天の川

 ──「斎藤さん、今日襟締ちょっと曲がってませんか? というか、全体的にヨレヨレな気が……」
 ──「男の勲章ってやつ」
 ──「このカルデアで男の勲章ですか? 嘘くさい……あっ、お孫さんと何かがあったんですね! 遂に懇ろの関係に?」
 ──「その勘違いはよろしくない。違う違う、ただあの子に締めてもらっただけ。まだそんな関係になってないから」
 ──「ふーん」

 まだ、ですか。
 自分の隣を歩く斎藤を横目に沖田は小さく笑った。桜色の風が頬を撫でる穏やかな陽気が斎藤を包んでいる気すらして、浅葱の羽織を纏って肩で風を切っていたあの時代では見られなかっただろうな。と沖田は独り言ちた。
 あの日々見られなかった穏やかな時間が、この先もずっと続いていて欲しいなんて、そっと願いながら——。

 だが、そんな些細な願いも虚しく──否、待ちに待った最後の戦いが幕を開けた。
 冠位時間神殿ソロモン。人理を焼却した人類の悪であり儚き人類を理解出来ぬまま憎しみを抱いた男との戦いに火蓋が開いた。

「————今の衝撃はなんだ?!」
「外部からの衝撃よ! ……第二攻性理論、損傷率60%を超えているわ!」
「北部観測室、ロストしました! 天文台ドームに過度の圧力を確認! 崩壊まであと五分……! ドームが破壊されれば管制室の不在証明が保てません! ……カルデアは泡沫状態に入り、時間神殿に取り込まれます!」
「疑似霊子演算精度、クオリア域を脱落! 攻性理論の強度、低下していきます!」
「館内の電気供給を中央以外カットしろ! 炉心からの電力は全て攻性理論とカルデアスに使え! 管制室は何としても保たせる! レオナルド、キミの工房に貯め込んだ資源は?!」
「今霊子演算用のスパコンに回している、そっちは私のヘソクリでなんとかなる! だが焼け石に水だぞロマニ! カルデアを襲っているのは魔神柱だ! 六、七、八——外部にも八柱もの魔神柱がカルデアに巻き付いている! 私が出てもいいが、相打ちで一柱消せないかだ! 根本的な解決にならない! カルデアが潰される前に、特異点を消すしかない!」

 警報音が管制室の中を轟かせる。カルデアの周りに纏わりついている魔神柱が建物ごと破壊しようと圧力をかけてきている所為で、警報音の中に衝撃が混じり振動で身体が揺れる。何かに捕まっていないといけないような揺れに千尋を含めた職員が、頑丈なものにしがみついた。

「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ! それは不可能、不可能なのだよ諸君! 私は不死身だ。我々は無尽蔵だ。この空間全てが我々なのだから! 七十二柱の魔神柱、それが我々である! 私を殺したな? だがそれが何だという。我々は常に七十二柱の魔神なり。この大地が、玉座がある限り、我は決して減りはしない! 私を殺したければ七十二の同胞、全てを頃し尽すことだ! だがそんな火力が、そんな軍勢がどこある? もはや地上の何処にも、そんなものは存在しない!」


 時間神殿そのものが魔神柱だとしたら、ダ・ヴィンチが言ったようにカルデアに巻き付いている魔神柱の一柱を倒したって意味はないのかもしれない。それこそカルデアにいるサーヴァントを使いたいが、電力がカットされている今、サーヴァントは現界することが限界だろう。
 ——考えろ。考えろ。藤田千尋。お前に出来ることはなんだ。
 ダ・ヴィンチがこの管制室を離れることは出来ない。カルデアにいるサーヴァントは使えない。この状況を打破することは出来ないのか。

 魔神柱の笑い声が煩すぎるほど管制室に響き渡る。その醜い姿を今すぐにでも八つ裂きにしてやりたいのに。耳障りな声に鋭い睨みをきかせても魔神柱は痛くも痒くもない、それどころか千尋が睨んでいることすら知らないままだ。何せあの柱は今悦に浸っているのだから。七十二の柱を同時に焼き尽くす火力なんてものは何処にもない。詰んだ。詰んでしまったのだ。
 諦めたくない心のほんの一欠けらが千尋に現実を叩きつける。全ての努力が、下準備が報われるなんてことはないのだと。どんなに崇高な心掛けを持っているからと言って、正義が悪に勝つわけではないのだと。そんなものはフィクションの中だけだと訴えている。

 ——そんな瞬間だった。

「——これは、貴方と私たちによる、未来を取り戻す物語だったでしょう?」

 誰もが悲観し悲嘆した。俯き力が及ばなかったと唇を噛んだ。そんな中、魔神柱の笑い声を吹き飛ばす聖女の穏やかな声が俯き立ち尽くす者の鼓膜を震わせる。
 ハッと顔を上げればスクリーンに映っていたエラーの文字が消え、外部圧力が消えていた。

