リリアンがゆっくりと目をあけると、見知らぬ天井が見えた。どうやら自分は眠っていたようだ。 ここはどこだろう。どうしてこんなところにいるのだろう。 頭がぼんやりとしていてとっさに記憶を呼び出せない。とにかく起き上がろうとしたリリアンは、手足が縫い付けられて起き上がれないことに気がついた。 「なっ、なに……!?」 慌てて首だけであたりを見回す。女の身体は歯医者の診療台を思わせる椅子に寝かせられ、足と手が黒いベルトで固定されていた。抜けだそうと手足をバタつかせても、薄暗い空間にガチャガチャと虚しい音が響くだけだ。 焦るリリアンの頭上から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。 「目が覚めたかな? 私の可愛いリリー」 彼女が声のするほうを見ると、50代前後と思われる赤毛の男が立っていた。大きなマスクをつけている。リリアンの記憶では確か今年で49歳だ。 女の額に冷や汗が浮かぶ。 「ルーベン……生きてたの……?」 ルーベン・バルボ ジャッキーやドリー、ミック・カーシュを死に追いやった『リリー』の生みの親。オックスフォードの薬学教授である。リリアンはてっきり二ヶ月前に死んだと思っていた。 彼はニコリと笑みを浮かべた。マスクで口元は見えないから目元だけの判断になるのだが。 「ああ。またあえて嬉しいよ、リリアン」 女はもう一度手足をバタつかせる。ベルトは外れず、ルーベンは笑顔のまま 「それは外れないから、時間の無駄だよ」 と穏やかに語りかけてきた。マスクのせいで声が少し籠もっている。 女が眉をひそめた。 「……なんで、こんなことするの?」 ルーベンは笑顔のまま穏やかに答える。 「私の仮説を証明するためだよ。君に助手を務めてもらいたいんだ。いつもやってたじゃないか」 ベルトがガチャリと音を立てた。女はフン、と鼻を鳴らす。 「これじゃ助手じゃなくてモルモットの間違いだ」 ルーベンは相変わらず笑っている。リリアンが探るような目線を向けても眉一つ動かさない。 「……ドリーが、あなたを川に突き落としたっていってたけど」 「ああ。彼女が『リリー』に気づいたのは誤算だったね。まさかあんなに野心家だとは思わなかった」 「死んだふりってわけ? なんでそんなことしたの?」 「彼女、香港マフィアと繋がってるだろ? ヘタに逆らって殺される前に、自分から死んだほうがいいと思ってね。そのお陰でこの2ヶ月間、リリーの研究に専念できたよ。大学のほうでも貴重なデータが採れたしね」 男の背後やリリアンの周囲には埋め込み式のプランターがたくさん設置してある。赤黒いユリがところ狭しと咲いていた。陽の光があたらないような場所なのにとても元気だ。リリアンはこの花が枯れるところを見たことがない。彼女が育てていた花も、季節外れだというのに枯れる様子もなく庭で元気に咲いていた。 ドリーがルーベンのデータから『リリー』の成分を再現している間、男はここで思う存分研究を進めていたというわけだ。マスクをつけているのは花粉を吸い込まないための処置だろうか。リリアンは花粉にまで対策が必要だと聞いていなかった。彼女は2ヶ月間、無防備な状態で『リリー』の成分に晒されていたことになる。 大学のほうの興味深いデータというのはジャッキーやミック・カーシュ、そしてドリーのことだろう。 リリアンが男を睨みつける。マスクをつけた赤毛はまだ目元に笑みを浮かべたまま、拘束されている女の周囲をゆっくりと歩き始めた。 「ネズミに何回か成分を投与してわかったことなんだが、『リリー』の成分は一度に大量の摂取を行うと身体が変化についていけず死に至るんだ。私たちが最初に見たネズミはトンビに狩られてしまったが、放っておいても5分と持たなかっただろうね。あれと同じくらいの量を一度に投与したネズミはみな5分以内に死んでしまったよ。身体中から血を噴き出してね。君にも見覚えがあるだろう? 大学での薬品投与体はすべて失血死したと聞いているよ」 人が5人も死んでいるのに、赤毛は穏やかに笑って得意げに話を続ける。 「だから今度は少量づつ与えることにしたんだ。1週間かけて規定の量を投与したネズミは死ななかった。時間をかけて少しずつ摂取していけば身体にあまり負担はかからないんだよ」 ルーベンの歩みが止まった。 「人間はさすがに1週間では無理だったね。そもそも身体に影響を与える量がネズミとは違いすぎる。人に応用するのはもう少し時間がかかると思っていたんだが……思い出したんだよ」 男がリリアンに顔を近づける。息がかかりそうなほどの至近距離に彼女は思わず息をのんだ。別に初めての距離ではないのに。 「君が『リリー』を1株持っていたってね。花粉を摂取し続けて2ヶ月……なかなか興味深いケースだ」 やはり花粉の成分だけでも人体に影響はでるようだ。 ルーベンを睨みつけて女が吠える。 しおりを挟む目次 戻る [しおり一覧] |