斎藤と協力してサーヴァントを退けた翌日、千尋を待っていたのは説教だった。
門限よりも帰り遅かった所為で親に説教をされているわけではなく、自分のサーヴァントである斎藤に正座を強要され、勝手に置いて行った件についてどれほど危険な行動だったかを説教されているのだ。
「ちゃんと聞いてんの?」
「聞いてるし、その愚かさは身をもって知ったから、もう、同じことはしないよ」
「僕がどれだけ捜し回ったか知ったこっちゃないってか。悲しいねえ」
斎条家に数ある部屋の一画。千尋に与えられた部屋の真ん中で仁王立ちしている斎藤の目は、何処か遠いところ見ていている。言外に自分の努力を無下にされて悲しいと言っている気すらして来て、千尋は急に罪悪感に襲われると同時に、斎藤の捜し回ったという発言に首を傾げた。
「捜し回ってくれたの?」
「嘘だけどな」
「は?」
離れている間、捜し回ってくれたのかと心臓が甘い吐息を零したのも束の間、斎藤の発言に千尋の機嫌がワントーン下がった。
「正直に言えば、ずっとあんたの後ろについていたし、アサシンに殺されかけた時も側にいた」
「うぇ〜?」
“うん”と“えぇ?”という言葉を同時に発音した千尋に斎藤が一瞥し、腰に差している刀に触れた。
「ぶっちゃけた話、あんたの能力を見るのに丁度良いと思った」
「……それで、合格? 不合格?」
「怒ってねぇのか?」
「怒ってないよ。吃驚しただけ。というか、怒るのってお門違いな気がして……私がちゃんと動ける人間かどうか、きちんと証明することが出来ないから、そういう手段を取らせてしまったんでしょ? だったら怒れないかなって」
眉尻を落して口元に笑みを浮かべる千尋の首には真っ白の包帯が巻いてあるままだ。手にだって包帯が巻かれている。娘の身体にこれ以上傷を増やすつもりは無かったとはいえ、これだけの行為されたというのに、千尋は斎藤を責めるばかりか、悪いのは自分だと完結させる始末で、斎藤は千尋が何もわかっていないことを知り、眉間に皺を寄せた。
理屈の通らない持論を屁理屈というのであれば、千尋の発言はまさに屁理屈だ。
理不尽を受け入れる許容を持ってはいけない。抗う術を持たずに生きることは罪を犯しているのと同じであり、美点にはならない。故に千尋は愚か者だった。
「で?」
合格か不合格か。その話の続きを促す千尋は斎藤に向かって小首を傾げながら見上げている。挑発的とも取れる瞳の奥には魔術師としてのプライドが自信となって表れている。
「……魔術師が何たるか、僕にはいまいちわからないけど、技術的には合格なんじゃない?」
「なに、その含みがある言い方」
「まぁな。僕は自分の命を粗末に使う人間を守ろうとは思わねぇ。あんたがこれからも、あぁいう戦い方をするってんなら、金輪際守ったりしない」
サーヴァントの守りが無くなったマスターに待ち受ける未来なんて想像に容易いものだ。
守らないと言った斎藤も、守らないと言われた千尋も同じ結末を頭に思い描いている。その光景は経験を踏むほど鮮明に。心臓が強烈な痛みと苦しみを錯覚してしまう。
何も斎藤は千尋の存在そのものを否定しているわけではない。ただ、サーヴァントという脅威を前に無防備にも前に出ようとする千尋自身の使い方に問題があるだけだ。
片や既に他界している存在と、片や心臓が正常に機能している人間。どちらの命を尊重すべきか、と誰かに問うたところで帰ってくる答えなんて一つしかない。
心臓が正常に機能している——生きている人間を尊重し守るべきだと誰しもが言う。
だが、千尋はその判断が出来ていない。