「魔神柱、八柱とも全て消滅! やった、流石ダ・ヴィンチちゃんだ! 凄い! でもどんな奥の手を使ったんだい! こんな物騒な秘密兵器があるなら、報告くらいしておいてほしかったな!」
「いや、今のは私じゃない。物騒な秘密兵器を持っているとしたら千尋の方——そんなことはどうでもいい。今のは——」
「……英霊……? そんなどうして?!」

 スクリーン映る魔術反応はこれまでに何度も見て来たもの。特異点を一つ修復する度に藤丸がマシュと共に迎え入れた魔術と同じ反応。それは間違いなく——。

「——特異点各地に次々と召喚術式が起動している!」
「触媒も召喚者もなしで自発的に! ただ一度、縁を結んだという細い糸をだぐって!霊基反応、十、二十、三十——まだ増える! 藤丸くん、これは!」

 特異点各地に幾つもある霊基反応は数が増えるばかりで減ることがない。藤丸が結んだ人との縁——英霊との縁が今、形となり、星の海がその伊吹を示すように流星になって現れる。
 それはまさに人類が、藤丸が繋いだ縁が織り成す奇蹟。

「凄い、凄い、凄い……こんなことが、本当に……」
「あぁ、これはまさに玉衝! 夜明けの合図だ!」

 あぁ、助かったんだ。私たちはこの戦いに勝利するのだ。そう誰しもが期待を抱いた。だが、そんな淡い期待は泡沫の儚さでしかなかった。
 藤丸を守ったマシュの消滅──。一人の人間。一騎のサーヴァントが消滅した事実が、マシュと関わった全ての生き物に打撃という名の絶望を与えた。

 万事休す。そんな言葉が浮かぶ。

 再び鳴り響く警告音。魔神柱がカルデアという人類史の希望を文字通り瓦解しようとしている。
 崩壊の衝撃で建物が常に揺れている。立つのもやっとといった具合だ。誰かが倒さねばこの崩壊は止まらない。人類に明日はない。託された希望は絶望に──物言わぬ無に帰す。

「後は任せたよ。二人とも」
「……行くのかい?」
「ロマニ……──道は私が、私たちが作るわ」

 首からぶら下げていた名札を外してデスクの上に置いたロマニを見た二人は、一人の凡人の覚悟を受け取り唇を噛んだ。ロマニという男は凡庸であるが能力がないわけではない。人類が焼却される未来を見た彼は、それを回避する為の手段を模索し続け、そうしてカルデアに辿り着いた。指揮官として理性的であろうとしながら、人として他者の痛みや弱さに寄り沿うような優しい人物だということを、カルデアにいる職員全員が知っている。
 たった一人で人類史の存続に立ち上がった男が、この局面で己の命を懸けないわけがない。
 ——懸けない理由が何処にもない。
 それはロマニが望んだ未来を手に入れる為に。マシュが夢見た明日の為に。

「村正と私がカルデアに侵入してきた魔神柱を倒すわ」
「私でも一柱倒せるかどうかの代物だぞ?! 生身の千尋が出て行っても死ぬだけだ!」
「ロマニが今、命を懸けているのに私が命を懸けない理由はないでしょう。それに私には私が作ったシャドーサーヴァントがいるもの。少しくらいは大丈夫よ。そうでしょ? ドクター?」
「全くキミは無茶をする……すまない。助かるよ」
「行こう。これが、正真正銘最後の戦いになるように」
「二人とも、お土産は期待しないでおくよ」

 その言葉を最後にロマニと千尋か管制室を飛び出した。廊下に待機していた村正は、飛び出して来た二人を見てすぐに事情を察したのか、千尋が愛用している刀を素早く手渡せば、千尋が走りながら腰に差す。隔壁を次々と破壊してくる魔神柱を倒さないとロマニを送ることが出来ない。一秒でも早く藤丸の元に、ゲーティアの元に向かわせなければならない。

 逸る気持ちを嘲笑うかの如く魔神柱は隔壁を破壊し続け、遂には無数にある目の一つが千尋とロマニの姿を捉えた。苛烈さを増した攻撃がロマニに向かって襲い掛かる。

「させるかッ!」
「千尋!!」
「ロマニは先に行って! この魔神柱は私と村正が何とかするから!」
「ッ! わかった! ありがとう、千尋。キミと過ごした時間は——」
「湿っぽい挨拶は私たちの間には不要でしょう! それよりも走る! 貴方にはやるべきことがあるんでしょう!!」
「——あぁ!」

 ロマニは駆け出した。一つに結わえた長い髪が左右に揺れる。そのうちの一本がロマニの心に強烈なブレーキをかけるが、それでもロマニは走った。恐怖がないわけじゃない。後悔がないわけじゃない。一人の少女の生き方に感化されただけなのかもしれない。漸く自分のやるべきことを見つけた使命感に駆られているだけなのかもしれない。お前はヒーローじゃないと誰かがロマニの耳元で囁いても、男の足は止まらない。
 ——止まれない。
 やっぱり怖くなったと引き返すことだって今なら出来ると、囁いてもロマニは止まることを知らないで走り続ける。恐怖で右足が、後悔で左足が、自責の念で右手が、寂しさで左手が重たくなっても、それでもロマニは止まらない。
 己が望んだ輝かしいばかりの明日はやって来ないかもしれない。でも、生きとし生けるもの全てに平等にやって来る明日を再び手に入れることが出来るのなら。なんだって出来る。一縷の希望が心臓をポンプさせ、ロマニの全身を突き動かす。

