蘇芳梅

 ゴミを見るような視線に耐え切れなくなった斎藤は、逃げるように千尋から視線を外した。

「……ワスレテ、クダサイ」
「なんで片言……別に気持ち悪いなとか思ってないです。何言ってんだこのおっさん。くらいで」
「それ十分気持ち悪いなって思ってるよね?!」
「はいはい。オジイチャン、私をお家まで連れて行ってくださいな」

 おんぶでも抱っこでもなんでもいいからと、腕を伸ばした千尋の背中と膝の裏に腕を回した斎藤は、そのまま軽々しく千尋を持ち上げた。

「きゃあッ!」
「んじゃ、気を取り直して行きますか!」

 駆け出した斎藤のスピードは凄まじく、森の中を駆け抜ける速度で風が千尋の顔に容赦なく当たり、手入れされている髪が斎藤が生み出す揺れに遅れて動いている。

「わわわわ!」
「黙ってろよ。舌噛むぜ」
「んぐ」

 口を物理的に塞ぎたくとも斎藤の首に両腕回してしまっている為に手で塞ぐことが出来ない。時折感じる浮遊感に心臓や内臓が浮き上がり、ジェットコースターのようなスリルに、悲鳴を上げそうになるのを唇を噛んでぐっと堪えれば、立派な日本家屋がお出ました。
 まるで家が迎えに来たのではないかと疑いたくなる速度に、千尋は斎藤の腕に抱えられたまま男を見上げるも、真っ直ぐ進行方向を見ている斎藤はその視線に気が付いていない。

「到着ってな」
「凄い……凄いよセイバー! なにこれ! なんで? さっきまで山の中にいたじゃない! それがもう家の前にいる!!」
「喜んでくれたようでなによりってもんだ」
「すっごい!」
「はいはい」

 目を爛々と輝かせて斎藤を見つめる千尋の瞳の中には、さっきまでの蔑みの色がすっかり失われている。
 切り替えが早いというのか、根に持つタイプじゃないというのか。歳頃の娘らしくはしゃぐ姿は、てんで血生臭い戦争に参加する魔術師には見えない。

「汗流してくるんじゃなかったのか」
「そうだった! ありがとうセイバー」

 竹刀袋を肩にかけて玄関の前で立ち止まった千尋は深く深呼吸をして、そっと引き戸を開いた。

「只今戻りました」

 蚊のは音よりも小さい帰宅報告を済ませた千尋は、気配を殺して忍び足で玄関の敷居を跨ぎ、物音を立てないように廊下を歩いている。
 確かに早朝だが、いい加減に人が起き始める時間帯だというのにこの忍びようを見た斎藤は、千尋に言われるまでもなく、空気を読んで身体を霊体化させ空気と同化させると、念話でマスターである千尋との会話を試みた。

「“マスターちゃん”」
「ごめんなさいセイバー。今物音立てられないんです」
「“もしや念話の仕方もわからないのか?”」
「念話……?」

 家の中の気配を探るのに手一杯の千尋は、斎藤のいう念話というモノが何なのかを考えるリソースも割けられない。
 小声で会話するのが精一杯なのだ。

「お風呂場。お風呂場に行けば話せるからそれまで少し静かにお願いします」
「“……了解”」

 自分の家の中で、こんなに息を殺さないといけない理由がなんなのか、風呂場でなら話せるって……生娘がそんなことを言っていいのか。とか。斎藤には色々思う節があったが、発言権を取り上げられた今、斎藤は口を噤むしかなく、大人しく人の気配をこれでもかというほど気にしている、己のマスターの小さな背中を見守るだけに留まった。

 同じような扉を三つ超えた先にある、突き当たりの木板の扉をこれまた慎重に開けた千尋は、僅かな隙間に身体を滑り込ませて、開けた時と同じようにそっと音を立てないように扉を閉めた。

「はぁ……」
「“で? なんであんたそんなに肩身狭──ってオイッ!”」

 斎藤が話し掛けている傍らで千尋は着ていた服を脱ぎ始めた。
 霊体化した斎藤の姿が見えない故に、千尋は斎藤は少し離れた場所にいるのだろう。と予想を立てていたのだが、実際、頼りない背中ばかり眺めていた斎藤は、無意識の内に脱衣所にまで着いてきてしまった訳だ。

「ごめんなさい。先にシャワー浴びちゃいます。ということでさっさと出て行ってください!」
「“へいへい”」

 酸いも甘いも充分に楽しんだ斎藤が、今更若い子の裸を見ようが何も感じまいが、千尋にはそんな事情知ったことではない。
 尻上がりに語尾を強めて斎藤を追い出して、浴室に逃げ込んだ。

