江戸彼岸

 本当に昭和なのかと疑うレベルの天まで届くタワーと、近未来を想像させる建物内部。維新都市SAITAMAの要を担っていると言っても過言ではない、都市の象徴である男が座る椅子の後ろに見える景色は、街を一望出来る大きな窓ガラスがある。
 さて質問です。どうして私は今、満面の笑みを浮かべている高杉晋作の前で饅頭を食べているのでしょうか。
 ヒントは、今回の特異点がぐだくだだった。です。
 え? そんなヒントじゃヒントにならない? そんなことこっちだって分かってんのよ! というか、私が一番どうしてこんなことになったのか知りたいって話なのよ!

「それで、うちの技術職として働いてみる気になった? ならない? なったよね?」
「圧が凄いー。さっきから言ってますが、私、カルデアから来た人間なんです。なので、社長の下で働くのは中々難しいというか。というか私、これでも所長補佐なんです。それなりの立場なんです」
「でも今君、僕のこと社長って言ったよね? もううちの社員みたいなものじゃない? そうだよね。そうしよう! 決まりだ! これは面白くなってきたぞ」

 どうしてこんなことになったのだろう。湯気の立つ湯呑を片手に千尋は数分前の出来事を思い出してみることにした。
 カルデアが襲撃を受けて生き残った少ないスタッフと共に脱出。世界が白紙化になり、Aチームが作り出した全く新しい世界と歴史を正常なものに直していく為、異聞帯を攻略してきた。アトラス院のシオンの協力を仰ぎ、シャドーボーダーからノウム・カルデアに居を移り、霊基グラフを元にサーヴァントを召喚し直したり、新しい縁を依り代に英霊を召喚したりと、見慣れた日常を過ごしていたはず、だった。
 それがある日ノッブの首が無くなった。物理的に。あぁ、またぐだぐだして来たなぁ、なんて息を殺して作業途中の画面に目を通していれば、シオンに名指しで呼ばれいつだったかと同じように藤丸と共にレイシフトする羽目になったのだが、何故か藤丸と逸れてしまい、現地で一悶着があった末、高杉晋作に拾われた。
 ……うん。わけがわからない。
 どうして私はこう、ぐだぐだの特異点に対してだけ、レイシフト適性が立香並に高くなってしまうのだろうか。

「何でこうなっちゃったのかなぁ?」
「それで千尋が働く部門だけど——」

 基本的に人の話を聞かない高杉重工の社長である、高杉晋作に拾われた千尋は寝泊まりするところもないし、拾ってもらった恩を返すつもりで少しの期間働くのもアリか。と何を考えているかわからない笑みを向けている高杉を前に、千尋は大きな溜息を吐いて頷いた。
 それから何か月が経ったが、藤丸たち一行に出会える気配がまるでなかった。それなのに、高杉の秘書やら技術者としての仕事に慣れてしまっている。これはいけない。何とかして藤丸たちの動向を探らないといけないと。仕事の隙を見つけようとする千尋だったが、目敏いのか偶然が重なり続けているのか、高杉は次から次へと仕事を千尋に任せてくる。維新まんじゅうと一緒に。
 そんなお菓子一つじゃ絆されないんだから。と高杉を睨みつけるも、笑みを崩さない高杉を前に千尋はまんじゅうの包装紙を捲るだけに留まった。

 この数か月まともに高杉重工から出た記憶がない。出たとしても常に高杉と共に行動している。
 カルデアという施設の中に居続けることに慣れきっていた千尋は、特段と違和感を持たなかったが、はた。と気が付いた。これでは軽い軟禁状態ではないのだろうか、と。
 どうしようか、どうやって藤丸たちと接触しようか。なんて考えていた千尋は、高杉重工の一室に鳴り響く電話を取った。

「はい、高杉重工です。ご用件をどうぞ」
「“……その声は、もしかして藤田さん、かい?”」
「そういうあなたは、坂本さんでは?! 坂本さん助けてください! 軟禁されているんです!」
「“はッ、——はい? どういう——”」

 知っている人間を前に千尋は咄嗟に口を開いた。普段だったらそんなことを口走ったりはしない。いつだって冷静で的確な判断を下すことが出来る。だが、今回は形振りを構わずに坂本に助けを求めた。秘書室として与えられた部屋に一人だったというのも、千尋の冷静さを欠いた原因の一つだったのかもしれない。完全に一人だと思い込んでいる千尋は突然切れた通話に顔を上げれば、いつもと変わらない何を考えているのかわからない笑みを浮かべている高杉の姿がそこにあった。

 あ、終わった。

 見つかってはいけない現場を見つかってしまった。これが叱られる前の子ども心境か。なんて軽く現実逃避をしたくなるようなそんな瞬きの時間。先に口を開いたのは高杉だった。