 我武者羅に。少なくともカルデアを出るその瞬間まではロマニ・アーキマンのまま。
 崇高とも呼べない男の意地に似た信念を知ったことではないと、高笑いと呻き声を同時に発した声が聞こえたと同時にカルデアの壁が破壊された。煙と瓦礫の先に見えたのは赤い目玉が一つ。魔神柱のモノだ。
 反射的に腕で頭を庇おうとしたロマニの頬を風が切った。視界の端に映ったのは、一刀の煌めき。

「ロマニ!!」

 吹き荒れる風と共にうねる炎の海を前にロマニは床に尻を付けた。がくがくと疲労と緊張を蓄積させた足が震えている。

「立てる?! 走れる?!」
「……、あぁ! まだ走れるとも!」
「よし!」

 魔神柱の攻撃相手に防戦を強いられている村正と千尋は息の合った連携で、魔神柱とギリギリ渡り合っている。一瞬でもロマニ目を向ければその瞬間攻撃を喰らって戦力外……最悪死ぬだろう。ロマニの姿を一瞥もしない千尋の背中を見たロマニが立ち上がり、再び駆け出そうとしたその瞬間、シャドーサーヴァントが二騎到着した。英霊の陰でしかない彼らは輪郭が歪んでいる。

「マスター。お前さんもそこのドクターについてやれ」
「……助かる! 村正、ここは任せた!」
「応よ! この千子村正が引き受けた。あんたはあんたのすべきことをしろ」

 影が戦闘に加わったことで戦況が劣勢から優勢に変わった。千尋は刀を握ったままロマニの手を取って駆け出した。目指すは藤丸の元だ。
 村正とシャドーサーヴァントのお陰か、カルデアが揺れるほどの衝撃があったものの、ロマニと千尋は魔神柱に出会うことなく外部に繋がる扉の前に辿り着いた。本来であればコフィンの中に入らないといけないのだが、ロマニが名札をデスクに置いた瞬間に全てを察した千尋がコフィンが設置されている部屋ではなく、この扉を目指して走った。

「ありがとう、千尋」
「此処から先は私は守ってあげられないけど、一人でも大丈夫? ……って心配ないか」
「中々答え難い質問をするなぁ。ロマニとして答えるなら、やっぱり少しは不安だよ。でもボクとして答えるのなら——安心して欲しい」
「うん。そう答えると思ってたわ。は! 敬語の方がいいのかしら」

 建物の中に立つ千尋と時間神殿の上に立つロマニ。この瞬間が二人の決別の時だった。ロマニがもう一度元の中身に変わっていることに気が付いている千尋は、気が付いたように左手で口元を隠してロマニを窺い見れば、フッと息を抜いて笑ったロマニが緩く首を左右に振った。

「いつものままのキミでいい」
「そう? ありがとう」

 かの王から許可を得たのだから何も憚るものはないと千尋が目を細めて笑えば、ロマニが眉尻を下げた。
 別れの時間がもうすぐそこまで来ている。

「ロマニ、いってらっしゃい」
「行ってきます、千尋」

 ロマニに向かって伸ばし掛けた手を必死に抑え込んだ千尋は、気を抜けば唇から零れる感情を無理矢理飲み込んでへらりと笑ってみせた。それはロマニも同じだったのか、鏡写しで笑う二人は別れの言葉とは言い難い決別の言葉を送った。
 永遠のさようならかもしれない。それでも、生きている限り何度だって希望は生まれる。その瞬間を何度となく見て来た。
 また此処に帰って来れるように。そっと願いを込めた決別の言葉。

 二人は同時に背中を向け、ロマニは時空の歪みの中に。千尋はカルデアを破壊せんと暴れ回る魔神柱を討伐する為に駆け出した。
 何度も別れと出会いを繰り返した二人。ロマニはそれを“呪い”だと言い、千尋はそれを“運命”だと呼称した。どうか、その糸が切れませんように。

 ——どうか、再び彼に自由が与えられますように。
 ——どうか、私たちの出会いと別れが喜びの内にありますように。

 ただ只管に刀を振るった。斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って。血を流し、痛む心臓を押し殺して、そうして迎えた特異点最後の瞬間。千尋は刀を床に刺し崩れ落ちた。床に座り込む千尋の眦には大粒の雫が浮かんでいる。
 はらはらと太腿に雫が落ちては衣服の色を変えている。

「ばか……!」

 行ってきますって言ったんだから帰って来なさいよ。ばか。

 ——時間神殿ソロモン。未帰還者一名。
 そうして人類史をかけた戦いは幕を下ろしたのだった。
 

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