デルタの番犬


カーチェイス

「30分くらい前に警報システムと電子ロックの回路が破壊されたみたいだ。別途稼働するはずの警報システムもとりつけられたダミー回路のせいで作動してなかった……まんまとやられたよ」

「そんな悔しがるなよ。こんどつける予定の新しいやつなら大丈夫なんだろ?」

 パソコンの前に座り苦々しげな表情を作る弟に裕未は言った。直樹がちらりと彼女のほうを見る。近くにあったボールペンを左手の中で回転させつつ、表情は苦々しいまま呟く。

「システム導入前に襲撃されたら意味ないよ。だからもっと早く導入するべきだって言ったんだ……」

 テオが何者かに腹部を撃たれてから数分後。正面駐車場入り口の検問に配置された警備員も負傷して倒れていることが発覚し、研究所内部は文字通り蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。負傷者を医務室に運び、治療を施すのと同時進行で襲撃者の正体を探る。施設のサーバー管理全般を任されている直樹はひどくイライラした様子でパソコン二台を交互に見比べていた。一台目に映し出されているのはここ数時間で防犯カメラがとらえた映像、二台目には警報システムと電子ロックの回路システムが表示されている。直樹が特に注視しているのは防犯カメラの映像で、施設の前を通る車と施設から出ていく車の映像を忙しなくチェックしていた。本来なら発行されたIDカードを通してのみ検問を通過できるはずなのだが、警備システムを内側から弄ったらしい。そういう自体に備えてICLOでは防犯カメラを通して映像を記録することになっていた。

「なんかへんな車いたか?」

「黒のHHR。ニューヨークB8914。ナンバー控えて」

「おう」

 指示通り祐未がナンバーをメモする。直樹は凄まじい早さでパソコンのキーボードをタイプし始めた。地図情報を表示したウィンドウが開き、一ヵ所が赤く点滅し始める。移動しながら光る点を注視しつつ直樹が言った。

「対象はリンカーン・ドライブを187号線に向けて逃走中! 今後の動きは追って連絡。行って!」

「わーった!」

 車のキーを鷲づかみにして祐未がバタバタと駆けていく。通信用のイヤホンを右耳にねじ込むと弟の声が聞こえてきた。

『乗ってるのは男の二人組、金髪か茶髪と黒髪、どっちも髪型はベリーショートで年齢は20代後半から30代前半!』

「おう!」

 祐未の返事は車のエンジン音のせいで直樹に届いたかどうか疑わしい。キーを捻ると同時にアクセルを踏み込むと、さらにけたたましい悲鳴をあげて車が走り出す。

『シートベルトしめたの!?』

「そんな暇ねぇ! それより187のどっちにいった!?」

『……出たら直ぐに左に曲がって』

 少し場違いな弟の悲鳴に口元を緩めながら、祐未は勢いよくハンドルを切って駐車場とサービス・ロード・ウエストを抜け出した。施設の間を走るリンカーン・ドライブからオールド・ジョージタウンの187号線へ飛び出す。大きな二車線道路は交通渋滞もなくスムーズに車が流れている。直樹に言われたとおり交差点を左に曲がると、前方に運良く黒のHHRが走っていた。

「前走ってんのでいいのか? 直樹!」

『うん』

「おっしゃ、ビンゴ!」

 膝を叩いて自分の強運を喜んだ後、祐未は再びアクセルを踏み込んで黒い車に近づいていく。前方を行くHHRも比例するようにスピードをあげた。まるで祐未が追いかけてくるのがわかっていたようだ。

「ンの野郎、往生際が悪ぃんだよっ!」

 ギュイン、と双方のエンジンが悲鳴をあげる。二車線道路でぴたりと張り付きチキンレースのような状態で併走すると、裕未は勢いよくハンドルをHHRのほうに切った。黒い車はガツンと大きな音をたてたあと縁石に押しつけられて小さな火花を走らせる。次の交差点を抜け、閑静な住宅街にそったゆるやかなカーブを2台の車が猛スピードで走り抜けていく。背の高い建物はない。教会や白い屋根の民家がぽつぽつと顔を見せる風景で彼らのカーチェイスは異質だった。
 HHRが乱暴にハンドルを切り祐未の車を隣車線へ押し出す。ちょうど後ろから走ってきたトラックがクラクションを鳴らしてハンドルを切り、祐未もあわてて車線を戻した。運転手からの罵倒が飛んでくるが聞いている暇はない。逃げるHHRに何度か車体をぶつけ、目の前の交差点に信号を無視して突っ込む。
 2、3台の車がけたたましいブレーキ音とともに急停止し、クラクションの音が鳴り響いた。急停止した車の間をすり抜けると、祐未よりも少しだけ前方を行くHHRが突然左に曲がる。住宅街だ。わずかばかり白いタイルで作られた道の周りを芝生が被い、広い庭をもつ家々の垣根はキレイに手入れをされている。背の高い木々が天に向かって伸び、道路や家の庭に影を作っていた。
 車通りのほとんどない二車線道路の路肩にはほぼ等間隔で車が止められている。おそらく家の前を駐車場替わりにしているのだろう。HHRはその中の一台にぶつかって急停止してしまい、2人の男が飛び出してきた。そのうちの1人である黒髪の男が拳銃を構える。祐未はあわててブレーキを踏み、ハンドルを切った。ついでに体をかがめると二回発砲音がする。フロントガラスの端にヒビが入った。安物でも防弾ガラスを使っていたのが功を奏したらしく、弾は貫通しなかったようだ。そのかわりに車はコントロールを失い、通学路標識すれすれを飛ぶようにして芝生の上に乗り上げてしまった。タイヤがパンクしたのだ。おそらく二発目の弾のせいだろう。車はもうまともに走れそうもない。
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