糸しい糸しいと言う心



お盆が近くなると母方の実家がある田舎に行った。カラオケもなければカフェもない。娯楽施設が何もなくただ民家と山と畑しかないこの場所は幼い私には退屈過ぎた。

それでも唯一の楽しみを見つけたのは私が8つの頃だ。好奇心で入ったちょっとした森の中にひっそりと佇んでいる古びた神社の社で出会った男の人と遊ぶ事だ。
その人の髪はとても不思議で、真ん中で紅白に分かれている。目もオッドアイでとても綺麗だ。
最初こそ素っ気ない態度をしていた彼だったが、月日を重ねていくうちに打ち解けてくれた。今では名前を呼び合う仲にまでなった。

幼い頃はだだっ広い草原で鬼ごっこをしたり、川に足を入れて涼んだり、境内の中で隠れんぼをしたりしていたが、私が中学にあがる頃にはそんな遊びはしなくなった。
夏休み期間だというのに実家から制服を持ってきて田舎のお婆ちゃんのお家で着替えて焦凍に見せびらかしに行った。
似合うでしょ?と聞くと焦凍は素直に頷いて柔らかく笑って、似合うな。と褒めてくれた。焦凍は幼い頃出会ったその時と容姿も背格好も変わらない、中学にあがった私よりも年上のお兄さん。

幼い頃に1度、焦凍は変わらないね。と言ったら彼は、時間の流れが違ぇんだろうな。と遠くの空の更に向こう側を見て答えてくれた。その時の私は焦凍の言っている意味がわからなかった。

そして今年の春に私は高校生になった。あの時より成長し大人になった私でもあの時の焦凍の答えた意味は分からないままだ。
夏休みに入り、私は母と一緒に田舎に行き、夏休みなのに制服に身を包み森の中にひっそりと佇んでいる神社にいるであろう焦凍の所まで走った。

「焦凍!」
「名前…その制服は」
「高校の制服なの!どう?似合うでしょ?」

焦凍の前でくるりと回ってスカートの裾付近を掴んで軽く持ち上げて見せると、焦凍は口の端を緩くあげ笑った。

「あぁ。似合うな」
「ふふ、ありがとう」

今日はその辺を歩こうか。と言って歩き出した。2人並んで歩いて着いた先は幼い頃に鬼ごっこをしただだっ広い草原だった。青々とした草が風に揺れ波を作っているそこに私たちは腰をかけた。

「そう言えば焦凍と私そろそろ同じ歳くらいになったんじゃない?」
「そうかもしんねぇな」
「相変わらず教えてくれないのね。まぁいいわ!」

焦凍は決して自分の事を教えてくれない。今何歳なのか、普段は何をしているのか、その身を包んでいる制服はどこの学校のものなのかも。顔にある火傷のような傷跡も。教えてくれたのは名前と人間だってことだけだった。

…人間なのは見たらわかるわよ。

でも一緒に過ごしてきた時間のお陰で、私は彼がどういう人物なのかは知っている。私の質問に適当に答えているわけじゃないことも、何か理由があって話してくれないこともちゃんと分かってる。

わかってるから私も執拗くは聞かない。

「お前は、名前は俺の事気持ち悪くねぇのか?」
「どうして?」
「姿の変わらねぇ人間が隣にいたら普通は気持ち悪ぃだろ」
「関係ないわよ。私は焦凍が人だろうが幽霊だろうが妖怪だろうがどうでもいいのよ。だって焦凍は焦凍でしょ?」

吹く風に私の声が消されないように、僅かに声を大きくして焦凍の目を見ながら言うと、焦凍は目を大きくさせ驚いた表情を私に見せた。そして真剣な眼差しで1度首を縦に揺らした。