「今の、誰から?」
「坂本さんですね。はい」
「坂本ってあの? 坂本龍馬?」
「はい。その坂本龍馬さんですね。はい」

 顔色を明るくさせる高杉は千尋と坂本の会話が聞こえていなかったかのように「あいつがいるなんて、これは面白い展開になって来たな」なんて喜んでいる。これは一縷の可能性が出て来たのでは? と淡い期待を抱く千尋は何事もなかったかのように取り繕った笑みを浮かべる。

「生前から親交がありましたね。お二人は」
「そうなんだよ。坂本君の性格はよくわかっているとも。だから忠告してあげるよ。あの優男に助けを求めても意味は無いってね」
「聞こえてなかったわけがありませんよねぇ」

 そんなに甘い世界なわけがないか。ははは。と乾いた笑いを浮かべれば高杉は笑みを深める。これは追求されるやつだな。千尋はなんて誤魔化そうか、いや、誤魔化しても無駄だからこの際はっきりと、休みをください。外出させてください。と訴えてみようか。うん、そうしよう。
 意を決して千尋は口を開くも、高杉が「坂本君の用事は?」と話を挿げ替える方が一歩早く、結局千尋は外出の機会を見送る羽目になった。

「坂本君、面白い魔術師を連れて来てくれるんだって! お迎えに行こうかな。どう思う?」
「私だって行きたいのに、社長から押し付けられた仕事があります。なので社長も仕事を優先してください」
「なんだ? 当てつけか? 君、態度変わり過ぎじゃない?」
「煩いですよ。働いてください社長」

 面白い、楽しい。そんな感覚を優先して生きている高杉の目に面白い魔術師という存在はかなり魅力的に見えたのだろう。坂本が連れてくる魔術師の正体を何となく察している千尋は、頭の中でこのビルから出る算段を算出しながらも、タワーになりつつある書類の山を一秒でも早く捌く為にペンを走らせた。
 当たり前のように高杉は「えー!」と幼子の反抗を見せるが、千尋から手渡された分厚い書類を受け取ると素直に自席に戻り、唇を尖らせながらも同じようにペンを走らせる。
 よし、順調に仕事をしている。この調子なら大丈夫だろうと少し席を立った千尋が戻って来た時には、──高杉の姿はなくなっていた。

「は——はぁぁあ?! どこに行ったあのボンクラ社長!!」

 たった数分。もしかしたら五分にも満たない時間、目を離しただけでこうもあっさりと脱走をするかね?!
 子どもじゃあるまいし! 部屋を隅々まで探した結果。矢張りもぬけの殻である室内で叫ぶと、脳内の高杉が「するんだなぁ。これが」と悪気のない笑みで答える。簡単にそんなことが想像出来てしまうのは、あの男が曲がりなりにも一本筋の通ってる性格故だろう。

「あぁ! もう!」

 どうせ社長室にやって来ることには変わりないのだから、お茶の準備だけでもしておこう。レイシフトしたメンバーは、お竜さん含めて総勢六名。高杉の分を考えれば、ポットの中に茶葉を入れた方が早いか。
 並々にお湯が入っているポットの中に茶葉を適量入れた千尋は、人数分の湯飲み茶碗を用意し、お盆に乗せて社長室に向かえば、藤丸一行を引き連れて歩く高杉の後ろ姿を見つけた。
 この番茶をぶっかけてやろうか。そんな悪意がふつふつと湧くも、いい大人が大人気ないと首を左右に振りぐっと堪えた。

「丁度良かった。千尋、君が会いたがっていた坂本君だよ」
「えっ?! 千尋さん?!」
「会いたがっていることを知っているなら、もっと簡単に会わせて下さいよ。──久し振りね、立香。元気にしてた?」

 驚く藤丸を前に千尋は人数分の湯飲み茶碗を置いて行く。誤算だったのは、岡田の席に見たこともない少女が座っていたことだったが、まぁ何かあったのだろう。後から詳しく聞けばいい。

 これで漸くこの高杉重工から出られると思っていた千尋は、浮き足立っていたが、いざ藤丸が帰るとなった時、どういう訳か高杉に引き留められてしまいあれよあれよという間にとある倉庫の中で座っていた。

「なんで?」
「そっちの方が面白そうだったから。彼らと話した結果、僕達はカスカベブロックを担当することになったからよろしくね」
「何事?」

 坂本探偵事務所で話し合って決めた結論の軽い説明を受けた千尋は、今はこの高杉重工の社員なんだから。と無理矢理納得してまた事務作業と高杉の開発しているメカの制作に取り掛かった。なんでも、奇神なんちゃらを作って維新都市に確固たる地盤を作りたいらしいのだが、正直メカニックでもない私は惹かれないだよなぁ。なんて、ぼやきながらボルトを締め付ける。
 なんかムカつくからこの辺改造でもしておこうか。強度を弱くして、ついでにこの魔力を吸い上げる装置の値を弱めに設定しておこう。あの男の悔しがる顔を見るのが楽しみだ。

