パブロフの兎


祐未2

「たしか、刑事さんでいらしたのよね? まだ若いのにすごいわねぇ」

 本当にその重大さを理解しているのか怪しい軽い口調で金沢は言った。おいくつだったかしら? という脳天気な問いが怪しさに拍車をかけている。

「十六ッス」

「あらあら、直樹君と一つしか違わないじゃない!」

 たしかに直樹は今年で十五歳だから祐未の一つ年下ということになる。だからといって、十六歳の刑事を目の前にしてその反応はあんまりではないのか。内容に反し二人の口調は、主婦が買い出しの帰りに井戸端会議でもするような軽いものだ。刑事二人も直樹と似たようなことを考えているのか、なんともいえない表情を浮かべている。

「祐未さんは、ICPOの特別捜査員でして。今回の事件に関して捜査するため、日本に来たんですよ」

 信じられないかもしれないけど、とは誰にむけた言葉なのかわからない。その言葉を吐き出したのは、あまりにも緊張感のない会話をなんとかしたかったからなのだろう。
 刑事の一人がつぶやいたのを聞いて、直樹はなんとなくそう考えた。

「そうそう、大変なのよねぇ。頑張って下さいねぇ」

「あ、ハイ。どうもッス」

 けれど刑事の、そして直樹の願いもむなしく、金沢は相変わらず世間話でもするように事実を軽く受け流し、祐未のほうもそれに対して『甲子園に出場することになった野球部部員』くらいの対応しかしていない。
 さっき口を開いた刑事が、がっくりと肩を落とすのが見えた。そして力ない視線を直樹に向ける。

「直樹くんは、あまり驚かないね」

「そうですか?」

 目の前でのんきに世間話をしている看護婦がいるというのに、それを無視して直樹に話しかけるほど驚いていないように見えたのだろうか。直樹が尋ねると、刑事はため息をついて苦笑した。

「金沢さんだって、いちおう最初は声をあげて驚いていたよ」

 金沢の『声を上げて驚く』がどのていどのものやら。せいぜい口に手をあてて、まぁ。といういくらいではないだろうか。
 そう思っていたら考えを見抜かれたらしい。

「さすがにね、身分証をみせないと信じてもらえなかった。だけど君は、最初から疑う様子もないから」

「……警察が、そんな下らない嘘をつく理由なんてないでしょう?」

 刑事が考えこむように黙った。そしてどこかつまらなさそうに

「……まあ、それもそうだね」

 とつぶやく。

「君は大人びてるなぁ」

 もしかしたらもっと大げさに驚いてもらいたかったのかもしれない。男の顔はどこか寂しそうで、どこか不満げだ。そんな刑事をキレイに無視し、祐未は照れくさそうに頭を掻きながら何度か金沢に頭をさげた。ICPOの捜査員であるわりに、所作のひとつひとつがやけに日本人的だ。名前も顔立ちも日本人だから不自然さはないが、そのかわり彼女の肩書きだけがヘリウムガスよりもこの場から浮いている。
 少し顔を赤くした祐未がゆっくりと直樹に近づいてきた。
 刑事二人を怒鳴りつけた場面を目撃している直樹はおもわずビクリと体を硬くする。けれど彼女は直樹の想像に反し、心底嬉しそうな笑顔で少年の肩をがしりとつかんだ。

「直樹ぃっ、目ぇさめてよかったなぁ!」

 そしてやはり心底嬉しそうな声で祝いの言葉をのべる。

「あんな人気のないところで倒れてたの見たときはどうしようかと思ったよ! 頭と腕にひっどい怪我してるし……でも、なんともないみたいでなによりだ!」

 今にも抱きついてきそうな近い距離で目尻に涙さえ浮かべ、少女は直樹の目覚めを喜んだ。

「さっきはワリィな! いきなり事情聴取みてぇなことされてビックリしただろ? でも大丈夫だ。一回助けたからには怪我ァ治るまできっちり面倒みるし、ちゃんと話聞き終わって、退院できるようになったら普通の生活に戻れるから、安心してくれよ!」

 後ろで刑事二人が少しだけ気まずそうな顔をしている。
 金沢がその少し手前で嬉しそうにニコニコと笑っていた。

「じゃあ、私たちはこれで……失礼します」

「おぅ、おつかれー」

 祐未の機嫌はいつの間にか直っていたらしい。刑事二人が小さく挨拶をすると、視線こそ直樹から動かさなかったが手をひらひらとふって二人にねぎらいの言葉をかけた。
 直樹は自分だけが事態から取り残されているような感覚に陥り、けれどそれが決して気のせいではないことを確信する。
 吐き気がした。
 刑事に疑いをかけられたからではない。実際に殺されかけているというのになにもしらないこの現状にだ。
 何も知らないのは嫌だ。
 わからないことがあるのは嫌だ。
 銀髪赤目の男や、そいつを殺した化け物の正体。
 なにがなんでも調べてみせると直樹は強く誓った。

「なんか欲しいものとかあったらいってな!」

 椅子に座った祐未がにこにこと笑いながら尋ねてくる。どうやら、本気で怪我が治るまで面倒を見る気らしい。直樹の意識が戻ってよほど嬉しいのか、機嫌良さそうにニコニコと笑っている。彼女の顔を少し見つめたあと、自分に今必要なものはなんなのか考え、口を開く。

「ここの病院って、パソコン使えるところあるんですかね?」
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