それは自分を大事に出来ていないことと同義である。そしてその行動は斎藤の信条とは反対側に存在しているもので、もっと言えば斎藤は嫌悪感すら抱く考え方であった。
二人の間に重たい沈黙が圧し掛かる。口を開くことすら躊躇う静寂は、場を支配していた斎藤すらを黙らせる。
「私は、生きたい、から、生きるよ」
頼りなく力もない、途切れ途切れの意思表示は斎藤の逆鱗に触れた。
血が沸騰するような憤りが血流に乗って、全身を駆け巡り勢いそのまま斎藤は刀に手をかけ、刀身を半分まで抜いた。
「生きたい奴が死にに行く理由があるか!!」
斎藤の目に昨夜の出来事は千尋が死にに行っているようにしか見えなかった。
サーヴァントを振り切って冬木市に単身乗り込み、危機が迫るまでサーヴァントとの接触を忘れ、囮になることで危機を脱する。どれを掻い摘んでも戦争の最中、生きたいと口にしている人間の、魔術師の取る行動とは思えない。
「お前、もしかして……死にたいのか」
「——ッ! そんなわけッ」
「当りか。そうかよ。だったら俺はあんたを守るつもりはない」
背景と身体を同化させた斎藤はそのまま斎条家の敷地から出て行き、残った千尋は顔を顰めたまま俯き、両手で顔を隠すように覆った。
冷え切った手が熱くなる目頭を冷やしてくれれば幾らかマシになるだろうに、流れる雫は熱く、指先は冷え切ったままだ。
「違うの、違うの。セイバー」
確かに魔術師になるのが嫌で嫌でたまらない時期もあった。魔術師なんてなりたくない、この立場から逃げたいと、解放されたいと月や流れ星に願った夜を繰り返して来た。見える景色全てが大好きな両親と見た時よりも色褪せて見える日々だった。
辛くて、泣いても誰も助けてくれなくて、我慢を強いられて、痛くて、苦しくて、このまま消えてしまいたいと何度も何度も繰り返し願った。今思い返せば私は私の死を望んでいたのだと思う。
それでも私は意気地なしで、怖いことは嫌いで、勇気が持てなくて、そういう機会をずっと逃してきたの。
「だって……私は、本当は……ッ」
——自由になりたいの。
鳥が青い空を飛ぶように、風が悪戯に花を揺らすように、雨が気紛れに大地を濡らすように、私は自由になりたいの。
「ずっと、ずっと、幸せになりたいだけなの!」
慟哭にも似た悲痛の叫びが静寂な部屋に響き渡る。
部屋の隅々にまで張り付く千尋の願いを聞き届ける者は何処にもいない——はずだった。
「だったら、無茶しちゃだめでしょーに」
聞こえるはずもないと思っていた暖かい声は千尋の鼓膜を優しく揺らす。
過去も今も未来からも目を逸らすように塞いでいた手を下ろして、顔を上げれば、目の前にしゃがんで千尋を見つめる斎藤の姿がそこにいた。
「セイバー」
「生きたいって願うなら、あんたはあんたが生き残れる最善手を模索するべきだ。僕はその時間もその手段にもなってあげるからさ」
「セイバー……!」
同じ目の高さで話す斎藤は「あんた念話下手くそだからなぁ。全部筒抜けだったぜ」と言いながら、泣いている幼子を慰める手付きで千尋の頭を大きな手で撫でる。召喚されてからの短い期間で、何度か小さい頭に手を伸ばしかけては無理矢理引っ込めた腕を、すんなりと伸ばしてみれば、千尋は何の抵抗もなく受け入れた。
初めからこうしておけばよかった。と思う一方で、色んな出来事を重ねた今だから受け入れられてんだろう。と考える自分もいる。
「あーあー、もう泣くなって。首の傷に障るでしょーが。掌は? 包帯に染みてんじゃないの」
「包帯濡れて、気持ち悪い」