 一人喉の奥を揺らしながら笑う千尋がせっせと奇神の改造に勤しんでいた頃。藤丸たちは坂本龍馬奪還の為敵アジトに潜入し、高杉が黒幕として登場していたのを千尋はまだ知らない。
 いくつかあるうちの一つは強固な守りがメインの装備を付けたがそれさえ破ってしまえばガラクタ同然の作りにした。もう一つは、魔力を吸い上げる装置の設定を弱めてある。稼働するまでに半日以上かかるに違いない。それ以外にもいくつか細工をし、見せかけだけは立派な奇神を見上げたところで千尋の膝の力が抜けた。

「は——?」

 体力を吸われている……否、これは魔力を吸われているんだ。一体何処から?!
 上手く足に力が入らないけど歩けないほどじゃない。早く此処から出ないと。

 千尋が足を引きずり、壁に肩を凭れかけながら半ば這いずるように扉を目指して歩くと、二人分の足音が聞こえた。何か話しているらしいが部屋を区切っている壁が厚いのか、響く靴音は聞こえるのに話し声は籠っていてあまり聞こえてこない。壁に耳を当てて何を話しているのか聞き耳を立てる千尋の後ろ衿が誰かに引っ張られた。

「おや? 見慣れない顔だけど、高杉くんの社員か?」
「うん。僕の駒の一つだよ。彼女は良いものを持っているから、使わない手はないと思ってね」
「それで? この駒の使い道は?」
「奇神の核になってもらおうかなと! 魔術師が直接あの奇神のエネルギーになる! 面白そうじゃないか!」
「なんですと……?!」

 なにそれ。なにそれ。なにそれ! そんな話は聞いてないし、何のことなのか全く理解出来ない。高杉の手から逃れようと藻掻くも、力の抜けた体でサーヴァントに敵うはずもなく、千尋は高杉にされるがまま、奇神の中に無理矢理納められた。

 どこも弄っていないのに勝手に動き出すロボを操縦しようにも、そもそも操縦パネルもレバーもない。何だこれは。完璧な無人操作! 自動操縦! 誰が作ったんだ! ……私だぁー……。
 なんて完璧なものを作ってしまったんだろうか。しかも、外部からの攻撃に備えて耐久力を上げているけど、内部からの攻撃に対してなんて何も考えてない。そもそも、このロボの内部に入る予定なんて何処にもなかったのだから。
 攻撃してもいいが、爆発したら間違いなく私は巻き込まれる。それは避けたい。何としてでも。

「どうしよう……」

 核になるってなに。どうしたら逃げられるの。
 そんなことを考えている間に事態は刻一刻と変わっていく。何やら外では封印だのなんだのと話が進んで行ってしまっている。封印ってなに?! もしかしてこの奇神を?! 待って、待って、待って、待って!! これには私が搭乗しているの!
 外部からの攻撃ゆえか小さく揺れるロボは流石の耐久力とバランス力と自分を自分で褒めてしまいたい。
 腕を強化し僅かにでも穴を空ければ助けを求めることが出来るだろう。腕を肩の高さまで上げ、いざ打ち殴ろうとすれば、外部からの攻撃が止んでいることに気が付いた。今しかチャンスがないと直感で判断した千尋は、強化し振り上げた腕をそのまま前に突き出し装甲に穴を空ける。街が炎に包まれているのか、拳一つ分の穴から射し込む光が嫌に熱い。

「千尋さんは何処にいる?!」
「ああ。千尋ならあの中で核になって貰ったよ。お陰で良く動くだろう? アラバカミの装甲は千尋が作ったものだしね」
「千尋さん……」

 ごめん。技術者としてやる気に火が付いちゃったの。でも、これ装甲以外はカスに設計しているから安心して欲しいの。許して……。
 そんなことを奇神の中で言葉にしたところで足元にいる藤丸には届きはしない。此処で一発大声を出してやろうか。千尋が目一杯息を吸い込んで藤丸の名を叫ぶと、黒い影がひらりと風に乗った。

「見つけた。千尋ッ! ちょっと伏せろよ!!」

 橙に色を変えた白刃が一文字を描き奇神に斬りつけるも、千尋の技術が詰まっているロボは掠り傷程度の怪我しか負わない。これは中からも攻撃しないと脱出は出来そうにない。
 魔術回路を腕に浮かび上がらせ中から思いっきり殴りつけること数回と、斎藤や沖田、森、茶々が同時に斬りつけて漸く千尋はその視界一杯に外の世界を見ることが出来た。

「千尋!」
「斎藤さん! 着地は任せた!」

 よく知る体温に包まれた千尋は、斎藤の首に腕を回し落下しいく宙の中でそっと斎藤の横顔を仰ぎ見た。
 数か月ぶりに見た好いた男の姿にそっと擦り寄れば、己の身体を支える逞しい腕にぐっと力が入った気がした。

 

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