「俺は俺だ」

ゆっくりと1文字1文字、言葉の意味を噛み締めるように吐き出された言葉の声色は、どこか喜びが混ざっていたように思う。

一際強い風が草原を駆け抜ける。草木を揺らしながら通り過ぎていく風は、まるで草木の音をたてて楽しんでいるようだ。

「きゃっ」

正面から向かってくる風に、両目を瞑って手を顔の前に出し何かから顔を守った。だけどすぐに暖かい何かに身体がすっぽりと包まれた。

「しょ、と…?」
「出来ることなら名前ともっと一緒に」

耳元に聞こえた焦凍の声はさっきと違い、切なげで胸が締め付けられた。
私と一緒に…ってどういう意味?いたいって続く予定だったの?もしそうなら私だって同じ事を思ってるよ。
焦凍に会えない季節は、今頃何をして過ごしているんだろう。どこにいて何を見ているんだろうって考えているよ。

無意識に背中に回そうとしていた腕に気がついて、咄嗟に私を抱きしめている焦凍の二の腕に触れた。焦凍は私に触れられた瞬間目にも止まらぬ速さで私の事を解放して、少し顔を俯かせて、悪ぃ。と謝った。

嬉しかったんだから謝らないで欲しい。

「ねぇ、焦凍夏祭りに行かない?今日ねこの村でやるのよ」
「祭りか…」
「ね?行こうよ!」
「そう、だな」

何かに引っかかったみたいだが、焦凍は首を縦に降ってくれた。つまり一緒にお祭りを回ってくれるという事だ。それならと、夜の方が雰囲気があっていいからという理由で、夜お祭りがある神社の鳥居の前で待ち合わせすることにした。

お婆ちゃんに薄いピンクの下地に赤と白の椿の模様が入った浴衣を着せてもらい、下駄を引っ掛けて外に飛び出した。
昼間に会ったのにもう焦凍に会いたいなんて思ってる私は重症なのかもしれない。

浴衣が乱れないように気をつけながら小走りで走って鳥居の前に行くと、いつもの制服に身を包んだ焦凍が立っていた。

「焦凍!」

少し距離があったが声が届く範囲にいるからと焦凍の名前を呼ぶと、彼は私の方に振り向いた。

「名前…」
「お待たせっ、ごめん待たせたね」
「いいや、俺が早く着いただけだ」

それよりも。と焦凍は言葉を続けたくせに何か言葉をつまらせた。心做しか頬も赤く染まってる。

「焦凍?」
「その浴衣…」
「あぁ!お婆ちゃんに着せてもらったの!似合ってるでしょ?」
「似合ってる、が…」
「ん?」

歯切れの悪い焦凍に首を傾げると、意を決したように口を開いた。

「その模様、なんか俺の事意識してんのかって勘違いしちまう」
「…!!」

2人して赤くなった顔を隠す為に俯き、なんとも言えない空間が広がった。浴衣の模様は一目惚れだったのだが焦凍にそんなこと言われたらそうだったかも。なんて思ってしまう。

…も、暑っつい。

夏とはいえ田舎の夜は冷えるのに身体が火照って暑っつい。パタパタと手を団扇代わりにして顔を冷ましているとその手を焦凍に掴まれた。

「祭り回るんだろ」
「うん!」

色んな屋台が並び、そのどれにも目移りしてしまう。お祭りなんて特に珍しくもない。友達とも何回も言ったことがあるのに、こんな片田舎のお祭りが今までのお祭りよりも輝いて感じる。それはきっと隣立つ焦凍の存在が大きい。

柄にもなくお面を買ったり、お好み焼きや焼きそばを2人でつついたり、射的をしたり金魚すくいをしたりと一通り楽しんだ後、神社のおみくじを引くことにした。

「焦凍なんだった?」
「大吉だった」
「え?!凄いじゃない!」

焦凍から受け取った細長い紙には色々書かれていたが、私が1番目に止まったのは、このまま続ければ成就する。と言う言葉だった。

「こういう言葉が書いてあると頑張ろうって思えるよね」
「…名前は何だったんだ?」
「私は末吉だったよ」

私が引いたおみくじを焦凍に渡すと、彼はさっとそれに目を通した。
そして何かを見つけたのか、口の端を軽くあげた。

「迷うな今の人が最上…か」
「ん?あぁ、恋愛運のところでしょ?」
「なぁ俺と名前の交換しねぇか?」
「え?!だって焦凍大吉だよ?いいの?」
「あぁ。俺はこっちがいい」

