あなたの愛したあと



朝、目が覚める頃にはあの人はもういない。隣にあったはずの温もりは既になく冷たくなっている。昨日の夜今日は朝からポアロでバイトが入っていると言っていたからもう行ったのだろう。寝起きでボサボサの髪を手櫛で軽く整えながらリビングに行くと朝食が用意されており、彼が私の為に作って行ってくれたのだとすぐに分かった。

私は今日は休日で何をしようか朝食を食べながらぼんやり考える。家でまったりもいいけど何もしないのも勿体ない。それなら外に出て散歩がてら買い物でもしようか。

お昼を過ぎた頃私は外に出た。目的地はショッピングモールだ。日曜日という事もあり、多少の人混みがあったが気にするほとでもなく目的もなく彷徨う。すると後から声をかけられ振り返ると見知った顔が2人並んでいた。

「名前さん」
「蘭ちゃんに園子ちゃん、久し振りだね」
「お久し振りです。お買い物ですか?」

そうなんだ。そう頷くと2人はパァと顔色を明るくさせ、園子ちゃんは私の腕を引っ張りニヤニヤと笑った。どうしたのかと首を傾げ蘭ちゃんの顔を見ると苦笑いしながらポアロに行く所だったと教えてくれた。

「喫茶店ならここにも入ってるよ?」
「そーだけど、安室さん程のイケメンって中々いないじゃない。たとえ人の物でも眼福よね」
「人の物って…」

確かに私と安室さんは1室を借りて一緒に生活する仲だ。だけどこの関係に名前があるのかと言われればそれは答えられない。私は彼に好意があるし向こうもそれを分かってる。そして私も彼の気持ちには気がついている。だけどそれを言葉にしたことはない。

「そしたらポアロに行こうか」
「名前さんならそう言ってくれると思ってた!」
「もう園子ったら…」

私は来た道を引き返す形で歩き出す。私が突然ポアロに行ったら安室さんは驚くだろうか。喜んでくれるかな。どっちの反応が想像出来て自然と笑みが出る。

「名前さん?」
「何でもないよ」

蘭ちゃんに指摘されきゅっと口元の筋肉を活動させた。園子ちゃんに揶揄されながらも歩き続けてポアロに着いた。カランと軽い音が扉を開けると同時に鳴り私たちの入店を伝える。
振り返った安室さんは私の顔を見つけると嬉しそうに笑い席に案内してくれた。

「来てくれたんですね」
「私達が連れてきたんですー。感謝してくださいよー」
「こら園子!ごめんなさい安室さん」
「いえいえ、連れてきて頂いてありがとうございます」

私は珍獣か何かなんだろうか。居心地悪く注文を取っている安室さんを見上げるとご機嫌な笑顔を貰った。

「しっかしよくあんなイケメンをモノに出来たわよね」
「園子ちゃん、私大人だからね一応。それとそれには同意見」

本当になんでこの人と私は一緒に生活しているんだろうと、偶に本気で考える時がある。だってあの安室透さんだ。顔もよく、気配りが出来て、テニスだってとても上手で、私立探偵をやっているくらい頭も良い。まさに完璧人間だ。

女子高生2人と楽しくおしゃべりしていると安室さんが上がる時間になり、自然と解散する流れになった。と言うのも2人が私達に気を使ったからである。でもその気遣いは無駄になってしまった。

「すみません名前さん、僕この後依頼人と会う約束をしていて」
「気にしないでください。お仕事頑張ってください…あと、朝ご飯ありがとうございました」

申し訳なさそうな顔して謝られたので、首を振り大丈夫だと伝え、小声で朝食のお礼を言うとニッコリ笑ってくれた。

安室さんと別れた後散歩の続きをしようとお家までの道のりを遠回りして帰る。だけどそれが仇となった。人が混み合ってる交差点で信号待ちをしている時に目の前を見慣れた白い車が通り過ぎ、少し離れた所で止まった。あれは間違いなく安室さんの愛車だ。
助手席からはプラチナロンドのスラリとした綺麗な女の人が出てきて、安室さんに何か話している。断片的に聞こえる単語で聞き取れたのはバーボンという単語だけだ。綺麗な女の人は妖艶に笑うと扉を閉めて歩き出し、安室さんは私に気付かずに走り出してしまった。私はというと信号が変わり人波に流され帰路についた。

