何度繰り返したってきっと、君を求めずにはいられないんだ


エピローグ

          *

 カルデアの広い廊下に一つの足音が聞こえる。誰かが走っているようだ。と藤丸は窓の向こうを眺めていた。マシュに青空を見てみたい。と言われてからどうも外に広がる景色が気になるようになった。未だに雪景色――吹雪がカルデアを襲っている所為で、景色も何もあったもんじゃない。
 意識を足音に持っていくと、その足音は途中立ち止まったりして、どうも誰かを探しているようだった。はて、スタッフが誰かを探しているのか。と藤丸は足音が聞こえる方に向かって歩き出した。
 走っている足音は決して耳障りな音ではない。こんな走り方をするようなスタッフはいただろうか。と考えていると、藤丸は何かに顔面をぶつけた。

「すみません。前を見ていなかったです……って、燕青?」
「よぉマスター、牡丹は見なかったかい?」
「見てないけど」
「そうか。じゃあな! あ、あんまり関係ねぇ事だが、今日は一段と冷えるから温かくしろよー」
「わかった。ありがとう」

 言いたい事だけ言った燕青は、藤丸のお礼の言葉を聞く前に背中を向けて何処かに向かって走って行く。その足音はさっきまで聞いていたもので、藤丸は思わす小首を傾げた。

 ――燕青って足音立てるような奴だったっけ?

 いつも知らない間に後ろにいたり、正面に現れたりする印象が強い所為か、燕青が足音を響かせている事に藤丸は違和感を覚えた。
 何かあったのだろうか。と、もう見えなくなった背中に問いかけたが、当然答えは返ってくる事はなかった。

 ところ変わり、牡丹は散歩と言わんばかりにあてもなくカルデア施設内を歩き周っていた。図書室や体育館、厩舎に行ってみたりと、思うがまま自由気ままに歩き周っていた。
 そんな中、牡丹の耳に足音が聞こえた。
 その足音が聞こえると、牡丹は自然と歩く足を止めた。それは、足音の持ち主を知っているからだった。
 わざわざ自分から会いに行く必要のあるまい。と牡丹は廊下の端に寄り足音が聞こえる方向に顔を向け、その人物が現れるのを待った。
 時間にして数十秒だった。深い緑を孕んだ濡れ烏の長い髪を揺らしながら走る燕青は、遂に牡丹の姿を見つけた。広い廊下でポツリと立っている牡丹を視界に収めた燕青は、弾かれるように牡丹の前に立った。
 僅かに息を切らしている燕青。何か急な用事でもあったのか。と牡丹は小首を傾げた。

「どうかしたの?」
「え……あー、いや……」

 言葉に詰まった様子の燕青を見た牡丹は、急ぎの用ではなさそうだ。と判断し、ではどうして会いに来たのだろうか。と燕青の翡翠の瞳を見つめ、男の唇が動くのを待った。

「なんとなく、じゃ、駄目かい?」
「君は普段甘え上手なのに、こういう時は甘え下手なんだね。会いに来たって言えばいいのに」

 そんな簡単に気持ちを吐露出来れば、あんな事にはなったりしない。と燕青は内心溜息を吐いた。
 大体牡丹だって素直じゃない癖に。と胸の内で悪態をついて、今にも牡丹に触りたい手をぐっと押さえつけた。
 まだだ。まだ早い。今はその時じゃない。待っていろ。と自制心をうんと働かせた燕青は口の端を無理矢理上げる。

「何処に行く予定だったんだ?」
「特に決めてはいないよ。気ままに散歩していただけだからね」
「そうか」
「君も一緒に来る?」

 牡丹が燕青に問うと、燕青は翡翠の目を細め一度頷いた。それを見た牡丹が歩き出すが、燕青は歩こうとはせず、その場に立っている。二人の間に歩幅一歩分の距離が出来ている。

「どうしたの? 行こう」

 そう言って牡丹は燕青に手を差し伸べた。燕青は己に向かって伸ばされたその小さな手に己の手を重ね、ゆっくりと包み込むように握った。
 そうして二人は隣同士に並んで歩き出した。
 お互いの歩幅は随分と違う。牡丹の二歩は燕青の一歩だったりするが、二人は同じ速度で歩いている。それが自然であるかのように、合わせているなんて意識もない。
 繋がっている手は緩く握られていて、どちらかが振り払えばすぐに離れてしまう。それでも離れる事はなかった。

 足音を鳴らして歩けば、牡丹はその音を識別し燕青のものだとわかれば立ち止まり待っていてくれる事に気が付いてから、燕青は牡丹を探す時、いつも足音をわざと鳴らしている。
 燕青を待っている牡丹は気が付いていないが、燕青は知っている。
 その表情が幸せに溢れている事に。
 隣を歩こう。と言ったその言葉通り、歩き出した牡丹は燕青が隣にいないとわかれば、手を差し伸ばしてくれる。そうすればあの白魚の小さな手に触れられる。繋がった手を牡丹は決して振り解いたりしない。
 たかがそれだけ。と思う人もいるだろう。誰かのちっぽけな幸せは、他人にとって、これ以上ない幸せだったりするのだ。

 今はまだ、始めたばかりの関係であり、いつしか終わりを迎える関係。
 だから多くは望まない。
 今はただ、隣に並んで同じ景色を見られる。誰の目から見ても些細な幸せを噛み締めようではないか。
 願わくは、牡丹の笑みが枯れる事がないように。





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