セイバーである斎藤一を召喚した夜から一夜明けた朝。
朝日が昇り街に新しい朝の光が差し込む時間になると、千尋は竹刀を片手に私有地である山の中の展望台に向かった。その道中で、女は昨夜召喚したセイバーについて考えていた。
聖杯戦争で勝ち抜けば万能の願望機たる聖杯を手に入れることは教えてもらったから、何となく知った気になっていたけど、その実何も知らなかったから丁度良かった。
まさかサーヴァントのクラスが七騎あるなんて知らなかったし。
……戦争と言うのだから争いごとであることは予想は付いていた。命を奪い合う代物であることも覚悟していたから問題ない。
むしろ、この騒ぎに便乗しないでいつ願いが叶うというの。しっかりしろ私。戦争はまだ始まったばかりなのよ。
令呪だって右手の甲に現れた。私がセイバーのマスターであることに間違いない。昨日は痛みに動揺したけど、今はもう大丈夫。
目を覚ましつつある街に比べ、山の中はまだ眠っているように静かで千尋の足音がよく聞こえる。
ほうと吐く息は白くまだ夜の寒さを残しているが、緑の匂いが朝陽を受けて濃くなっていく。
緩やかな山を登って展望台に辿り着けば竹刀袋から得物を取り出して両手で確りと握って息を吐く。さっきまで考えていた聖杯戦争やサーヴァントについて、今は考えない。全ての邪念をかなぐり捨てて心を無に、凪いでいる海が描く綺麗な水平線のような緊張感を持って。
深呼吸を三度繰り返して千尋は大きく竹刀を振り上げた。
ブン、と竹刀が空気を切る鈍い音が連続的に耳殻を震わせる。上段、下段、突き、様々な形の動きを何度も繰り返す。
傍目から見れば覚えた型を忘れないように反芻しているようも見えるし、忘れ行く型を思い起こしているようにも見える。
少なくとも斎藤一の目に千尋の一振りは懐かしいものを連想させると同時に、一つの疑問を解決させた。
――いやぁ、予想というか、何となくそんな気はしていたんだけどねぇ。
いやいや、事実は小説より奇なりってか? 全く冗談じゃない。何が悲しくて自分の血縁者――子孫をあんな血みどろな戦いに投入しないといけねぇのか。
千尋の素振りは生前の斎藤が自分の子供たちに叩き込んだ型と全く同じもので、霊体化した身体のまま「ぶはっ」と笑いを堪えきれず勢いよく笑い声が飛び出した。
「誰?!」
「“僕、僕。随分早い目覚めなんじゃない? マスターちゃん”」
男の声に反応して咄嗟に素振りを止めた千尋は、素早く辺りを止めて辺りを見回すも、何処にも人の気配なんて何処にもない。それもその筈。笑い声を漏らした斎藤は霊体化しているのだから。
最近呼ばれるようになった新しいあだ名のような呼び名に千尋は頭の中で一人の男を思い起こした。
「セイバー?」
「“こんな朝早くに何処に行くのかと思いきや、剣術の鍛錬たぁ随分熱心じゃないの”」
「うん。小さい時からの日課で、毎日やらないと気持ち悪く感じちゃって……習慣ってやつですね」
「“へー”」
脳内に直接響いているわけじゃないが、かなり脳に近いところで話し掛けられているような気がする。人と話している時とは違う会話の成り方に千尋は困惑を覚えながら素振りを続ける為に再び竹刀を頭上にあげた。
「“マスターちゃん、そこはもう少し踏み込んだ方が良いな”」
「え?」
「“大丈夫、僕に任せなさいよ。その型において俺より上手い奴なんて数えるほどしかいないから”」
「え? えっ? はい?」
「“次、下段の構え!”」
流れるように始まった訓練に千尋は一瞬目を白黒させたものの、斎藤に言われるまま構えを取り山の中に声を木霊させる勢いで張り上げて竹刀を振り上げる。
何度も同じ型を繰り返して、斎藤からアドバイスを貰い、また実践を繰り返した。
最初こそ困惑を隠せなかった千尋だったが、斎藤の的確なアドバイスを前に異を唱えることもせず我武者羅に竹刀を振り続けた。
髪の生え際や背中、首筋と汗が吹き出して滴る頃漸く斎藤は「そこまで」と制止の声を上げた。
「お、お疲れ様でした……ご指南、ありがとう、ございます」
「“お疲れ様ー。マスターちゃんよく音を上げなかったなぁ”」
