「少し話したいことがある」 「なに?」 リリアンが首を傾げた。男は咥えていたタバコを携帯灰皿に押し込み、新しいタバコを取り出す。 「……ジャッキーとは、イートン・カレッジからの知り合いだってのは話したよな」 女が頷く。 「なに、本当にイートン校では恋人同士だったとかなの? だから『壊れちまったら意味ねぇ』って?」 冗談めかして言うと、隆弘が短い笑い声をあげた。 「馬鹿野郎、よく覚えてたな」 男が言葉と一緒にタバコの煙を吐き出した。 「1年の時から2人してカレッジャーでよ。成績は俺が一位であいつが二位ってのがオヤクソクだった。最初はそれなりに仲良くやってたつもりだったんだがな」 深緑の瞳に睫毛の影ができる。リリアンは切れ長の目をじっと見つめていた。少し前なら目を逸らしていただろう。けれど今目を逸らすのは失礼な気がしたし、この男の目を見るのは嫌いではなかった。 「あいつは親に一位になれって言われつづけてたみてぇだ。そのうちプレッシャーで身体壊して、自宅療養になっちまった。その後の学校生活は、正直張り合いがなかったな。退屈だった。俺がジャッキーを蹴落としたって噂が流れたし、大学で再会したときにゃあ思いっきり睨まれたから、あいつも俺のせいだと思ってたんだろうよ」 コバルトグリーンがまたまっすぐ女を射貫いた。彼女もまっすぐ見つめ返す。 「俺はあいつの挫折を自分のせいだと思ったことはねぇし、これからも後悔しないぜ。ただ、あれからずっと退屈だったし、張り合いがなかったから……アンタなら、壊れないと思った。ずっと張り合えると思ったんだ、リリアン」 名前を呼ばれた女が少し考え込んだ。考えて、彼の『壊れないオモチャ』という言葉の意味を理解し、苦笑する。 「それ、『お互いに高めあえる相手がいい』って言えば良かったのに」 すると彼は口をへの字に曲げ、タバコへ軽く歯を立てた。 そのせいでタバコが上下し、煙をまき散らす。子供がストローを噛むような反応だ。 「そんなん、寂しがってるみてぇでカッコ悪ぃだろ。西野隆弘様だぞ」 実際張り合える相手がいなくて寂しがっていると思うのだが、言わないほうが良さそうだ。 リリアンは少し声を出して笑った後、静かに目を伏せた。それから改めて男を見る。 「あのね、私の話も聞いてくれる?」 「ああ」 隆弘がまたタバコの煙を吐き出した。可愛らしいデザインのシャツが水滴を吸い込んで濡れている。 女は湿ったシャツに浮き上がる男の筋肉をぼんやりと見ていた。 「……私、5才年上の姉さんがいてさ。ジュリアンって名前なんだけど、この姉さんがめちゃくちゃ優秀でね。勉強は当り前だし美人だし、明るくて友だちも多くてマジチートって感じなの」 隆弘はリリアンの話を黙って聞いている。 「姉さんめちゃくちゃ優秀だからさ……私なんかいくらテストで良い点とっても表彰されても、姉さんが先にもっとすっごいレベルでやってんのね。親にもさんざん姉さんのほうが優秀だって言われたよ。姉さんはもっと頑張ってるんだから、お前も頑張れって」 テストで良い点をとっても、母に言われるのは 『お姉ちゃんはもっと頑張ってたわよ』 という言葉だ。満点をとってやっと 『さすがジュリアンの妹ね』 と頭を撫でられる。 常に満点だ。テストは満点でなければ褒められないし、満点以外は価値がない。姉のジュリアンが常に満点だったからだ。 『さすがジュリアンの妹ね。姉妹そろって優秀だわ』 褒められるときの言葉はいつだって同じだった。 『お姉ちゃんはもっと頑張ってたわよ。少しは見習いなさい』 怒られる時の言葉もいつだって同じだった。 『あなたはジュリアンの妹なのよ』 リリアンはなにをやっても姉に敵わなかった。 「頑張らないとね……姉さんと同じくらいの結果を残さないと親に見はなされるのはわかってた。私がオックスフォードに入学したとき、親がなんて言ったと思う?『お姉ちゃんはケンブリッジだったけどあなたはオックスフォードでいいの?』だってさ」 別にオックスブリッジに優劣があるわけではない。親にとってリリアンは、ジュリアンの後を追う存在だったというだけのことだ。 「リリアン・マクニールはジュリアン・マクニールのスペアなんだよ。優秀じゃなきゃスペアとしての存在価値がない。もっと頑張れってずっと言われてきた。頑張ってるねって言われることもあったよ。でもそのあとに必ず、親だって先生だって親戚だって、同じ言葉が続くんだ。さすがジュリアンの妹ねって。 頑張ってるねって言われるのは、私にとって、姉さんには敵わないねって言われてるのと一緒なんだよ。今まで私を頑張ってるねって褒めてくれる人は、『姉さんのスペア』の私を褒めてくれる人しかいなかった」 だからリリアンは努力していると言われることや頑張っていると賞賛されるのが嫌いだ。いくら頑張ったってリリアンはジュリアンに敵わない。 ならいっそすべて投げ出してしまったほうがいいと思うのに、親に見放されるのが怖くてそれすらもできない。いつまでたっても独り立ちできない。できそこないのひな鳥だ。 ずっと誰かに、『リリアン・マクニールだから』という理由で愛して欲しかった。親でさえも『ジュリアンの妹だから』と言い放つこの自分を、『君が君だから』という理由で愛してくれる人が欲しかった。 リリアンが男性同士の恋愛に惹かれたのは性別という壁を乗り越えて結ばれる彼らを羨ましいと思ったからだ。女だからとか綺麗だからとか、そんなものを超越した愛が紙媒体の、あるいは電子空間の中に広がっていた。 『あいつだから好きなんだ』 その言葉を何度目にしただろう。 『頑張ってるね』とか『綺麗だね』とか、必ず『さすがジュリアンの妹だ』と繋がっていた言葉なんかより、それはとても素敵な気がした。 しおりを挟む目次 戻る [しおり一覧] |