君はリリーを知っているか?


「まるで送り火だな」

 オリオルカレッジでの騒動の後、ふたりは軽い事情聴取を受けた。家に帰る途中でリリアンが隆弘に言う。

「見せたいものがあるんだけど、今から私の住んでた借家に来てくれる?」

 男はタバコを取り出すと、口に咥えて火を付ける。煙を吐き出した後で彼女の問いに答えた。

「かまわねぇぜ」

「じゃあついてきて」

 ドリーとジャッキーの死因は現在調査中との事だ。留置所で死んだ3人と状況が酷似しており、隆弘とリリアンに妙な疑いがかかることはなかった。それでも、日を改めて詳しい話を聞くことになるとアーマンは言っていたが。
 ふたり並んでセントアデレート警察署を出る。そのまままっすぐ橋を渡って借家に向かった。
 リリアンは既に大家に立ち退きを言い渡され、現在荷物を纏めている最中だ。次の借家はまだ決まっていない。医学専攻のリリアンはあと3年、借家生活を続けなければいけなかった。講義もあるし、ひとりで家事をこなすのは苦しいだろう。できれば同じ医学部連中にルームシェアを頼みたい。今の所条件に見合う物件は見つからなかった。この場合学校に相談すれば早々にカレッジの空き部屋を提供してくれるかもしれない。宿のことは明日にでも学校側へ相談しよう。
 思考を中断し、リリアンが借家のバックガーデンに隆弘を招き入れた。

「こっちだよ」

 シマネトリコを中心に紫色のエリカや黄色いユリオプスデージー、赤と白のストックが咲き誇っている。ディンゴドラの合間を縫うようにタイルの道が敷かれ、ベアグラスが風に揺れていた。シダやラベンダーが原生の印象を与えるように植えられている。小さな森のような印象を受けた。イギリス風景庭園の手本のような庭だ。
 隆弘が庭をグルリと見回して感嘆の声をあげる。

「こっちも随分手入れされてるな」

「ありがとう」

 リリアンは彼を案内するようにタイルの道を進んでいった。歩くたび霧の水滴が服を濡らしていく。タバコの煙を空中に吐き出した隆弘が彼女に尋ねた。

「見せたいものってのはこの庭か?」

 シマネトリコの根本へ辿り着いた女がしゃがみこんで隆弘を手招きする。
 男が近寄ってきたのを確認して、リリアンは手もとのベアグラスをかき分けた。

「これ」

 季節外れの黒いユリが一輪、ぽつんと佇んでいる。花弁の先にいくほど赤く、中央にいくほど黒いグラデーションは不気味な印象を受けた。
 隆弘は女の横から花をのぞき込み、不思議そうに首を傾げる。

「こりゃ、ユリの花か? こんな色は初めてみるが」

「ブラックジャックっていう種類の変種だよ。バルボ教授は趣味で花の栽培もやっててさ。これは偶然できた新種のユリ。まだ発表してないから、私も教授もただ『リリー』って呼んでた」

 男がタバコの灰を携帯灰皿に落とす。

「ふーん」

 リリアンが何をいいたいのかよくわかっていないようだ。
 隆弘の視線が赤黒いユリに集中している。女は一度深呼吸してから、ゆっくりユリの花弁をなぞった。

「ドリーは薬っていってたけど、バルボ教授が二ヶ月前に発見したのは、このユリなんだ」

 隆弘の視線がリリアンに移る。

「は?」

「二ヶ月前、このユリの根っこをちょっと囓ったネズミが私たちの目の前で空を飛んだんだよ。私が預かってたのは薬じゃない。このユリなの」

 二ヶ月間、何度も燃やそうと思った。結局ズルズルとここまできてしまった。
 リリアンの身体が震える。声も震えているのが自分でわかった。

「ルーベンが死んで、形見みたいになっちゃって、ますます処分できなくなって、でも、きっと、ジャッキーもドリーもこいつのせいで死んだんだ……こんなもの、ないほうが良いよねっ……」

 花弁をなぞっていたリリアンの手がユリの茎を掴み、勢いに任せて地面から引き抜く。ズルリと地中から出されたユリが赤黒い花弁を妖しく揺らした。
 女が隆弘に向って左手を差し出す。

「ライター貸して」

 隆弘がポケットからライターを取りだし、リリアンに渡した。彼女は蒔絵のついたライターを握りしめる。赤黒いユリを土の上になげつけ、火を付けた。 火を纏った花が見えない手に握りつぶされていく。見ていてとても痛々しい。赤黒い花弁はまるで元々燃えていたかのように、すぐ火の中に溶けてしまった。
 白い煙がゆるやかに、夜霧の空に上がっていく。
 隆弘がタバコの煙を吐き出した。

「……まるで送り火だな」

 女が鼻を啜って震え声を出す。

「日本のお盆だっけ」

「よく知ってるな」

「友だちに教えてもらった」

「そうか」

 花が黒い炭になる。埃か土のようになったそれから、まだ少し煙が出ていた。
 花が燃え尽きたのを確認してリリアンが立ち上がる。隆弘はまっすぐに彼女を見据えていた。

「ひとついいか」

「なに?」

 女が首を傾げる。隆弘は半ば睨みつけるように彼女を凝視していたが不快ではなかった。
 彼の目は優しい色をしている。

「ドリーもジャッキーも、お前のせいで死んだわけじゃねぇ」

 きっと本人が優しいからだとリリアンは思った。

「……うん。ありがとう」

 それから彼女は花の炭を足で踏みつけ、完全に消火する。煙が夜霧に混じり合って消えていった。
 リリアンは煙なのか霧なのかわからない白い空気を目で追っていく。

「ごめんね、こんなことに巻き込んじゃって。もう迷惑かけないようにするから……恋人は誰か、別の人を捜してくれる? 西野を退屈させない人、探せばいると思うよ」

「……隆弘だ。覚えてたのか、それ」

「だって、結構インパクトあるよ。『壊れないオモチャが欲しい』って」

 女がクスクスと笑う。隆弘は顔を赤くして、タバコの煙を吐き出した。
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