一重寒紅

 豪邸と呼称される斎条家は代々この土地に居を構えている日本家屋だ。建設当時の宮大工の総力をつぎ込み造られたもので、古びた材木を変えるということはあっても、リホームをしたりと大々的な改装はこれまでされたことがないのが斎条家の自慢の一つだ。

 斎藤を召喚したあとすぐに千尋は立派な日本家屋の中に入り、義両親に英霊が無事に召喚出来たことを告げて部屋に帰った。
 引き戸を閉じて濃い茶色の扉に額を当てて深く息を吐けば、窓が閉じている筈のカーテンレールが小さな音を立てた。

「何?!」
「ようマスターちゃん。さっきぶりだねぇ」
「ど、こから……?」
「何処って、霊体化したサーヴァントにそんな質問は野暮ってもんで。それよりも、怪我してんだろ。診せてみなさいよ」

 毛の長い絨毯が部屋の床にぴたりと納まっている。その上に設置されているベッドに斎藤は腰をかけて千尋を手招きした。
 遠慮というものを知らないのか、英霊という存在が往々にしてこういうものなのか。魔術という知識は持ち合わせていても、英霊やサーヴァントという知識はまだ待ち合わせていない千尋には、斎藤というサーヴァントの存在はどこか浮いた存在に思えた。
 夢の中の出来事。と誰かに、それこそ斎藤に言われたら、「やっぱりそうだったんですね」と納得出来てしまうほど、斎藤という男の影が千尋の目に違和感を浮き彫りにしている。
 男の服装がもっと古代のものだったり、未来のものだったりしたら話は違ってきたのかもと仮定の話を想像しては、それでもやっぱり現実味を帯びないな。と千尋は唸った。

「マスターちゃん?」
「あぁ、すみません。なんでしたっけ?」
「けーが。どっか痛いところあるんじゃないの」
「痛いところ……」

 はて、そんなところあっただろうか。
 顎に指の背を当てて考えるも、特に思い当たる物がない。気の所為では? と返事をしようと口を開いた千尋は強烈な痛みに襲われた。内側から肉と皮膚が裂けるような痛みに千尋の額に脂汗が浮き出た。
 膝の力がするりと抜け、毛の長い絨毯にへたりと座り込んだ千尋は痛む右手の手首を抑えながら胸元に引き寄せて身体を丸めるも、痛みは簡単に紛れてくれなくて、千尋の眉間に深い山脈が刻まれたまま小さな唸り声を上げている。

「い、……だ、いぃ……ッ!」
「マスターちゃん?!」

 その場で蹲り丸まった千尋の肩に回る斎藤の腕が女の肩を抱き寄せる。淡く赤色に光る右手の甲に浮かぶ模様を見た斎藤は痛みの正体を知り、己にはどうすることも出来ないことを悟れば、せめてもの慰めにと抱き寄せた腕を離すことなく千尋の小さな身体の体重を受け入れた。

 五分くらいに感じた痛みは多分ものの一分にも満たなかっただろう。漸く引いた痛みにホッと胸を撫で下ろして状況を確認しようとするも、視界よりも先に背中に回る腕と、右半身に感じる自分よりも高い熱に千尋の身体は硬直した。

 ──もしや、私、今。男の人に抱き締められている……?!

 生まれてこの方異性と恋愛関係になったことのない千尋に、斎藤の慰めは違う意味で効果が効きすぎた。
 さっきまで感じていた痛み何てなんのその。早鐘の如く打ち鳴らす心臓の音が耳の側で鳴っているのはないかと疑いたくなるほど煩い。
 ぶわっと顔の血管が盛り熱を上げ頬の色を赤く染める。

「ごめっ、ありがとう! あと離れて!」

 謝罪の言葉と感謝の言葉を早口で巻くし立てる千尋は、半ば涙目になっている。付け入る隙しか見せない己のマスターを前に自称遊び人の斎藤は目の前に現れた玩具を前に口を開かない性分ではない。
 口の端を上げて目を弓なりに細めた。

