君はリリーを知っているか?


「殺してやる!」

 警察が用意した車で送ってもらったリリアンと隆弘は、家の前で車を降りた。リリアンが車を出してくれた警官に礼を言う。

「ありがとうございました」

「いえ。今日はもう遅いですからゆっくりお休み下さい。明日、詳しい話を聞きにまいります」

「おねがいします」

 車がライトの明かりだけを残して霧の中に消えていく。
 隆弘がリリアンの腕を引っ張った。

「いくぞ」

「うん」

 霧の中を走ったせいで服も髪も少し濡れている。帰ったら手早く着替える必要があるだろう。
 家に明かりが付いていないので、ドリーはまだ帰っていないようだった。隆弘が鍵を取り出すのを横目に、リリアンは駐輪所を確認する。昨日隆弘の持つバイクの横にドリーとリリアンの自転車を運んできたのだ。ドリーの自転車だけがまだない。

「ドリーがこんなに遅いの初めてかも。どうしたんだろ……」

「今朝、出かけるとはいってなかったよな」

「うん……」

「なんにもなきゃいいが、とりあえず電話かけてみろ」

「そうする」

 リリアンがバッグから携帯電話を取りだした。着信履歴からドリーを捜し出す。その間に隆弘が玄関の鍵をあけ、家の中に入っていった。リリアンも携帯を操作しつつ後に続く。彼女は着信履歴にドリーの名前を発見し、電話をかけた。コール音が鳴る。
 隆弘がリビングの明かりをつけるためスイッチに手を伸ばし、動きが止まった。油断して携帯にばかり集中していたリリアンは男の背中に顔面を強打するハメになる。思わず声をあげてしまう。

「おっぷす!」

 まだ明かりもついていない。

「なにさぁ!」

 目の前の男に抗議しても反応がなかった。様子が変だ。リリアンが顔をしかめてリビングの中をのぞき込む。
 男の怒鳴り声がした。

「リリアン、動くな!」

 女が肩を竦める。彼女の耳に風船の割れるような音が聞こえてきた。隆弘の腕が彼女を後ろに押しやる。彼の足元から煙が立ち上っていた。何かの焦げた臭いがする。
 男が低く呻った。

「ジャッキー、テメェ……」

 暗いリビングにジャッキー・ボーモントが立っている。華奢な手に銃を握りしめ、アーモンド型の大きな目が敵意をむき出しにして隆弘を睨みつけていた。容姿だけなら女と見紛うような可愛らしいものなのに、表情のせいでとても恐ろしい。

「リリアンには手を出すなって、いっただろう!」

 息をのんだリリアンの手もとから携帯電話が滑り落ちた。けたたましい音がする。
 ジャッキー・ボーモントは以前遭遇したとき同様拳銃を所持していた。それをリリアンたちに向けている。正確に言うと隆弘に。
 彼は整った顔を醜悪に歪め、頬を真っ赤にしてツバを飛ばす。

「殺してやる!」

 ドラマでよく見る、嫉妬に狂った女のような顔だった。銃を握る両手が震えている。興奮のためか、今から人を殺す恐怖のためか。
 隆弘が一瞬リリアンを見た。男の右足がリビングのカーペットにかかっている。女は彼の意図を察して半歩下がった。ジャッキーは隆弘の顔をまっすぐに見据えている。銃の撃鉄を起こす音がした。
 隆弘は右足に力を入れてジャッキーを睨みつける。ジャッキーの華奢な指が引き金を引く直前、隆弘の右足がカーペットを引っ張った。ネコの顔を模した絨毯が勢いよく動き、上に乗っていたジャッキーがバランスを崩す。

「うわぁっ!」

 銃口が隆弘の顔から逸れる。ジャッキーが体勢を立て直しているあいだに、隆弘が大きく一歩を踏み出した。右足を振り上げ、拳銃めがけて振り下ろす。鉄の塊がカーペットの上を飛び跳ねた。
 ジャッキーが前のめりに踏ん張って転倒を回避する。彼の後頭部を掴んだ隆弘はそのまま敵の頭を絨毯の上に叩きつけた。
 ジャッキーの頭蓋骨が軋む。
 あまりの痛々しさにリリアンが肩を竦めた。隆弘は小さく舌打ちする。完全に押さえつけるため、敵の背中に馬乗りになった。

「これで終わりだな、ジャッキー」

 彼の細い身体はバタバタと暴れているが、質量が違いすぎる。隆弘の身体はビクともせず、代わりにジャッキーの身体が軋んだ。
 隆弘が吐き捨てる。

「手間ぁかけさせやがって」

 ジャッキーの目が一瞬だけ光った気がした。
 直後、隆弘の身体がガクンと沈む。

「っ!?」

 隆弘が思わず息をのんだ。
 リリアンも声を荒げる。

「西野っ!」

「隆弘だっ!」

 あり得ない光景が目の前に広がっていた。
 絨毯の床にジャッキーの身体が沈んでいくのだ。地面に半分飲み込まれたジャッキーが声をあげた。

「ふふ、ふふふ……」

 焦っている様子はない。声が出るということは呼吸もできている。ジャッキーが自分の意志で地面の中に沈んでいるのだ。
 リリアンの背筋に悪寒が走った。
 ネズミが空を飛んだときと同じ現象が起こっている。自然の摂理に反した超常現象。
 リリアンが顔を真っ青にして震えている傍ら、隆弘が焦った様子で叫んだ。

「なっ、なんだ!? なにが起こっていやがる!?」

 彼は自分の腕が地面に飲み込まれる直前、あわててジャッキーの後頭部を離した。
 今まで確保していたはずの男が完全に絨毯の中へ飲み込まれる。隆弘とリリアンだけが取り残された。
 隆弘はジャッキーを飲み込んだ場所から距離をとり、周囲を見回す。

「どこにも……いねぇ……」

 リリアンも首を動かして辺りの様子を探した。ジャッキーの姿は見あたらない。水に潜った直後のように、どこからか浮かんでくるのだろうか。
 隆弘の身体がまた勢いよく沈んだ。

「なんだ!?」

 隆弘とリリアンが慌てて足元を見ると、床から細い腕が隆弘の足首を掴んでいる。くるぶしから下は絨毯の下に沈んでいた。
 地中から声がする。

「ふふふふふ! 驚いてるみたいだね! 当然だよね、こんなこと僕にしかできないからね!」

 隆弘の足が沈んでいく。まるで底なし沼のようだ。どういう仕組みになっているのかわからないが、とにかく隆弘の足はジャッキーに掴まれて地面の中に沈んでいる。ネズミの時もどうやって空を飛んだのかはわからなかった。つまりそういうことだ。彼は人体実験でネズミと似たような力を手に入れたのだろう。
 地面の中にいるであろうジャッキーが不気味に笑った。
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