いっそのことこの手で殺してしまえたら、どれだけ幸せだったのだろうか。
間に合わなかった!
また間に合わなかった!
男は暗闇の中走った。絶望と失意の中無我夢中に走った。そして、ふと、立ち止まった。
――俺は、何処に行けばいいんだ?
何処に行けばいいのか、何をすればいいのか。全くわからない。どうやって生きて来た? どうやって……。
牡丹は燕青の道標だった。道行を照らす光のようだった。牡丹といると何処に行くべきなのか、何をすべきなのか迷う事はなかった。それは常に牡丹が燕青の前を歩いていたからだ。眩しくて目が眩むのにそれすら愛おしくて、大事にしたくて。それなのに、あっさりと両手から零れていく。
どうして主の真意に気付く事が出来なかった。どうして、無理にでも付いて行かなかったのだ。いつからこんな事を考えていたのだ?
何故俺の忠告を無視したのだ。無視してもいいと軽んじていたのか。俺はそれだけの存在だったのか?
いつから栄華を求めるような人間になってしまったのだ。否、あの人はそんな人間ではない。何故あの人の行く道に俺を置いて行った。それは俺では主を守れないという無言の証明なのか。俺にはわからない献身なのか?
これは俺に対する裏切り以外に他ならない。従者としての忠告を聞き入れず、俺という存在を否定して置いて行った。
傍にいたいと願ったのはただ一人。守っていくと誓ったのはただ一人。最大の忠義を主はあっさりと捨てたのだ。
俺が足手纏いだったのか? 俺が弱かったからか? だから捨てられたのか?
俺が牡丹にそんな選択をさせてしまったのだ。
――もう二度と主は持つまい。
こんな思いを、生きていく事さえ苦しいのなら俺はもう誰のものにもならない。
燕青はそれから牡丹に関する書物を片端から焼き払った。
義勇軍で活躍していた事も、貿易商として名乗りを上げた事も、梁山泊に入山してからの事も。
まるで、牡丹という存在は初めからこの世にいなかったかのように。目に入る全てを焼き尽くした。それでも、朱華から受け取った日記だけは焼けずにいたのだ。
生きて欲しい。と燕青に向けて残した最後の言葉だけは焼けなかったのだ。
「どうしろってんだ……牡丹」
息が詰まる。牡丹のいない世界等とうに終わったのも同じなのに、生きろと言う。吐き出した言葉に乗せてこの感情もなくなればいいのに。と柄にもなく願っている燕青は空を仰いだ。
燕青に関する資料は少なく、牡丹と袂を分かってから、何をしてどう過ごしていたのかは、わかっていない。
わかっている事は、常に主の傍を離れなかった忠臣としての燕青の姿だけである。