「あれ〜、マスターちゃん今度は顔が赤いけど〜?」
「見ないでください。というか、貴方の名前はなんなのよ」

 勢いで外れた敬語は同時に千尋の薄皮並みの外面も剥がしたようで、展望台にいた時よりも素の表情を斎藤に見せている。
 片っ苦しいことは嫌いな斎藤はその小さな変化に内心、詰まりかけた息を吐いた。

「おっとこいつは失礼。お嬢ちゃんは聖杯戦争についての知識は余り無いんだったな」

 千尋の肩から手を離した斎藤はやれやれと言った様子で、新米マスターを労わるような、呆れるような口調は揶揄いと同じくらいの同情が詰まっている。
 その憐みにも似た同情を今すぐやめてくれとお願いすれば、この男は改めてくれるのだろうか。そう思案してみるものの、現状、完全にこの男がこの場を支配しているから多分覆すことは当分無理だろう。慣れるか、時期を見て同情をするなと伝えればいいか。
 何せ、今話すべき内容は私の気持ちの持ちようとかそういうモノではないのだから。

「教えて。聖杯戦争の意味と、どうしたら戦争に勝つことが出来るのかを」
「……了解」

 とはいえ、斎藤の知識も聖杯から与えられたものでしかないのだが、千尋はそのことすら知らない。
 さて、どうやって教えてやるもんかと一度立ち上がり、千尋の部屋の中を一瞥して絨毯に尻を付けているマスターを見下ろした。

「取り敢えず紙とペン貸してもらってもいいかい?」
「わかった」

 ローテーブルの上に無造作に置かれているスクールバックの中からルーズリーフと筆箱を取り出す。斎藤は千尋と向かい合うようにローテーブルの前で腰をかければ、女は鞄をテーブルの上から下ろして一枚の紙とシャープペンを斎藤に向かって差し出した。
 愛用しているであろうシャープペンは表面の塗装が少し剥げてきている。真新しいルーズリーフと年季入りの文房具は一見不釣り合いのように見えるのに、マスターの年頃を考えるとしっくりくる。

「教える前に、痛みはもう大丈夫なのかい?」
「うん。ありがとう、心配してくれて」
「お安い御用だねぇ」

 へらりと薄い笑みを浮かべた斎藤は、千尋から受け取ったシャープペンをくるりと親指の腹で回し、ペンの尻を何度かノックして芯を出して、筆よりも細い芯に躊躇うことなく斎藤は真っ新なルーズリーフにシャープペンを走らせた。

「先ずは聖杯戦争についてだけど、何処まで知ってる?」
「えーっと、聖杯って言うなんでも願いを叶えてくれる願望器が現れたから戦うってことと、戦いに参加するにあたってサーヴァントを呼び出す必要があるってことは聞いた」
「ま、概ねその通りだな。じゃあサーヴァントの知識については?」
「かつて存在していた英雄、としか……」
「んじゃ、先ずはそこからだな。先ずは七騎のサーヴァントの特徴から」

 斎藤はルーズリーフに「セイバー」と書き込みながら器用に口も動かした。

「セイバーとは、剣士のサーヴァントの総称で、バランスの取れた能力から“最優”と言われている。クラススキル云々はまた今度にしておこうか」
「わかった」

 セイバーの下に最優と書き込んだ斎藤は、セイバーの文字の横に「アーチャー」と言葉を書き込んだ。

「アーチャーとは弓兵のサーヴァント。単独行動と射撃能力が高いのが特徴だねぇ。前線に出て戦うよりも後方支援がメインってところだ」
「単独行動?」
「僕たちサーヴァントってのはマスターから魔力を貰って現界してるわけ。見えない糸で繋がっていると思って。そんでその糸は何処までも伸びるわけじゃない。必ず限界がある」
「限界がきたらどうなるんですか?」