「ったく、後で取り換えろよ。全く、僕のマスターちゃんは泣き虫さんで困っちゃうなぁ」
「うぅー……」
斎藤が帰って来たことに安堵を覚えた千尋が、泣き顔を曝したまま男の胸に飛び込んだ。
背中に両腕を回してこれでもかというほど抱き締めれば、頭上から「痛い、痛い!」と非難の声が上がる。
そんなこと知るかと言わんばかりに千尋が斎藤を抱き締めれば、遠慮がちに背中に腕が回り、指先が薄い肩に触れた。与えらえる熱が斎藤の存在を証明し、疑似的に動く心臓の音が泣きじゃくっていた少女に安らぎを齎している。
「ま、生き残りにかけちゃ自信があるからよ。おじいちゃんがたーんと教えてやるぜ」
「出た、おじいちゃん発言」
「いやぁ、ホント僕お祖父ちゃんだからさ」
「なにそれ。確かに今も生きてたら間違いなくよぼよぼのおじいちゃんで、ギネスも吃驚の記録残してるだろうけどさ」
小さく肩を揺らす千尋の笑い声は耳触りが良く、斎藤の胸の内側をゆっくりと温めていく。嘗て共にいた自分で築いた家族の温もりを思い起こさせるのだ。沢山の血の道を歩んだ先に見つけた小さな幸せを煮詰めた泡沫にも似たあのひと時。
いつまでも浸っていたいと願えば願うだけ、現実の殺伐さと乖離していく。
「“んで? マスターちゃんの聖杯に懸けたい願いってのは、いつ教えてくれんのかい”」
耳殻の更に奥から聞こえる声に千尋は首を振った。
斎藤は斎条家の人間に聞かれないように念話に切り替えたが、腕の中にいた千尋は上半身を起こして斎藤の目を真っ直ぐに見つめると、首を左右に振りながら唇を動かした。
「斎条家の悲願を叶えること。根源への到達。それが私の願いであり聖杯に懸ける唯一の望みだよ」
「なるほどなぁ」
話すことすら憚れる状況な訳か。と、一瞬で理解した斎藤は思いっきり千尋の頭を撫でた。
「ちょ、髪、ぼさぼさになる」
文句を言いながらも斎藤の手を止めたりはしない千尋はへらりと笑い、再び斎藤の胸の中に飛び込んだ。
「明後日、やっぱり明々後日に私に剣術の稽古つけてよ」
千尋が斎条家を離れている時間と言えば、学校に行っている時と、早朝の練習しかない。そしてそのタイミングが千尋の聖杯に懸ける願いを自由に口に出せる瞬間でもある。だが今は首と手に怪我を負っている為、早朝の練習は控えている。そんな二、三日で怪我が治るとは思えなかった斎藤は、すっぽりと腕の中に収まる千尋に問いかけた。
「明日と明後日はなんかあったりすんの?」
「それはまた明日の朝に話すよ。それよりも、今日は折角の休日だよ! 何かしよう」
溌剌とした笑みを浮かべた千尋は立ち上がり、ついでに斎藤の手を掴み引き上げる。勿論女の腕一本で斎藤の身体が起き上がるわけじゃない。斎藤自身が自らの意思で立ち上がったのだ。
「お散歩しよう」
「お、いいねぇ。団子屋はあるかい?」
「セイバーお団子好きなの?」
「嫌いじゃないね。今、団子が食いたい気分ってだけだ」
「へー。それじゃ行先はお団子屋に決定だ」
如何にも楽しみです。と気分を上げている千尋を見下ろす斎藤は薄っすらと笑みを浮かべてはいるものの、頭の中で斎条家の人間が話していた内容を思い起こしていた。
“胎盤”“育てた甲斐”“悲願”このワードだけでも千尋が道具としての価値を見出されているのがわかる。
まさか、それ関係じゃねぇだろうな。
斎藤の心配を気付きもしない千尋は、何を着て行こうかなんて言いながらクローゼットを物色していた。
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BAMBI