パブロフの兎


三月のウサギみたいに気が狂ってる

 色とりどりの折り紙がベッドに備えつけられたテーブルに散乱している。すみには折り紙の羊がいくつもあった。今はオレンジ色の羊が作られているところだ。
 羊作っているのは腕と頭に包帯を巻いた直樹だった。浮かない顔をして彼はもくもくと羊を折り続けている。

 ――あの化け物はなんだろう?

 ――銀色の髪に、赤い目。被害者と加害者に同じ身体的特徴があるのは、なにか理由がありそうだ。

 ――警察もそれについては詳しくわかってないみたいだけど。

テーブルの上に、ベッドの上に、折り紙の羊が増えていく。

――死ぬまで相手を殴り続けるなんて、絶対にマトモじゃない。

――バカみたいに跳んだりはねたりして、まるで発情期のメスウサギみたいだ。

 オレンジ色の羊が、テーブルの隅に放り投げられる。

 ――三月のウサギみたいに、気が狂ってる……

 売店で買った折り紙の袋から、一番上にある紙を引き抜く。

 ――三月兎か……

 次は紺色だった。

 ――マトモじゃない奴にはピッタリの名前だな。

 ――あの三月兎は……なんで突然あんなところに現れて、男を殴り殺して去っていったんだろう。

 紺色の折り紙が羊に化ける。

 ――三月兎の目的はなんだ?

 それがベッドの上に放り投げられ、次は朱色の折り紙がテーブルの上に引きずり出された。

「なーおきぃー! 起きてるかぁ?」

 朱色の羊が半分くらい形作られたところで病室のドアが開く。折り紙をいじる手は休めずに顔を上げた。なにがそんなに嬉しいのか、笑顔で右手をかかげる祐未の姿がある。昨日とあまり変わらないラフな格好だ。着ているシャツには一騎当千という四文字熟語が印刷されている。右手には果物の詰め合わせが入ったカゴを持っていた。

「祐未さん、こんにちわ」

 朱色の折り紙が羊に代り、またベッドのすみに押しのけられる。すると祐未がもともと明るい表情をパッと輝かせ、小走りでベッドの脇に駆け寄ってきた。備えつけられた冷蔵庫の上に果物カゴを置く。ベッドのすみに折り重なっていた羊を一体手に取り、感心したような声をあげた。

「うっわー! すげぇなこれ! ヒツジか? ヒツジだろ? 直樹が作ったのか?」

 弾んだ声と楽しそうな表情はとても直樹より年上とは思えない子供っぽいものだ。刑事に敬語を使われていたような人物だとは思えず、直樹は苦笑した。

「欲しいならあげるよ」

 何気なくつぶやいた言葉に、祐未がまた嬉しそうな顔で弾んだ声を出す。

「ホントかよ! いいの? だってムズカシイんじゃねぇの?」

「いっぱい作っちゃったから」

 テーブルの上やベッドの上には、折り紙の羊が散乱している。直樹に言われてやっと気づいたらしく、祐未はあたりを見回したあと恥ずかしそうに頭を掻いた。そして自分が手に持っていたオレンジ色の羊を直樹に差し出し

「じゃあ、じゃあさっ、これちょーだい」

 と照れくさそうに笑ってつぶやく。

「いいよ」

 快諾すると、祐未は笑ったまま頭を掻いた。直樹が譲ったオレンジ色の羊をポケットにしまい、あらためてベッドの付近を見回す。

「にしても、すごい量だな。こんなにいっぱい、一人で作ったのか?」

「考えごとしてると、手を動かしたくなるんだ。折り紙は、昔からいろいろ教わってたからね。ちょうどいいんだよ」

 直樹は施設育ちだ。幼いころからずっと集団生活をしてきた。施設にはボランティア団体や社会科見学の学生なども頻繁に訪れる。身寄りのない子供達とのふれあいのスケジュールに折り紙を入れる集団は多い。そんな人間と長年接してきた直樹は自然と折り紙が上手くなっていたのだ。

「すっげぇなぁ! 折り紙とか、あたしツルもできねぇぜ!」

 あたりに散乱する色とりどりの羊をながめながら祐未が感心したような声を上げる。しばらくのあいだ嬉しそうに紙でできた羊の大群をながめていた祐未は、少しして落ち着いたのか、ベッド脇の椅子に腰を下ろして直樹に視線を合わせた。

「体調は大丈夫か? 熱とかない?」

 心配そうに首をかしげる彼女は、直樹に事件のことを聞くつもりはないらしい。

「大丈夫。怪我も痛くないし」

 もしかしたら、直樹の体調を気遣っているのかもしれない。

「……事件の調査は進んだ?」

「うーん」

 直樹の質問に、祐未は曖昧な返事をして首をひねる。その様子からすると、あまり進展はしていないようだ。

「わかったことがあったら、教えられる範囲でいいから教えてね。被害者のことでも三月兎のことでも、なんでもいいから」

「三月兎?」

「あ、いや……」

 不思議そうな顔をする祐未から、とっさに顔をそらす。三月兎は自分で勝手に決めた名前だ。

「ごめん、殺人犯のこと……勝手にそう呼んでたんだ」

「なんで、三月兎?」

 バカにされるか笑い飛ばされるかと思ったが、祐未は今までにないくらい真剣な声で尋ねてきた。自分の考えたアダ名の理由を説明するのは、少し恥ずかしい。

「あの殺人鬼、獣みたいに跳んだりはねたりするんだ。発情期のウサギみたいに」

「それで……三月兎か」

 感心したような声を出したあと、祐未は表情を曇らせた。

「話せることは、あんまりないと思うぜ……? なんでそんなに気になるんだ?」

 口ぶりからすると、事件に直樹が関わることをあまりよく思っていないようだ。
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