君はリリーを知っているか?


「目から……血が……」

「リリアン、隆弘さん? ここにいるの?」

 ドリーの声だ。
 今まで話していた内容が内容だけに、隆弘とリリアンの肩が揺れた。
 リリアンは顔を扉のほうに向ける。

「いるよ! どうしたの?」

「話し声が聞こえたから。入ってもいいかしら?」

 隆弘とリリアンが目を見合わせる。会話の内容まで聞かれていたのだとしたら、ドリーが気分を害したかもしれない。最悪の可能性を、彼女はなるべく考えたくなかった。

「どうぞ」

 女の言葉と同時に扉が開き、ドリーが入ってくる。浮かない顔をしていた。気分を害したというより、ただ単に疲れているだけのように見える。

「大きな声が聞こえたから……喧嘩? だめよ。こんな時に」

 いつもの友人だ。リリアンは力なく笑ってみせた。

「うん。もう大丈夫だよ」

「そう? ならいいんだけど……」

 隆弘がドリーを見据える。リリアンは嫌な予感がして眉を顰めた。彼女が隆弘を止めるより先に、男が口を開く。

「突然だがドリー、10月の第2木曜日夜は夜9時頃どこにいた?」

 問われた女は当然顔をしかめる。

「どうしたの? 突然。そんなの覚えてないわよ」

「まあそうだよな。じゃあ、今日はどこにいってた? あんな夜遅くによ」

「買い物に言ってたのよ! もしかして私を疑ってるの? 冗談じゃないわっ! いいかげんにして!」

 ドリーの声は悲鳴のようだった。明らかに怒っている様子でリリアンを睨みつける。

「リリアンっ! アナタからもなにか言って! それともアナタも私のことを疑ってるの!?」

 リリアンは口を開き、言葉を吐き出そうとして、結局喉がうまく動かなかった。
 ドリーが苛立った様子で床を蹴る。パタパタと絨毯に水滴が零れた。
 隆弘とリリアンが目を見開き、ドリーが頬を乱暴に拭う。
 リリアンが声を震わせドリーの頬を指刺した。

「ド、ドリー、目から……血が……」

 女の顔つきが変わる。今にも飛びかかりそうな目でリリアンを睨み、怒鳴った。

「そうよっ! 私、もうすぐ死ぬのっ!」

 ドリーの目が一瞬、強く光った気がする。彼女が隆弘の身体を押し、隆弘の身体が大きくよろめいた。男が大きく目を見開いて声をあげる。

「なっ……」

 いくら予想外だったと言っても、隆弘が女に力負けするなどあり得ない。たたらを踏んだ男はそのまま床に座り込んでしまった。

「身体、が……重いっ!?」

 隆弘が腕に力を入れても立ち上がることができない。リリアンの身体も、なにもないのにベッドに押しつけられてしまった。

「なにっ!?」

 重力が倍になったような感覚だ。見えない手に押しつけられているような気分になる。間接がギシギシと悲鳴を上げた。
 リリアンの視界に、赤い涙を流したドリーが映る。彼女の手がリリアンの首にかかった。細い手が信じられない力でギリギリと気管を絞めてくる。

「どうせ死ぬなら、道連れにしてやるっ!」

 リリアンの身体は動かない。異様な重力に押さえつけられて動かせなかった。ドリーの腕が離れる様子はない。視界の隅が暗くなっていく。痛みと苦しさの中、なんとか喋ろうとしてうまくできず咳き込んだ。

「ド、ドリー、はなっ……しっ」

 ドリーが小馬鹿にしたように鼻で笑う。

「この状況ではいそうですかって言うと思うの?」

 今までのドリーとはまったく違う、冷たい口調だった。
 リリアンの視界がどんどん暗くなっていく。頭がクラクラして、目の前が点滅しているような気がした。
 隆弘がゆっくり立ち上がる。リリアンの耳にまで骨の軋む音が聞こえてきそうだ。
 ドリーはリリアンを見ていて気がついていない。男の身体が大きくふらつくも、彼はなんとか立ち上がった。それから、リリアンの上に乗っているドリーに肩から勢いよくぶつかっていく。
 ドンッ、と重い音がしてドリーの身体がよろめいた。

「っ、きゃあっ!?」

 女が床に叩きつけられ、隆弘がリリアンの腕を掴む。助け起こされた彼女は半ば放り投げられるようにしてドアの前に押し出された。
 直後、すぐに隆弘の身体がベッドへ沈む。重い音がしてベッドのスプリングのみならず骨組みが軋んだ。
 苦しげに顔を歪めた男が呻く。

「逃げろっ! リリアンっ!」

 ドリーが軽く頭を振って立ち上がる。リリアンを睨みつけた顔は、彼女の知っているドリーではなかった。
 攻撃の矛先が隆弘にむく。

「邪魔するんじゃないわよっ!」

 部屋全体がギシギシと軋んだ。ドアにすがりついたままリリアンが叫ぶ。

「西野っ!」

 隆弘が腹を殴られたように呻く。それからリリアンを睨みつけ、怒鳴った。

「いいからっ、逃げろっ! 早くっ!」

 ドリーがリリアンに手を伸ばす。

「待ちなさいっ! リリアンっ!」

 リリアンが慌ててドアをあけ、廊下に飛び出した。ドリーが追いかけてくる。足音が聞こえてくる。隆弘のことは放っておくつもりのようだ。
 彼女はもつれる足を必死に動かし、ロビーへ飛び込んだ。
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