繋いで消して



暑い暑い季節。学校が夏休みに入って家族と一緒に母の実家である田舎にやって来た。山と海がある田舎には街中のような騒々しさはなく、あるのは田舎独特の静けさと海から運ばれる潮風だけだった。

高校生になった私は夏休みだと言うのに制服に身を包んで森の中に足を踏み入れた。ローファーで坂道を登るのはもう慣れた。軽く息を吐き出しながら着いた先は古びた神社で、そこには狐のお面を付けた荼毘さんがいた。

幼い時に出会った彼はとても怖い雰囲気の人だった。狐のお面を常に付けていて隙間から見える肌は継ぎ接ぎで肌の色が違った。幼い頃、陽だまりの中大きな木の木陰に入って隣で昼寝をする荼毘さんのお面を1度だけ外したことがある。顔の3分の1は火傷で爛れたような肌の色で、ダンカッタの芯のようなもので繋ぎ合されていた。幼い私にそれは刺激があまりにも強くすぐに狐のお面を荼毘さんに被せた。
私はその時確かに荼毘さんに恐怖したのにそれでも一緒に夏を過ごした。

「どう?高校生になったの!」
「ガキくせぇなァ」
「荼毘さんもう若くないもんね」
「あ?」

いつもの声よりも少しだけ低い声で凄んだ荼毘さんの表情は狐のお面で見えない。でも容易に想像はつく。その位私達は毎年の夏を一緒に過ごした。それは私が何歳の時からだろうか。少なくとも小学生の時には夏は荼毘さんと一緒にいた。

「ねぇ、明日は海に行こうよ」
「面倒だな」
「いいじゃない。ここ田舎だし人なんか滅多にいないもん」
「それはそれは親切にどーも」

名前チャンも大人になったなァ。なんて揶揄って私を弄る荼毘さんに多少なりともイラッとしたが、ここで声を荒らげても結局言い負かされるのは私なのだから。とぐっと言葉を飲み込んだ。

私はなんて出来た大人なんだろうか。

その辺に落ちてる木の枝を拾って、神社の階段に腰掛けてる荼毘さんに向かって差し出した。すると荼毘さんは頬杖を溜息を吐いて木の棒を指先でつついた。

「まだコレが必要な程子供なのか?」
「違うけど懐かしいでしょ?」

本当は手を繋ぎたいよ。でもそれは出来ないんでしょう?いつだったかに荼毘さんが森の中に住む、所謂妖怪、妖と呼ばれる人ならざるものに喧嘩を売られていた時があった。私はそれらの存在を見ることが出来なかったのだけれど、荼毘さんのお面越しになら見えた。

“ひぇっ…!”
“お嬢チャン動くなよ”
“…、力が入らなくて動けないよ”

荼毘さんは手から青い炎を出して妖怪を燃やし尽くした。灼熱の炎よりも冷たく輝くその青い炎に私は目を奪われた。

“荼毘さんって凄い!”

私がそう言って駆け寄り抱きつこうとすると、荼毘さんは私を避け腕を伸ばして掌を私に見せた。それは、待て。と言わんばかりのポーズで私はその場でピタリと固まった。

“荼毘さん…?”
“俺に、…触んじゃねェよ”
“なんで?”
“何でも、だ。わかったか?お嬢チャン”

渋々ながらも私は頷いた。それからというもの私は荼毘さんに1度でも触れたことはない。どこか遊びに行く時は手を繋がないでいるか、そこら辺に落ちている木の枝の端と端を持って離れないようにするかのどちらかだ。後者は荼毘さん凄く嫌がるのだが、その荼毘さんがふらっ、とどこかいなくなるのだから我慢して欲しい。

「ほら、早く」
「ガキくせぇなァ」

そんな口の悪い事を言いながらも荼毘さんは枝の先を掴んでくれた。私を小さい時から見ている所為か、荼毘さんは私に甘い。
鬱蒼とした森の中は強い日差しを柔らかい日差しに変える。木陰に入って、草の上に寝転んで昼寝をしたり、倒れている丸太の上をバランスを保ちながら歩いたり、下に見える片田舎と、無限に思える海を一緒に眺めたりして荼毘さんと過ごす。

「海が綺麗だね」
「反射してるだけだろ」
「荼毘さんって情緒ないよね」
「興味ねぇからな」

そして、2人を繋ぐ枝を離さなくてはいけない日が来た。毎年の事ながらその日は寂しく思う。荼毘さんに、また来年ね!って言っても素っ気ない態度で、追い払うように手を動かすだけだ。

「またな。位言ってくれてもいいのに」
「またな」
「感情篭ってないよね…もー」




それから1年が過ぎた。私はまた荼毘さんに会いに森の中に来ている。
見せびらかす制服もない為動きやすい私服で歩き慣れた道を登って荼毘さんに会いに行く。大きな岩に腰掛けていつも付けている狐のお面を軽く外して、空を見ている荼毘さんに普段の威圧感はなく、ただ穏やかな空間が広がっていた。

「何見てんのお嬢チャン?」
「荼毘さんってそんな表情も出来るのね」

私も荼毘さんが腰をかけている大きな岩に登ろうとしたが、足を滑らせてしまい、そのままお尻から落ちた。幸いそんな高さを登ってはおらず、お尻もそこまで痛くはない。

「鈍くせぇな」
「仕方ないでしょー」

私を揶揄いながらも荼毘さんは今から飛び降りて、その辺に落ちていた木の枝を拾い私に差し出した。私は枝の先を握り立ち上がり、お尻についた土を叩き落としてもう1度木の枝を握った。

