パブロフの兎


ひと休み

「とりあえず、こいつは警察に引き取ってもらうからよぉ」

 そういって、彼女はポケットから携帯電話を取り出した。警察と祐未のやりとりを、直樹はただ呆然と見ている。
 銀髪赤目ではないにしろ、男の様子は直樹の腕に噛みついたあの化け物と酷似していた。
 この町になにが起こっているのだろう。
 撲殺事件のこともそうだしヤク中のような浮浪者もいる。
 祐未が言っていたように、この町はとても物騒だ。
 撲殺事件の犯人であろう三月兎もこのあたりをウロついているかもしれない。

――|お茶会の始まりだ《Time for mad tea party》……

 病院で見た銀髪赤目の男も、同じことを言っていた。
 あの男が三月兎なのではないだろうか?
 だとしたら、彼と同じ言葉をつぶやく祐未はあの男の関係者か?
 話を終えたらしい祐未が携帯電話をポケットにしまいこむ。

「……とにかく、病院がヤだっつーんなら、家まで送るからよぉ、せめて今日はもう帰れや」

 それでも、銀髪赤目ではない祐未が三月兎ということはないだろう。関係者なのかもしれないが、水島のように全容を知らされずに動いているのかもしれない。

「……うん……いいけど、少し休んでからでいいかな?」

 昨日のことを思い出して足が少し震えていた。できれば少し落ち着いてから行動したい。

「お、おぅ。それくらいなら別にいいけど、ここで休むわけにゃいかねぇよな。ファミレスかなんか、近くに……」

 直樹の心情に気がついたらしい祐未が、視線を泳がせて直樹の腕をひく。この町の地理に詳しくないであろう彼女に対し、直樹がひとつの提案をする。

「商店街の近くに知り合いの家があるから……多分、この時間ならまだ起きてると思うし、金もかからないから、そこに行こうよ」

 案内するよ。と直樹が言う。祐未は少し悩んだあと、

「そうだな、そうするか!」

 と言って微笑んだ。

「じゃあ、ついてきて」

 直樹が案内したのは商店街のすみにあるペットショップだ。ななめ向かいにレコードショップと呼ばれていたころから存在しているCDショップが建っている。正面には店の入り口があり、今は閉まっていた。

「おい、もう閉まってんぞ?」

「いいから、ついてきて」

 どうやら併用住宅になっているらしく、庭から裏手へ回るとまた玄関があった。
 直樹が乱暴にインターホンを押す。

「陸っ! 陸いるっ?」

 二回立て続けにインターホンの電子音が響き、同時に直樹が声を張り上げた。

「っるさいなぁ、近所迷惑だろっ! 何の用だよ不良少年っ!」

 直樹がもう一度インターホンに手をかけたところで不機嫌そうな男の声とともに扉が開く。
 暗いブラウンの髪をゆるく巻いた姿は少し女性的な印象を受けた。直樹の記憶が正しければ、今年で三十二になるはずだ。
 怒鳴りつけられても知らん顔で、直樹は扉から顔を出した男……陸に向かって片手を上げる。

「疲れたから、ちょっと休ませてよ」

「はぁあぁあ?」

 陸があきれたため息をついたが、それでも直樹はやはり知らん顔のまま言いはなつ。

「のど渇いたからなんか飲ませて」

 噛み合っていない会話に陸がまたため息をついた。

「……ところで、その横の女の子はだれ?」

 陸がドアを開けて二人を招き入れる。
 戸惑う祐未の手を引いて、直樹は無遠慮に玄関へと入りこんだ。

「知り合い。祐未っていうんだ。手ぇ出さないでよ?」

「そりゃ犯罪だからな」

 祐未が軽く頭を下げて玄関へ入った。そのまま居間へと通され手近にあったソファへと腰を下ろす。
 直樹の横に座った祐未が、小声でつぶやく。

「どういう知り合いだ?」

「中学二年の時かな……職業体験で一回アルバイトしてから、土日はここでバイトしてるんだ。だから、バイト先の店長」

「ふぅーん……そのわりには、なんつーか、親しげだな……」

 直樹がソファから身を乗り出して閉まっていたカーテンを半分だけあける。薄暗いながらも、外灯の明かりでぼんやりと庭が見えた。

「ただ尊敬してないだけだよ」

「うぉおぉい」

 遅れて居間に入ってきた陸が抗議の声をあげる。直樹は無視して、テーブルに置いてあったリモコンに手を伸ばした。
 これ以上の会話はムリだと諦めたのか、陸がまたため息をつく。

「二人とも、コーヒーでかまわない?」

「うん」

 テレビのリモコンをいじりながら、直樹が答えた。

「あ、あたしもそれで大丈夫っす」

 祐未の言葉にうなずいて、陸は直樹をあきれたような顔で見る。

「すっかり自宅気分だな不良少年」

「家みたいなもんだ。僕の部屋より広いし、テレビも見られるし」

「お前の部屋と一戸建ての家を比べるなよ」

 陸がキッチンへ歩いていきながら肩をすくめた。
 テレビをつけると、新人芸人が海に素潜りして夕飯の食材を取っている。祐未が珍しいものを見るような目でその画面を凝視していた。

「こいつすっげー器用だなー!」

 感心したような声を聞くと、とてもさっき男を二人殴り飛ばしたとは思えない。
 リモコンをいじりながら、直樹が窓の外を見る。
 家自体の大きさはよく見る建て売り住宅と変わらない。違うのは敷地の大きさと庭に大きな倉庫があることぐらいだ。ただ倉庫の半分を覆うようにブルーシートがかかっている。

「陸、あれどうしたの?」

「ああ、倉庫か。先々週、壁に大きい穴があいちゃってさ。直すついでにもうちょっと大きくしようと思って」

 テーブルの上にコーヒーカップが二つ置かれた。直樹が自分の手前にあるコーヒーカップを手に取り陸を見上げる。

「うそ、僕知らない」

「お前、そんときちょうどテスト週間とかいってバイト休んだんだよ。そんでそのまま」
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