君はリリーを知っているか?


「やあ、リリー」

 リリアンは走っていった隆弘を茫然と見送った。しばらくのち、我に返って帰路につく。灰色の空から雪が降っている。赤い傘に雪がつもっていった。稀に立ち並ぶ建物の屋根からドサリと雪の固まりが落ちる。吐き出す息が白く変化しては風にのってかき消えた。隆弘がいつも吐き出しているタバコの煙のようだ。彼は帰路と同じ方向に走っていったはずなのだが途中で見失ってしまった。背も高いから歩幅も広い。嫌味かと思うほど長い足で走られれば、あっというまに距離が空いてしまう。
 リリアンの吐き出したため息が白くなり、他の息より長くその場に留まる。
 さすがにふった後で馴れ馴れしすぎただろうか。友だちくらいにはなりたいと思ったのだけれど。
 よくよく考えてみるとかなりワガママだ。あの男は口調や態度に反して優しいのでつい調子に乗ってしまった。
 もう一度ため息を道に残して、女は足早に歩き始める。川を越えて赤い屋根の借家へ。雪にうずもれたフロントガーデンの草花が少し息苦しそうに見えた。
 これから荷造りをしなければならない。カレッジに相談したら、1度戻ってくるようにと言ってくれた。
 リリアンがプリムラの上に乗った雪を軽く払いのけてやる。直後、背後に車が止まったのに気がついた。
 他人の家に横付けするとは良い度胸だ。振り返って睨みつけてやる。いかにも妖しい黒い車で、窓には濃いカーフィルムが貼り付けてあった。中が見えない。
 オックスフォードでは珍しい、ちょっとヤバイ方々の気配を感じ、女の頬が引きつった。
 助手席の窓がゆっくりと開いていき、隙間から聞き覚えのある声が聞こえる。


「やあ、リリー」


 カーフィルムの窓が完全に開いた。現れた顔にリリアンが目を見開く。知らずに腕が震えた。

「なんでっ……」

 彼女が車の助手席を凝視している間に、後部座席のドアが勢いよく開く。そこから降りてきた男に気づき、リリアンが振り返った。抵抗する間もなく彼女の腹部に強い衝撃が走る。

「ぐっ……!」

 チラチラと風に舞う雪が霞んで見える。身体の力が抜け、傘がバサリと大きな音を立てて地面に落ちた。
 息ができない。身体が痛みで痙攣する。なんとか浅い呼吸を繰り返すも、意識は徐々に遠のいていく。
 硬直したリリアンの身体を男が車に引きずり込んだ。はずみで頭をぶつけた女は、そのせいで完全に意識を手放した。
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