あの人が依頼人なんだろうな。遠目だったけどそれでも綺麗な人だったな。彼の隣に立っても違和感がない人だった。

「助手席に乗せちゃうのか…」

別に助手席には私しか乗せません。とか言われた訳じゃないし、それを望んでるわけじゃない。ただ私は彼の隣に座って話すのが好きで、それを特別に感じていただけだ。彼に恋に落ちた場所だから。

彼の運転する横顔が好きでよく眺めていた。楽しそうに笑って前を見る彼の横顔を私以外の人が見ているのか。

「なんか…嫌だなぁ」

ぼーっと歩き続けていると見慣れない景色が目の前に広がっていた。

あー、これは迷子になったな。

取り敢えずマップアプリを開き現在地を確認するとマンションからそんなに離れてなく、タクシーとか使う距離でもなかった。
アプリを開きながらくるりと向きを変えて歩き出すと連絡アプリから電話の通知が来て、通話にスライドさせ耳に当てると端末の向こうから心配するような声が聞こえた。

「名前さん、今は家ですか?」
「いえ、外です…その、考え事して歩いてたら少し行き過ぎちゃって今帰ってるところです」
「迎えに行きます。場所はどこですか?」
「いや!そんな遠くないので自力で帰れますよ」
「僕が迎えに行きたいんです。名前さん迎えに行かせてください」

そこまで言うのならと現在地を送り車道側に寄り立って待つこと数分で見慣れた白い車が私の前に止まった。

「お待たせしました」
「いえいえ、寧ろすみません」

助手席に乗りシートベルトをつけながら先程のプラチナロンドの綺麗な女性についてたずねると、安室さんは笑いながら依頼人ですよと私が想定した答えを答えてくれた。

「そうなんですね。所で安室さんってバーボン好きなんですか?」
「…どうしてですか?」
「いや、その女性が車から降りる所を見てしまってバーボンって言葉が聞こえてきて好きなのかなって」
「そうなんですね。依頼人が好きなようで、僕はどちらかと言うとあまり好みではないですね」

本当にそうなんだろうか。なんて疑ってしまうくらいにバーボンという単語は耳に残った。だけどそれを口にしたところできっとこの人は何も答えてくれないのだ。

2人が暮らすマンションの駐車場につきシートベルトを外して彼の手に触れる。抵抗されない手に触り指を絡めると安室さんも握り返してくれた。

「どうしたんですか?」

嬉しそうに笑う安室さんはきっとまだ私が知らない顔を持っている。それは常々思っていた事だ。

「抱きしめてくださいって言ったらどうします?」
「随分可愛らしいことを言うんですね…誘ってるんですか?」

するりと絡めていた指を解き私の手の甲に口付け、口の端をあげ目を細めて私の目を射抜く。その鋭い視線に頬に熱が集まってしまう。

きっとこの人は私に全てを話してくれることはない。隠し事を上手に隠してそして何もないかのように綺麗に笑うのだ。

彼は私の手を名残惜しむように手を離してドアを開け、助手席に回りドアを開けてくれた。まるでエスコートされているようで、気恥ずかしくなるのに安室さんが様になっていて胸がときめいた。また1つすとんと胸の奥に何かが落ちる。

助手席から降りると彼は同然というようにドアを閉めて私の手をとる。

「先程の答えですが、もちろん抱きしめますよ。お望みとあらばいつでも何処ででも」

そう言って私の腰に手を回して引き寄せる。身体に伝わる安室さんの熱に心地よさと安心を感じる。

もしかしたらこの人が見せる笑顔は本当の安室さんの笑顔じゃないのかもしれない。隠し事が上手な彼の偽りの部分なのかもしれない。それでもこの熱は本当の彼だから。

手を握ったら握り返してくれる。触れれば抱きしめてくれる彼の熱を信じていつか話してくれるのを待とう。

「安室さん、幸せです」
「僕も幸せです」

今、この時は誰よりも幸せなのだ。私はそれだけでいい。それ以外には何も望まない、私にはこの幸せがあれば十分なのだから。


- 2 -
(Top)