届けた千尋は、一つ頷き祝賀ムードの管制室をこっそりと後にした。この時間、ロマニが医務室にいるはずだと痛む刻印を服の上から押さえながら、広い廊下で壁に手を当てながらゆっくりとした足取りで医務室に向かう途中、耳元で心臓の音が嫌な音を立てている。煩すぎて耳を塞ぎたいのに、塞ぐ手がないのが悔やまれる。
一歩、一歩と酷くゆっくりな足取りで前に進む千尋は不意に後ろから誰かに肩を掴まれた。
「──ッ!」
「千尋ちゃーん? どっか具合でも悪い? 一ちゃんが医務室まで送ってあげるよ」
「さい、とう……さん? っ、どうして此処に? 立香を勝利に導いた立役者がいないなんて、締まるものも締まらないですよ」
何事もなかったことのように掴んでいた服を離して振り返り、へらりと笑ってみせる千尋を前に斎藤は強烈な違和感を覚えた。
一つ、明らかに強く服を握っていた跡が残る皺の多さ。位置的に心の臓だ。
二つ、額に幾つも浮かぶ脂汗。血の気の引いた肌の色が嫌に目立つ。
三つ、聞き慣れない敬語。自分が今、誰に向かって話しているのか混濁している可能性がある。この女は俺に向かってあの日から敬語で話しかけたことはない。ただの一度だって。
目の前の情報を鑑みて千尋の身体に何かがあったのは間違いがない。
斎藤は目を細め千尋を見下ろすも、その視線に気が付いていない女は、困り顔を浮かべたまま斎藤に向かって話し掛けている。
「斎藤さん、気配遮断のスキル持ちでしたっけ? クラスアサシンで召喚されてた……なんてことはないですよね」
「それ、気が付いてねえんだったら、重症だってことで大丈夫なんだよな」
「はい?」
斎藤は千尋に向かって腕を伸ばし、額に掌を当てる。伝わる体温は斎藤のものと差異はなく、熱があるわけではないらしい。と斎藤は可能性を一つ消していく。
風邪じゃねえなら、魔力の使い過ぎか? 次の可能性を為に斎藤は千尋の額に触れている手を滑らせ、いつもよりも頼りない指先に触れる。氷のような冷たさに斎藤は目を皿にし、隠すことなく顔を顰めた。明らかな魔力の使い過ぎだ。が、それにしたって人間ここまで魔力を使って平然とした態度を一瞬でも取れるものなのか。生来魔力と無縁の斎藤は魔術師という生き物についてあまり詳しくはない。だが、斎条千尋という女に対しては知識がある。
仮に立っていることすら辛い状態だとしても、こいつは無理にでも笑みを浮かべるか。と諦めと懐かしさと過ぎた後悔が渦を巻いた感情が腹の中を渦巻くが、頭を振った斎藤は千尋の手を掴み、引き寄せ膝の裏に手を回して持ち上げた。
「斎藤さん?!」
「しっかり捕まってろ。医務室まで飛ばすぞ」
「なん──」
困惑する千尋を抱えながら斎藤はだだっ広い廊下を全速力で駆け抜ける。切り傷打ち身なら詳しくとも魔術師については毛ほどの知識を持ってはいない。腕の中で具合悪くしている女に何一つとして出来ることがないのが苛立ちを増幅させ、思わず斎藤は舌打ちをした。その音は思ったよりも大きく、千尋の耳に入ってしまい、申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「ごめん、斎藤さん」
「あんたが悪いんじゃない。僕があんたに何もしてやれないのが……ちょっとな」
「それは仕方がないよ。違う生き物なんだから。でもね、こうして運んでくれるだけでも、私には凄い嬉しいことなんだよ」