 キュッと金属が小さな悲鳴を上げると、シャワーヘッドから勢いよく小粒の雨が局所的に降りかかる。
 髪を濡らし肌を濡らす雨は人肌よりもずっと温かくて、冷えかけた汗が熱いと感じるゲリラに流されていく。

「ねぇセイバー」
「“はいはい。今度はなんです?”」
「今何処にいるんですか?」
「“あんたが出てけって言ったんで、僕は大人しくその命令に従ってますよって”」
「本当? 大人しくしてくれています?」
「“あぁ”」

 斎藤の返事を聞くや否や、気分よく鼻歌を歌っている千尋のワンマンライブを聞きながら、大人しく斎藤は霊体化したまま家の中を闊歩している。
 幕末を生きた斎藤ですら風情を感じるほど建物は趣が深く、人目から建物の中を隠すように窓ガラスは全てすりガラスとなっている。洒落を利かせてガラスに花の模様が入っていて、花の造形に詳しくない斎藤は、なんの花なのか特定することは出来なかったが、現代ではあまり見ない仕様であることは察することは出来る。
 これだけの家を維持出来る財力となると、生前にも少しくらい耳にしたかもしれないが、生憎と斎藤の育ちはいいものではなかったうえに、芋侍、壬生狼と馬鹿にされていた集団の中で剣を振るっていたのだ。仮に斎条が幕末の時代に存在していたとしても頭の一文字すら聞きはしなかっただろう。
 京にいる訳でもない、一名家の名前を聞いて生きていければ話は別だっただろうが。

「……――、……が……」

 深紅の絨毯の上を歩きながら家の中を観察していた斎藤の耳に、女の声が聞こえる。
 千尋の声よりも落ち着いている女は誰かと会話をしているようで、斎藤は霊体化したまま女の声に近付く。霊体化を解いて前に出ても良いが、マスターはこの家の人間と会いたいと思っているようには見えなかった。だとすれば、その心情を無下にして姿を見せるわけにはいくまい。とはいえ、この家は魔術師を輩出している家だ。用心に用心を重ねておく必要がある。
 斎藤は、息を殺して女がいる部屋の壁に背中を付けて張り付いた。

「聖杯、もうすぐ私たちの手に入るのね」
「嗚呼、漸く、漸くこの時が来たのだ。我ら斎条家の悲願が遂に……!」
「この話が回って来た時は夢かと思ったけど、あの子が、千尋が素直に参加を決意してくれて良かったわ」
「ここまで育てた甲斐があったな。あの子には胎盤の役目を請け負ってもらうしかなかったからな」

 胎盤。つまり必要なのは生まれ持った魔術回路と性的機能というわけだ。
 実の娘にどうしてそこまで無情になれるのか。いいや、この姿こそまさに魔術師というものなんだろう。

 ――胸糞悪い。
 俺がちょっと目を離した隙にまさかここまで家が腐るなんてな。やっぱ、もっと武士道を叩き込むべきだったか?

 舌打ちを一回かました斎藤の耳に、若い女の不安気な声がするりと流れるように入り込む。

「“セイバー?”」
「“どうしたマスターちゃん”」
「“サーヴァントの役割的なのを教えて欲しいんですけど”」
「“あー、ちょいまち”」

 この重油を直接胃に詰め込んだような吐き気すら覚える会話をそこそこに、斎藤は来た道をゆっくりと引き返した。

「“サーヴァントについて、というと?”」
「“ほら、セイバーは私のことをマスターちゃんって呼ぶでしょう。だから私たちって主従関係なんですよね?”」
「“まぁな。僕はあまり堅苦しいの苦手だから緩くやっていきたいけどねぇ”」
「“てことは、私はセイバーに遠慮する必要がないってことですよね?”」
「“そうだな”」
「“じゃあ私、セイバーに向かって敬語で話すのやめる!”」
「ぶはッ!」

 あんたちょくちょく敬語抜けていたけど、気が付いてなかったのか。
 思わず斎藤は現界し肩を震わせ、大きな手で口元を隠す。柱に肩を預けて背中を丸める斎藤は誰がどう見ても、笑いを堪えるのに必死な人だが、今この瞬間、斎藤の姿を目視するモノはいないうえに、千尋との念話を一方的に受け入れ拒否している為、千尋も斎藤が肩を振るわせて笑っていることを知らない。

「“セイバー? ちょっと、返事くらいしてくれてもいいんじゃない?”」

 息を殺して笑う斎藤の耳に千尋の声は聞こえているが、到底返事は出来そうにない。今返事をしてしまえば間違いなく笑い声も一緒に届けてしまう。

 一度大きく息を吸い込んだ斎藤は、「はぁーあ」と肺の中にある酸素を出し切り、眼前を見据えた。

「アレは……頂けないよなぁ?」

 瞳に宿らせた殺意と、低く紡ぐ言葉は鋭い刃物の切れ味を孕んでいた。

 

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