君はリリーを知っているか?


「わかったから、思いっきり泣いちまえ」

「私が頑張るのはね……そうしないと見放されるからなの。誰にも見向きされないのが怖いから頑張るの。ドリーと一緒なんだよ。素直に頑張ってるって胸を張れない分私のほうが面倒くさいと思う」

 男はまっすぐリリアンを見ている。彼の吐きだしたタバコの煙は霧に混じってすぐに消えてしまう。

「……お前は、その姉に勝てなくても壊れなかったんだろ」

 女が首を傾げた。隆弘がまた煙を吐き出す。

「なら、俺はそれがいい」

「……私より、姉さんのほうが優秀なんだよ? 姉さんのほうが張り合いあると思うけど」

「その姉は俺に勝てなくてぶっ壊れないって保証があるのかよ?」

 彼が瞬きもせず言い切った。リリアンは思わず、声を上げて笑う

「すげぇ自信だな!」

 隆弘は口をへの字に曲げて鼻を鳴らした。

「当然だ」

 リリアンは頬を掻いて、照れくさそうに笑う。

「頑張ってるの褒められて、初めて、嬉しいかもしれない。今」

「そいつはよかったな」

「うん。ありがと」

「別に思ったことを言っただけだぜ」

 女の顔が熱くなる。

「えへへ」

 それをごまかすようにまた笑い声をあげた彼女は、直後ピタリと動きを止めた。

「……嬉しいなぁ……」

「そうか」

「西野と知り合いになれてよかった」

「隆弘だ」

 霧の流れが速くなっている。半月は霧の奥でぼんやりと淡い光を放っていた。

「……だけど、ねえ」

「なんだよ」

 隆弘の言葉に、女は大きく息を吸い込んだ。

「私、バルボ教授と付き合ってたんだ」

 男がタバコの煙を吐き出す。表情に変化は見られなかった。

「そうか」

「……驚かないの?」

「教授を殺したんじゃねぇかって言われたとき、教授をファーストネームで呼び捨てにしただろ」

 リリアンが力なく笑う。

「ああ、そうだった」

 隆弘は笑わなかった。

「バルボ教授は確か妻子がいたな」

「うん。だから、私は不倫相手だね」

 女が花の灰を蹴飛ばす。ふわりと焦げ臭いものが舞い上がって彼女は少し咽せた。

「都合のいい女だったと思う。メールも電話もこっちからしたって返事はこないし、向こうからくるのは用事があるときだけでさ。一緒にでかけてくれたのはスラウの別荘に1回きりで、それも研究と花の世話の手伝い込みだったしね」

 それでも、ルーベンがいう言葉がリリアンはとても嬉しかったのだ。

『私は君が好きだよ。君は君のままで充分魅力的だ。私は、君が君だから好きになったんだ』

 彼女が言って欲しかったことをいくらでも言ってくれた。都合良く動かすための方便だったのだろう。心のどこかで気づいていたはずなのに、あまりにも心地よくてみないフリをしていた。
 彼が死んでからは死人を悪くいうことの罪悪感も加わって、ますます直視できなくなった。今も感情の整理がついていない。

「都合の良い女だったけど、ちょっとは大事にしてもらってたし、楽しかったこともあるの。全然ダメな関係だったけど、ごめんね……私、西野の女にはなれないよ……思い出を踏みつけるようなことはできない」

 我慢していたはずの涙で視界が揺らいだ。顔だけが異常に熱い。

「だって、ルーベンがいなくなって、まだ、二ヶ月しか、たってないんだもん……!」

 隆弘がタバコの煙を吐き出して空を見る。煙が高く上っていくのをリリアンも見た。男はほぼ灰になった吸い殻を携帯灰皿に詰め込むと、ため息と煙のまじったものを吐き出す。

「わかった」

 それだけ言うと男がリリアンの肩を乱暴に抱き寄せた。弾みで目にためていた涙がこぼれ落ち、女は驚いて瞬きをする。口を開けて隣にいる男を見上げると、彼はリリアンの頭を乱暴になでた。クシャリと耳元で軽い音がする。
 そして、低い優しい声が聞こえてきた。

「わかったから、思いっきり泣いちまえ」

 女の顔がまた熱くなる。目頭が燃えるような気がした。同じくらい熱い液体が目の両脇から溢れだし、頬を濡らす。

「……ぅ、うぇっ……」

 濡れた頬が風に吹かれて冷たくなり、また熱い液体が目からふれ出てきた。そうして熱が奪われる。
 涙の道とはうらはらに、目頭と顔の熱は引く様子がない。涙の道だけがやけに冷たかった。

「うぇ……、うあぁああああああああぁあああぁああ! あああああぁあああああああ! ああああああああああっ!」

 隆弘はいつまでも泣き叫くリリアンの肩を抱いて、彼女が疲れて泣き止むまで、ずっと横で見守っていてくれていた。
*前 - 45 -次#
しおりを挟む
目次
戻る
[しおり一覧]
LongGoodbye