「ははは……はぁ……」
音を上げる隙を与えてくれなかったの間違いじゃないだろうか。
斎藤の指南魂が火を噴いた結果。最後の方なんか「そんなひょろい打ち込みじゃあ人は殺せないぞ」という怒声に近い声が飛んできたくらいだ。
何度も動かした足と腕は筋肉疲労を起こしていて、正直立っているのもすごく怠い。それでも千尋が斎藤の怒声に喰らいついたのは、親に教わったこの剣術を完璧に自分のモノにしたいが為だった。
今はもう親に師事してもらうことは出来ない。朧げにある霞の記憶を手探りに自分なりの解釈で竹刀を振るしかなかったところに斎藤の的確なアドバイスだ。喰らいつかないでどうしろと言うのだ。か細いと思っていた繋がりに新しい糸が加わった。竹刀を振るっている時千尋は今はもう覚えていない面影を霞む記憶の中で見た。
「もう、ダメ。しんどい」
「“ははは、体力がないんじゃない”」
「サーヴァントと比較してます?」
「“いいや。生前の頃の僕と”」
「狡くないですかそれ。自己申告じゃないですか……でもまぁ、英霊になるくらいなんだから凄い人だったんでしょうね」
「“どうかな。僕は僕の意思で生き抜いて来ただけだからな。……あの人とは違った――”」
徐々に聞こえなくなっていく斎藤の声に千尋は首を傾げて「セイバー?」と呼んだ。すると何事もなかったかのように返事が返って来て、千尋は聞き取れなかったことを伝えようと息を吸い込んだものの、聞かれたくない話だったのかも知れないと考え直して頭を左右に振った。
「流石に汗が冷えるかも。シャワーも浴びたいし」
「“帰るのか?”」
「うん。学校もあるし、家に帰って支度しないと」
疲れすぎて仁王立ちをしていた千尋は、展望台のベンチに置いておいた竹刀袋を取りに行こうと右足を前に出して強烈な震えに崩れ落ちた。
焦げ目で描かれた魔法陣の上に尻もちをついた千尋が素っ頓狂な声を出し、自発的に震える両太腿に目を向けて深い溜息を吐いた。
これは誰に言われるまでもなく筋肉痛だ。
これまで毎朝鍛錬したというのに、一時間弱扱かれただけでこの有様なんて、なんて為体。やっぱり自己流は気が付かないうちに自分を甘やかしてしまっていたようだ。なんて冷静に分析する頭とは裏腹に、足が震えて立てない事実に焦る自分もいて、千尋は何度も瞬きを繰り返す。
「マスターちゃん?」
「あ、セイバー」
いつの間にか目に見えるようになっていた斎藤を見た千尋は呆けた顔をしたまま、己を見下ろす男の顔を見上げている。
尻もちをついている千尋の隣にしゃがみ込んだ斎藤は、ぺたりと座り込んでいる少女を見て可能性を口にした。
「もしかして、立てなかったりする……?」
こくり。と重たい頭を一度縦に振れば、斎藤は「あららー」と呟いて顔の前に手を立てると眉間に皺を寄せた。
「すまねぇ。マスターちゃんの体力を見誤っていたわ」
「ちがっ! 私が意地を張っただけでセイバーは何も悪くないじゃないですか」
「それもそうか」
あっさりと納得したセイバーを前に千尋はなんだか煮え切らない心境に駆られるも、自分の発言に気持ちとのずれは少しも存在しない。
さて、この後はどうやって家に帰るものか。と展望台から眼下に見える太陽に照らされる街並みを見ながら震える足と相談していれば、斎藤が千尋の視界に割り込んできた。
「マスターちゃんは僕が責任持って家まで送るし、その後学校まで連れて行く」
「ありが――」
「その代わりお願いがある」
感謝の言葉を遮られてしまい首を傾げる前には、真剣な眼差しで少女を見つめながら人差し指を立てている斎藤がいる。
お願いこととはなんだろうか。送ってもらえるというのであれば基本的になんでも叶えてみせようと意気込む千尋は笑みを浮かべて頷いた。
「わかりました。お願い事ってなんですか?」
「おじいちゃんって呼んでくれ」
「……は?」
己を見つめる千尋の視線はまるで汚物を見るようなそれで、柄にもなく背筋が凍ったというのは斎藤の談だ。
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BAMBI