君はリリーを知っているか?


「顔から火が出るかと思った」

「……名前を呼ばれた」

 アーマンが首を傾げる。隆弘はまたラリアットをくらわせてやろうと思った。それをすると今度こそ目の前の男は首が折れるかもしれない。ラリアットの代わりに自分の頭を抱えた彼は、うなだれて力なく呟いた。

「……顔から……火が出るかと思った……」

 向かい側からの反応がない。隆弘がふと顔をあげると、ポカンと口をあけたアーマンが彼を凝視していた。
 本気でラリアット2発目を考えた男の肩を、満面の笑みでアーマンが叩く。

「……そうか! よかった! 友だち付き合いがないからお前の父さんも俺も心配してたんだ! よかったよ!」

 それではまるで隆弘のコミュニケーション能力に難があるようではないか。

「別に、他人に避けられてるわけじゃねぇんだぜ」

 一年の頃はカレッジでも街中でもよく話しかけられた。今でも女はひっきりなしに寄ってくる。うっとうしいくらいだ。ただ隆弘は、そういうものに自分の時間が拘束されるのを好まない。寄ってくる人間の半分は彼の出生か容姿か努力のおこぼれにあずかろうとするばかりだった。残りの半分も妬みやら憧憬やら妙な感情で隆弘を縛り付けようとした。
 その中から、本当に大切にしたいと思う人間を見つけ出すのはとても大変だ。隆弘からなにかを引き出そうとしている連中をすべて拒絶していったら、いつのまにか周りとは非常に浅い繋がりだけになっていた。
 この状態を後悔したことはない。
 なにかを期待され、それに応えなければ離れていくというのなら勝手にすればいい。手を引かなければ歩けない人間と一緒にいるなんて願い下げだ。引っ張っていって欲しいと縋り付かれてもうっとしいだけだから、彼はリリアンが好きだった。彼女ならきっと手を引かなくても隣を歩いてくれると思ったからだ。自分と同じ目線でものを見てくれる。自分と同じくらい努力して、同じような道を歩いているのだと思ったから。
 隆弘が憮然とした表情を浮かべていると、アーマンが声をあげて笑った。

「お前はわりと不器用なくせに、プライドが高いからなぁ……久しぶりに友だちができてどうしていいかわからないんだろう?」

 正確には失恋相手だが、今回声をかけてくれた態度でリリアンが隆弘を信用してくれているというのはわかる。
 彼自身が名前で呼べと言い続けたはいいものの、いざ呼ばれると恥ずかしいというのは――慣れていないからだということも否定しない。
 どうしていいかわからないから思わず逃げてきたというのも否定しない。
 嫌なわけではない。嬉しいのだ。嬉しいからどういう顔をして対応するのが正解かわからない。顔がニヤけてしまったり、赤くなったままもとにもどらなくなってしまったら、すこぶるカッコ悪いではないか。せめて涼しい顔で対応したいと思うのは仕方のないことだと隆弘は思う。
 アーマンは灰色の瞳を優しげに細めて隆弘を見た。子供が初めて歩いたのを見つめるような目だった。気恥ずかしさが爆発しそうになった隆弘は、今度こそ2発目のラリアットをくらわせてやろうかと腕に力を込める。
 アーマンが彼の肩を一度だけバシッ、と強く叩いた。

「こっちが恥ずかしくなるくらいの勢いで名前を呼ばれたのならもう一押しだ! ガンガンいけ、隆弘!」

 刑事の言葉を聞いているうち奇声を発したくなった隆弘は、代わりに頭を抱えてうなだれた。また顔が熱くなってくる。
 同時に、名前を呼ばれたのに逃げ出してしまってリリアンはどう思ったのだろうと不安になった。これで嫌われたら取り返しがつかない。まかりまちがってまたファミリーネームで呼ばれ出したら立ち直れないかもしれない。
 あまりに女々しい自分の思考回路に隆弘は軽い目眩を覚える。
 男ならもっと堂々としているべきだ。名前を呼ばれたくらいで赤くなって逃げ出して、あげくウジウジ後悔するなど、カッコ悪いにもほどがある。
 かといって今から街に戻ってリリアンを見つけ出し、そしらぬ顔で「よう」と声をかけるというのも、それはそれでカッコ悪い。
 というか、逃げ出した時点でどんな対応をとってもカッコ悪いことには変わりないのだ。世界の終わりがやってきた気分だ。
 隆弘はまた頭を抱えてうなだれた。
 アーマンは落ち込む隆弘を暖かい目で見守っている。それすらも隆弘には恥ずかしかった。もう自分が呼吸していることすら恥ずかしい。
アーマンがソファから立ち上がる。

「コーヒー、もう少し飲むか?」

 彼の問いに隆弘は

「いや、いらねぇ」

 と答えた。
 どうやら刑事のほうはまずいコーヒーをご所望らしく、紙コップのコーヒーをひとつ持ってきてまたソファに座る。コーヒーを飲んで眉をひそめるアーマンの横に、若い刑事が歩み寄ってきた。
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