「……あんたがそうやって何でもないことで喜ぶのは、あの頃と変わんねぇもんなのね」
医務室と掲げられた扉を力任せに開けば、目を瞬かせたロマニと目が合った。口元に加えているフォークを見る限り、職務中にまた甘い物を食べていたらしいが、只事ではない二人の様子に医師の顔つきに変わったロマニが、立ち上がり斎藤の腕に抱えられている千尋の頬に触れた。
「何があったか聞いても?」
「あぁ、多分だが魔力の使い過ぎだ。さっきまで聖杯戦線っていうマスターちゃんの腕試しする催しをやってたんだが……」
「あぁ、ダ・ヴィンチがなんかそんなことを放送してたな。それで魔力切れなら休めば何とかなるんじゃ……と言いたいところですが、そういうわけにもいかない理由があるみたいですね。千尋、ボクと会話することは出来るのかい?」
頭上で交わされる会話に入っていけなかった千尋にロマニは問うと、一つ頷き斎藤の腕の中から出ようとお腹に力を入れるも、斎藤が腕の力を強めた為に千尋の足が地面に着くことが出来なかった。
「取り敢えずこいつを寝かせてやってもらってもいいか」
「あ、あぁ。奥のベッドを使ってください」
「了解っと」
ロマニに指示されたベッドに千尋を横たわらせた斎藤は、近くに置いてあった丸椅子を持って来て腰をかけ、シーツの上に僅かに乱れる髪に触れた。
その様子を見ているロマニは気まずそうに一瞬目線を二人から逸らした。何処からどう見ても思い合っている二人にしか見えないからだ。お互いがどういう感情を向けているのかまでは正確にはわからないが、少なくとも斎藤の目がいつになく感情を物語っている。
「それで、詳しく話しを聞く前に、その……」
「斎藤さんが同席していても構わないわ。気にしないで」
「キミがそう言うならボクは何も言わないよ。それで痛む部位なんだけど──」
千尋はロマニに隠すことなく話している傍らで、斎藤は少し前に起こっていた千尋の戦い方について考えていた。
ベルガナというルーン魔術を刻まれた村正の影は、時限式で爆破する仕掛けだった。爆破する瞬間に身体の内側から炎が燃え広がり辺りを巻き込んで破裂する。内側で魔力を原動力とした核が燃え続けて動いていたように見える。外側の耐久力が無くなった時か、核そのものに注ぎ込んだ魔力が切れたら爆破する。そんな仕掛けだったのだろう。
最初に発見の連絡を受けてから爆破までに凡そ十二分。次が十分。最後に千尋の置き土産とも呼べるあの影は対峙してからものの一分弱で爆破した。その点を踏まえれば、核につぎ込んだ魔力が切れたから爆破する仕組みだったのだろう。
となれば、後半に作った影ほど魔力量が少ないのは当たり前だが……。そもそもあの土壇場でシャドーサーヴァントを三体も作れるものなのか。
千尋が魔力を使ったものと言えば、村正の負担を請け負うことと、シャドーサーヴァントを作ること。たったの二つしかないが、村正は単体で三騎の敵を落している。それにシャドーサーヴァントだって合計十体以上は動いていた。その一つ一つに魔力を注いでいたと考えれば千尋の魔力切れにも納得するが、どうしてこの女は心臓を抑えていたんだ。
斎藤はロマニと千尋の間に交わされる会話の隙間を縫って皺が目立つ胸をじっと見つめる。
確か、あの場所には……そうだ。刻印だ。刻印があったはずだ。
確か千尋の刻印は赤の他人から移植されたものだった。あの“瞬間”の出来事は斎藤の脳裏に朧げに刻まれている。
──嗚呼、クソッ! なんで今の今まで忘れていた!