焦凍がいいならと私は有難く大吉のおみくじを頂いた。そして焦凍が私に話があると言ってお祭り会場を後にした。
何となく歩く景色は2人で過ごした思い出が溢れてくる。
あぁ、この川で一緒に涼んだなー。とか、木登りした木はこの木だったっけ?とか、なんでかは分からないけど今日に限って色々と蘇ってくる。

辿り着いた先は私と焦凍が初めて会った古びた神社だった。

「話したいことって何?」
「俺の事について、だ」
「うん」

焦凍の話はとても現実的とは思えないものばかりだった。焦凍は個性と呼ばれる特殊能力がある世界でヒーローを目指してる高校生で、私は何年も焦凍と時間を重ねていたけど、焦凍は自分の世界と私のいる世界を行き来してるから数ヶ月の出来事だとか。全くもって非現実的な話だった。が、焦凍がそう言っているからそうなんだろう。

「そうだったんだね」
「し、信じてくれるのか?」
「嘘なの?」
「嘘じゃねぇが…」
「あのね、私は焦凍を信じてるから焦凍が言ってくれたことも信じるんだよ。焦凍は嘘をつかない人だって知ってるから。だからきっとヒーロー?に向いてると思うよ」

真っ直ぐに目を逸らさずに伝えると、焦凍は私の腕を引き寄せて抱き締めた。
隙間なく、ぴったりと2人の身体が合さるように。

「どうして私に話してくれたの?」
「……名前に、俺の事を知って欲しかった。覚えていて欲しいと思ったからからだ」

今までだって焦凍の事を忘れた事ないじゃない。なんて軽口を言えるほど心は軽くなかった。だって、毎年暑いくらいの夏に私達は顔を見合わせてお互いの名前を呼んで一緒の時間を過ごしていたんだから。だから焦凍が本当に言いたい事はきっとこうだ。

「もう、会えない、の?」

私を抱き締める腕が強くなったのが答えなのだろう。
私達はこの夏が、ううん。今日が終わればもう2度と会えない。次の夏、私がここに来ても焦凍はここにはいない。

心が抉られたみたいに痛い。締め付けられて息が苦しくなる。焦凍の背中に回していた腕に自然と力が入る。

どうか、どうか私からこの人を取り上げないで…!

「時間だ」
「え?」

ゆっくりと離れた焦凍の指先が光の粒になって消えていく。

いや!いやだ!行かないで!帰らないで!私のそばにいて!

目頭が熱くなって視界がぼやける。頬に暖かい雫が何度も伝い浴衣に染みをつくる。

「名前、キスしてもいいか?」
「当たり前じゃない」
「よかった」

抱き合って重ねた唇は一瞬で、私は膝から崩れ落ちた。
もう、私が抱き締めていた焦凍の身体は何処にもない。地面に落ちているのは巫山戯て買った焦凍が付けていたお面だけだ。末吉のおみくじはどこにも見当たらない。

「ふ、…ぐっ…ぁっ!」

とめどなく溢れる涙を抑える術を私は知らない。ただ、ただ私は声を殺して泣いた。涙は枯れることを知らずに浴衣に染みを作る。

初めてのキスはあまりにも一瞬で涙の味がした。

「しょ、と!ぁあ、ふ…くっ」






初めての恋はきっと私の人生に花を咲かせる。そんな気がする。

私は来年の夏もここに来て、焦凍!今年も来たよ!って笑っているんだろう。



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