 先程の騒動で外れていた敬語が場の空気に飲まれて戻って来た。残念と肩を竦める斎藤を他所に千尋は返事を待っている。

「魔力の供給が無くなって、ロクに戦闘も出来なくなるな。が、この単独行動を持っていればその縛りがある程度軽減されるってことだ」
「なるほど」

 アーチャーと書かれた文字の下に、単独行動、射撃と書き込んだ斎藤は流れるようにアーチャーの隣に「ランサー」と書き込む。

「ランサーは槍兵のサーヴァント。敏捷性と白兵戦能力が高いのが特徴だ」

 ランサーの下に敏捷性、白兵戦高いと書いた斎藤は次いで「アサシン」と書き込む。

「次はアサシン。アサシンは暗殺者のサーヴァントで、気配遮断のスキルを持っているのが特徴で、あんたの強敵になるサーヴァントだ」
「なんで私? 貴方は関係ないんですか?」
「僕らって強いじゃない。そんな奴狙うより魔力を供給しているマスターをぶっ殺して敵陣営の自滅を図った方がうんとリスクは少ないだろうよ」
「なるほど」

 アサシンの下に気配遮断とマスターちゃんピンチとふざけた文言が書き込まれた。まだピンチじゃないと唇を尖らせる千尋を置いて斎藤は新しく「キャスター」と書き込んだ。

「キャスターは魔術師のサーヴァント。テレビでニュースを取り上げている職業の方じゃないからね」
「流石にわかります」
「おっと、これは失礼。……高い魔術能力を持つのが特徴で、陣地作成、道具作成のスキルを持っている」
「陣地作成……道具作成……とは」
「あんたら魔術師は自分の工房を持ってんだろう。それをどこでも自分の工房を作ることが可能ってこった」

 自分の工房に仕掛けたトラップや、研究資料、道具に貯め込んだ魔力を思い起こした千尋はキャスターのスキルの手強さに羨ましさを覚えた。

「そんなチートみたいなスキルがあるんだ……。道具作成も似たようなものですか?」
「あぁ」

 キャスターの下に魔術能力、陣地・道具作成と書き込み、隣に「ライダー」と続ける。

「ライダーは騎兵のサーヴァントで、兎に角機動力じゃ右に出る奴はいない。あとは強力な宝具が特徴だな」
「宝具……」
「あれ? 宝具も説明しないといけない感じ? 宝具ってのは──」
「大丈夫! 流石にわかります。必殺技のことですよね」
「ん〜、まぁ、そういう認識で大丈夫、かぁ?」

 うーん。と唸る斎藤を前に千尋はローテーブルの上に腕を置いて前のめりの姿勢を見せた。

「それで、七騎ってことは最後の一騎がいるんですよね?」
「んあ? あぁ、最後はバーサーカーだ。狂戦士のサーヴァントのことで、これがまた厄介なクラスなもんで、基本的には破壊にのみ特化したサーヴァントだな」
「強い?」
「そりゃな。けど、デメリットもあるぜ。魔力消費が膨大で大抵は自滅で終わる」
「時間をかけて戦えば大丈夫ってことだね」
「基本は戦わないってこった。僕は勝てない勝負はしないんでね」

 それはそれでどうなんだ。と言いたげな千尋の視線を躱した斎藤は、仕切り直すように「さて」と右手の人差し指を立てた。

「問題だ。僕のクラスはなんだ?」
「刀を持っているから剣士のクラスでしょう? だからセイバーですね」
「正解」

 咄嗟に千尋の頭に手を伸ばしてしまいそうになったが、年頃の生娘がよく知りもしない男からそんなことをされたくはないだろう。と腕に力を入れ、衝動をやり過ごすと同時に拍手を送った。

 にしても、なんでこんなに構いたくなるんだろうねぇ。
 なーんか、似てる気がするんだよなぁ。此処が似ている。と断言出来ないのが腹立つくらいには薄っすらとした既視感がある。
 据わりが悪いというか、どうもやり辛い。この既視感の正体さえわかってしまえばもっと心中をはっきりすることだって出来ただろうに。

 簡潔なサーヴァント講座が終わりに近付く中、違和感に似た疑問が渦巻く腹の内を無意識に擦った。

 

前頁  血に勝る縁   次頁

  BAMBI