パブロフの兎


絶叫

「人に話を聞きまくってたらいつのまにか知り合いが増えて、情報収集したいならもっと効率的にやれって、いろんなこと教わって、気がついたら他人のパソコンに侵入してデータ盗めるくらいにまでなってた。そこでやっと姉さんは生きてるって、僕に普通の生活を送らせるために、ICLOとかいうのと取引してたってことを知ったんだ」

 直樹の目がぎらりと光って、祐未を見すえる。
 わき水のようにわいてくる怒りと、許容量をこえて怒りを通り越してしまった少しの憎しみと、ぬぐい去れない愛着とがない交ぜになった視線。どこかテオの視線に似たその剣幕に祐未は思わず一歩後ずさった。

「僕を守るために、僕になにも知らせないで、全部一人で背負いこもうとしてるなんて許せない! 僕のことを守りたいと思ってるならそれでもいいけど、それなら知ってること全部教えてよ! それが出来ないなら、最初から守られなくても良い!」

 自分の行動理念を、一番否定されたくない人間に、真正面から否定される。祐未の足下がガラガラと音を立てて崩れてゆく。

「もう、なにも知らないでおいていかれるのは嫌だ!」

 でも直樹、お前にはなにも知らないまま普通の暮らしをさせたかったんだ。
 それは祐未の願いで、けれど拒絶されて崩れてしまった。
 何もしらないのが嫌だというのなら祐未は直樹になにをしてやるのが最善だったのだろう。

「だから、あの三月兎から連絡がきたときも姉さんと一緒にいられるようにしてくれれば、僕の持ってる情報は全部渡すっていったんだ!」

 勝ち誇ったように直樹が笑う。
 誰に勝ったのか?
 それは当然、今まで直樹にすべての真実を隠してきた祐未に決まっている。
 直樹は今、祐未に……自分に全てを隠してきた姉に勝ったのだ。負けた祐未は狼狽するしかない。

「なっ、バカか! あたしと一緒にいるって、どういうことかわかってんのかっ?」

 この勝利は直樹にとって良いことなのだろうか?
 祐未と一緒にいるということはいつICLOの実験体にされてもおかしくないということだ。いつ犯罪行為を強要されてもおかしくないということだ。祐未がテオと取引してまで救い出した地獄に、直樹は自分の足で戻ろうとしている。

「うるさいっ! 知ってるよそんなこと! 何年あんたのこと調べまわったと思ってるんだ!」

 直樹の声は叫び以外のなにものでもなかった。泣きわめく幼児にも似たその声は、きっと唯一の肉親である祐未に向けたSOSなのだろう。

「これでアンタの望む『なにも知らない僕』はいなくなったし、これからはずっとアンタのそばにいる!」

 気づかなかった祐未の負けだ。気づかなかった祐未は家族失格だ。

「僕の気持ちを知らなかったアンタの負けだ! ざまあみろ!」

 だって祐未がすべてを隠していたせいで直樹は犯罪行為にまで手をだすようになってしまった。よかれと思ってとった祐未の行動はすべて裏目にでていたのだ。
 でも、ならどうすればよかったの?
 直樹と緒に地獄を生きぬけば良かったのだろうか。犠牲者は一人でいいと言われたのにも関わらず?
 きっと、それも祐未にはムリだった。
 こうなることがわかっていても、祐未は何度だって直樹の代わりに自分を差し出すだろう。

「あららぁー、折角再会したのに、ケンカかよ?」

 突然、直樹が背を向けた暗闇からケタケタと不快な笑い声が聞こえた。
 そうだ。あいつを捕まえないと。どうも直樹のことがショックすぎて頭も体もうまく働いていないようだ。ただでさえテオにはワラが詰まっているなどといってバカにされる出来の代物だ。まともに動かなくなったらどうなるのか想像するだけで恐ろしい。

「てめぇ、このクソ野郎っ!」

「女の子がそんな言葉使いじゃいけないよぉ?」

 ケラケラと不快な笑い声を響かせながら、陸が後ろ手になにかを引く。
 ガチャリ、と音がした。
 多分勝手口かなにかだろう。逃げる気だ。

「待ちやがれっ……」

 ガチャリ、とまた音がする。
 なぜだ? 開く扉は一つのはずなのに、なぜまた音がした?

 ガチャリ、ガチャリ、ガチャリ、ガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャ!

 けたたましい金属音が鳴り響いて、そこかしこから聞こえる獣のうなり声や鳴き声が大きくなる。

「なんの用意もなく悠長に話してるとでも思ってたのか? ばぁああぁか!」

 不快な笑い声とともに、乱暴な音を立ててドアが閉まった。

「陸! 待て!」

 その音で金縛りから解放されたように直樹が走り出す。
 獣のうなり声がさっきより近くで聞こえた。
 さっき、けたたましい音とともに開いた扉は一つではない。祐未の背後にある扉は破壊されて打ち捨てられているから開くはずがないし、陸が使った勝手口だけでは数が足りない。
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