「ねぇ荼毘さん。荼毘さんって妖怪なの?」
「今更だなァ」
「そうなんだけど、気になったから」

どこを目指すわけでもなくただ歩いている途中荼毘さんに質問すると、荼毘さんは狐のお面を外して私に付けた。すると視界には妖怪が何体か見え、思わず肩に力が入る。

「っ!」
「目を合わせるなよ。合わせると…死ぬぞ」
「な、なん…で」

荼毘さんはそのまま妖怪達の前を通り抜け、私も必死に目を合わせないように地面を見ながら通り過ぎた。なんで荼毘さんは私に妖怪達を見せたのかが分からないでいると、狐のお面は外された。

「これが俺の見てる世界だ」
「うん」
「俺は…赤ン坊の時に親に捨てられ、気紛れに妖怪に拾われた。だから俺の身体は妖力で保たれている」

という事は荼毘さんは人間?でも人間は手からあんな炎は出せない。

「人にはない力を手に入れた俺は手始めに雑魚妖怪を片っ端から殺しまくった。ほんの一瞬油断したその時に俺は呪いを受けた。それは人に触れると存在が消える呪いだった」
「っ!じゃあ荼毘さんが私に触れないのって…」
「関係ねェよ。俺は元々誰かと連むのは嫌なタチなんでな」

でも、それでも荼毘さんは私を傍に置いてくれた。その行為がどれだけ自分にとってリスキーなものと知っていながらも。

「私が側にいて怖くなかった?」
「お嬢チャンは随分俺を見縊ってんなァ」
「私なら怖いよ…」

だって、自分を消す存在が隣にいるんだから、怖いわけがない。
荼毘さんは強い人。そして優しい人。前に優しいね、と伝えたら荼毘さんは私を見る目ねぇな。と揶揄うように笑った。

「荼毘さんは強くて優しいね」
「やっぱお嬢チャンは見る目ねぇな」
「そんなことないよ。例え妖怪を殺すことに躊躇なくても、私の側にいてくれるもの」
「お嬢チャンは俺の事ちゃんと見れてねぇな」
「そんなことない」

そのままくだらないやり取りをしていると、祭囃子が聞こえてきた。

「今日、お祭りだ」
「そうみたいだなァ」
「ねぇ、夜花火をここから見ようよ!きっと綺麗だよ」

渋る荼毘さんを無理矢理ねじ伏せて待ち合わせした場所に行くと、そこに荼毘さんは立っていた。荼毘さんの前に立ち、鮮やかなあ青の浴衣を見せびらかすも荼毘さんの評価は辛口で、馬子にも衣装。とだけ言われた。

ここからなら2人でゆっくり見れるね。なんて言っていたのも束の間で、何人かの人が集まってきた。どうやら此処は花火が綺麗に見える穴場スポット見たいで、カップルや家族連れが来てしまった。

まぁ、人数も少ないし荼毘さんの威圧感で近寄ってくる人もいないからと油断していたが、1人の好奇心ある女の子が近寄ってきて荼毘さんの目の前に立った。それを見た荼毘さんはしゃがみ女の子の目線に視線を合わせた。

「お兄さんのお面触らせてー」
「お面だけならどーぞ」

珍しい。私にも聞いたことがない声色で女の子を甘やかす荼毘さんはかなりのレアで開いた口が塞がらない。

女の子はお面に触るだけ触って満足したのか、可愛い笑顔とともにお礼を言って家族の元に帰って言った。

「あのガキお前の小さい時に似てたな」
「…そう、ですかね?」

だからお面を触らせたのかな。なんて思いながら荼毘さんを見ると自然界では不自然な青い光の粒が荼毘さんを纏っていた。

「荼毘さんっ!!」
「落ち着けお嬢チャン。こっちだ」

荼毘さんは私の手を掴みどこかに走っていく。どこか人目のつかない場所。そして着いた場所は古びた神社の前だった。

「荼毘さん…っ」
「お前泣き顔も不細工だな」

私の手を掴んだまま荼毘さんは、頬に伝う涙をその指で拭ってくれるが、その指が青い光の粒に変わっていく。
そして、荼毘さんが私を引き寄せて抱き締めた。必死に荼毘さんに抱きついて消えないように、と願うがそれも虚しく荼毘さんの身体が消えていく。

「嫌だよ…!離れたくない!」
「名前」

名前を呼ばれ密着した身体に隙間をつくり荼毘さんを見上げると、狐のお面を外した素顔の荼毘さんが薄らと笑っていた。私の頭に回した消えゆく手が頼りなく儚い。そんな手でゆっくりと引き寄せ重なった唇に涙が零れる。

「名前愛してた」

荼毘さんのしっかりとした身体を抱き締めていた筈の両手は、抜け殻になった荼毘さんの服しか抱き締めていない。

「ぁあっ!…、ぐっ、ぅあ」

最期に見せた荼毘さんの表情は、ボヤけきった視界では分からなかった。

「大好きよ。私だってっ、愛してる」

伝えられなかった気持ちを涙と共に吐き出した。もう会えない。もう隣にいられない。木の枝で手を繋いだり、一緒に木漏れ日の中を歩いたり、山から海を眺めることも何もかも、もう2人で出来ない。

遠くの方で花火の打ち上がる音がした。
私は地面に落ちていた狐のお面を付けて空を見上げると丁度花火が上がり、火花の欠片だけが見えた。

「荼毘さん。綺麗だよ」

怖いばかりの視界でも打ち上がった花火は綺麗だった。


“ここ…どこぉ…?”
“お嬢チャン迷子?”

あの夏はもう還らない。



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