トリガーが外れたように次々とあの日の出来事を思い出した斎藤は徐に顔を顰め、医師と患者の肌にピリッと刺激を与えた。
「斎藤さん?」
「千尋、お前、刻印を使ったな?」
「やっぱりそうか。話を聞いている限りそんなことだとは思っていたけど。キミあのねぇ! 赤の他人から移植された刻印は使えば毒でしかないって言っているだろう!」
「それは知っているけど、効率よく魔術を運用するには刻印って便利なんだもの。仕方がないでしょ」
「仕方がないで済むわけないだろう!」
喝を飛ばすロマニにどこ吹く風の態度を取る千尋を見たロマニは大きな溜息を吐いて、二日は何もしないように。と千尋に言い渡した。
何も、ということは仕事も出来ないということだ。そんな生活なんて出来るわけがない。と千尋が反論するよりも先に斎藤が「いやぁ助かった」とロマニに感謝の言葉を述べる。完全に話すタイミングを奪われた千尋は、眉間に皺を寄せて口を開くも、今度はロマニに妨害されてしまう。
「ちょ──」
「貴方が彼女を此処まで運んで来てくれて助かりました」
「ねぇ──」
「いやいや。うちの子がいつもお世話になっているみたいで」
「ふた──」
「仕事面では助かっているんですが、ご存知の通り無茶と無謀の繰り返しばかりで」
「いいか──」
「この後は僕が面倒を見るんで、それじゃあ」
有無を言わせないまま斎藤は千尋を持ち上げて医務室を後にした。向かう先は千尋の部屋だが、道中すれ違う職員には何事かという目で見られた挙句、沖田には「相変わらず仲が良いですね」なんて言われる始末だ。人に注目されることを得意としていない千尋は、顔を隠すことで視線から逃れようとするも、視力を失った所為で聴覚が一時的に鋭くなってしまい、余計にスタッフや英霊たちの声が聞こえるだけだった。
──自室に戻された、もとい、収監された千尋は斎藤にベッドの上に降ろされた瞬間、うつ伏せになり丸まった。
肩を小刻みに震わせ、全身からどんよりとした空気を垂れ流している。
「…………消えたい」
「なんで?」
「見られた。色んな人に見られた」
「別に良いんじゃないの? 見られて困るもんでもないでしょ。それとも一ちゃんと一緒にいるところを見られたくなかった、とか?」
揶揄い半分冗談半分の問に千尋は、シーツに額を擦り付けるように左右に首を振った。
いじらしいその姿を見た斎藤は一瞬だけ口元を弛め、千尋が丸まっているベッドのへりに腰をかけると、クッション性の高いマットレスが曲線を描く。
のそのそと千尋が上半身を起こせば、斎藤がすかさず乱れた前髪を手櫛で梳く。二、三度往復し終えた手がくるりと背を向け、手の甲で千尋の頬を滑る。女が男の甲に頬擦りすれば、今度は正面から受止めた大きな掌が丸みを帯びた輪郭を縁取る。
「恥ずかしいの。人に弱みを見せるのが」
「泣き虫の千尋ちゃんがそんなこたぁ言うとはなあ。成長したもんだな。おじいちゃん感動で涙が出そう」
「おじいちゃんは間に合ってるから大丈夫」
「こりゃ手厳しいね」
親指の腹で白魚の頬の上を滑らせれば、薄らと紅がさす。大きな瞳が伏せられ涙袋に小さな影を作りふるりと震えた。桜色の唇が薄く開いて控えめに声を漏らす。何がそんなに楽しいのだろうかと小首を傾げる斎藤の頬を、千尋の小さな手が包む。その手の甲にはよく見ていた自分ではないサーヴァントのマスターである証が刻まれている。
痛々しいほどに赤い模様は血を連想させるが、手の甲に傷が付いているわけではない。その肌に触れたところで指先が滑るだけだろう。
「セイバーの手は大きいね。あの時と変わんないや」
「言い方、戻ってるけどいいのか? おたくのセイバーが泣いちゃうんじゃない?」
「泣きはしないけどいい顔はしないのは確かだね。気を付けるよ。一さん」
「その呼び方は止めてって言ったはずだけど。聞いてなかったなんて言わせないからな」
「わかってるよ。斎藤さん」
弱みを見られたと落ち込んでいた女の顔は、いつの間にか男を挑発する笑みを浮かべていて、相も変わらず表情が良く変わると斎藤は目を細めた。
どうもこの女に調子を狂わされていると自覚しながらも、それを強く否定することも出来ないでいる。心地いいとか安心するとかそう言う感情はなく、ただ、隣にありたいと思うだけなのだ。よく変わる表情を見たい。その目に見える景色を共に見たいと。あの日刀を響かせたあの誓いが存在している限り、共に在りたいと願うばかりだ。
例えその道が途切れていると知っていても、思わずにはいられない。
この女の隣に立てられればどれだけ良かっただろうか。あの日々の続きを過ごしていければきっと、愛情すら芽生えただろう。
来るはずのない未来を夢想した斎藤は、頬に感じる熱にそっと寄り添った。在りし日の温もりを女の熱の中に探すように。
前頁 血に勝る縁 次頁
BAMBI