佐倉と轟くんと大きな月

たまに意味もなく月に手が届くんじゃないかと思う時がある。そういう時は呪文を唱えて空高く飛び上がる。そうして月に手を伸ばしてみて、指先が掠りもしない事に自分の無力さを感じるのだ。

それでも手を伸ばさずにはいられない。

寮の共用スペースの広間から林で隠れて見えない月を眺めていると、不意に後から焦凍くんに話しかけられた。

「名前さん?なんかあったのか?」
「月は遠いいなって」
「何の話だ?」
「なんでもないよ」

振り向くと何当たり前なことを言っているんだっていう目で焦凍くんに見られ、私は頭を振った。これは私の独りよがりだ。

「確か今日だったな」
「うん?何が?」
「今日はなんかすごいんだろ?月が」

そう言えば今日の月はブルームーンだとさっき梅雨ちゃん達が言っているのを耳にしたな。なんてぼんやり考えていると、焦凍くんが私の隣に並んで見えない月を見上げた。

「ここからじゃ見えねぇな」
「見に行こうよ」
「は?」

私は焦凍くんの手を取り、玄関に向かって歩き出すと、飯田くんがどこに行くのかと尋ねたので、散歩に行く。と答えた。すると彼は一瞬渋い顔をしたが注意しながらも送り出してくれた。

「あまり遅くならないようにして頂けると有難い」
「ありがとう。行ってきます」

彼も私が年上だからあまり強く言えないのだろう。なんて思いつつも焦凍くんの手を取り外に出た。
人目のつかない所を探すもこの辺りは色んな学年、クラスごとに寮が分かれており更には至る所に警備のロボットまで徘徊しているから完璧に人目を避けることは出来ない。

だけど、時間さえ止めてしまえば何とかなる。私は草が生い茂るちょっとした林の中に入り、服の中に隠している鍵を取り出して呪文を唱える。

「光の力を秘めし鍵よ真の姿を我の前に示せ。契約のもと名前が命じる。封印解除(レリーズ)!」

ポケットの中に入れていたカードを取り出しそれを空中に投げる。

「我ら以外の時を止めよ!“時(タイム)”」

蝉の鳴き声、寮から漏れる微かな笑い声も瞬時に止まり、空を見あげると風で舞い上がった木の葉さえも動きを止めている。

「名前さん…これは」
「ちょっとだけ皆の時間を止めたの」
「時間を、止める」

私は焦凍くんに“浮(フロート)”のカードを発動させて浮かし、自身の背中には羽を生やした。

「さぁ、行こう!」
「まさか行くって空にか?」
「うん!」

焦凍くんの手を取り私は空に向かって飛び立つ。握っている焦凍くんの手を離さないように力を込めて握り、加速していく。丁度雄英高校のガラス張りの校舎を抜いたあたりで“時(タイム)”のカードが手に戻って来たので止めていた時が動き出した。

「焦凍くん!月だよ!!」
「あぁ、そうだな」

ブルームーン。通常満月は月に1度だけだがたまに月に2度満月が訪れる時がある。それをブルームーン。貴重な月として呼んでおり、見たものを幸福にすると言われている。

「見れてよかった」
「ただの満月じゃねぇのか?」
「これは2度目の満月だから珍しいんだよ」
「そうなのか」

空中に浮いたまま手を繋ぎ隣に並ぶ。真下は雄英高校をはじめ色んな建物の灯りが窓から漏れて暗闇の中に光を放っている。

「名前さん」
「なに?」

不意に名前を呼ばれ、焦凍くんの方へ顔を向けるとひどく穏やかな表情をした焦凍くんと目が合った。

「ありがとうな」

いくら近づいても月の光は何処までも柔らかい。そんな光が穏やかに笑う彼の半分を照らしている。目の前の光景に言葉を詰まらせる。

「名前さん?」
「っ、なんでもない。焦凍くんと見れてよかったって思うよ」

今の私の心境を言葉にしようものなら稚拙だが、見惚れた。が正しいのだろう。
焦凍くんの優しげで柔らかな少しだけ口角の上がる笑い方がよく照らされていてとても綺麗に見えたのだ。

急に恥ずかしくなり、私は俯いて足元を見た。がっしりと繋いでいた手が緩められ指が絡まる。私の手にはその繋ぎ方は既に慣れ親しんだもので違和感なんてものは無く、寧ろしっくりする。

「ふふっ」
「おかしなことでもあったか?」
「ううん。ねぇ、少しだけ景色を楽しもうよ」

焦凍くんの手を引いて翼を羽ばたかせて移動する。“浮(フロート)”で浮かせているから力を入れずに夜空を移動することが出来るから、手を引けば歩くより早く移動できる。焦凍くんは少しだけ不安そうに眉を下げるがすぐにまた穏やかに笑う。

月に手を伸ばしても当然手は届かなくて、その事実に自分の無力さを感じる。否感じていた。
今はそんな事は思わない。焦凍くんの手を取るだけで心が満たされる。月に手が届かなくても焦凍くんに手が届くのなら、今はそれでいい。それがいい。