「ねぇ、リリアン。ネズミが空を飛ぶところ、私も見たのよ」 リリアンが目を見開く。ドリーの口元が笑っていた。 「バルボ教授に見せて貰いたい資料があってね。ネズミが窓から飛び出したのに驚いて隠れちゃったけど……そのおかげでアンタたちの会話がじっくり聞けたわ」 隆弘の推測は正解だった。リリアンの身体が小刻みに震える。茶色の髪を振り乱したドリーが楽しげに囁いた。 「なんの研究をしてたのか知らないけど、随分とすごい薬を発見しちゃったみたいじゃない? それを廃棄するなんてもったいないにもほどがあるわ。アンタたちがいらないなら私がつかってあげようと思ったのよ」 リリアンが耐えきれず小さく咳き込む。ドリーが腕にことさら力を込めた。 「機会を見計らって、教授に薬のデータと実物を出すように言ったの。仲間がいたから忍び込むのも捕まえるのも、脅すのだって簡単だったわ。ねえ、知ってるリリアン? マフィアもこの手の代物はすっごく欲しいみたいなのよ。ボクサーあがりだっていう男が三回殴ったら教授がデータを出してくれたわ。だけど薬は処分したとか言うじゃない。アンタに黙って保管してるくらいの甲斐性はあると思ってたのに! 頭にきて川に突き落としてやったわよ!」 ドリーが大きな声を上げて心底楽しそうに笑う。 「私はね、リリアン! 教授のデータから薬を再現することに成功したのよ!」 ミックたちを騙して薬を飲ませたのはジャッキーではなかった。ドリーがナイトクラブにリリアンを誘ったのは、隆弘の推測通り、ジャッキーたちの様子を観察するためだったのだろう。 「あ、あのっ、ナイト、クラブにあった、薬はっ! ド、リーが……!」 女がリリアンの鼻先に顔を近づける。興奮しているのか、頬にかかる息が熱かった。 「そうよ。いいドラッグがあるっていってあいつらに作った薬を渡したの。アンタがクラブで余計な手出ししたせいで、ジャッキーがやたらとアンタに御執心なのは予想外だったわね。僕が守るとかいっちゃって、バカみたい」 ドリーの足がリリアンの腹に乗る。下腹部に当たった膝に力をこめられ、女が思わず呻いた。 同時にドリーの身体も脈打つ。リリアンの身体は妙な重力に押しつけられているため抵抗はできなかった。 ドリーが片手で口を押さえ勢いよく咳き込む。指の間から真っ赤な血が噴き出した。鉄の匂いがする。リリアンの顔に生暖かい液体がかかった。 「……ドリー、なんで、自分でも、薬を……」 口を拭ったドリーがリリアンを睨む。食いしばった歯さえも赤く染まっていて、とても不気味で醜悪だった。本当の吸血鬼のようだ。 「認められて援助をうけるには、これしかなかったのよ! ミックたちが死んじゃって、足がつくかもしれないって! こうなったのは私のせいだから、なんとしてでも結果を出して貰わなきゃ困るって! 自分の身体なら必死になるだろうって言われたのっ!」 ドリーの目から血が溢れる。本当なら泣きたいのだろう。彼女の涙はもう涙ではなかった。汚らしい赤がリリアンの頬に落ちてくる。 「もう戻れなかった! 教授を殺してまで手に入れたデータなのよ! 認められてあんたなんか及びもつかないところにいくはずだったのに、なんで私ばっかりこんな目にあわなくちゃいけないのよ!」 ドリーの手がまた両方ともリリアンの首にかけられた。全体重をかけてくる手とはうらはらに、リリアンの身体を押さえつける不思議な重力は弱まっている。体力がなくなってきているのだろうか。 「なんでアンタばっかりなの! バルボ教授にどうやって取り入ったのよ! この ドリーの顔が嫉妬に歪む。 「教授も隆弘も、なんでアンタなんか選ぶのよ! アンタなんか他人の顔色伺って生きてる人形じゃない!」 しおりを挟む目次 戻る [しおり一覧] |