君はリリーを知っているか?


「俺はお前の敵じゃねぇ」

「こないでっ!」

 腹に衝撃が加わって隆弘の身体が吹っ飛んだ。地面に叩きつけられ、肺が一瞬機能を停止してしまう。なぎ倒された花の中心から

「うぐぅっ」

 と、苦しみに呻く声が聞こえてきた。
 このままではルーベンのいったとおり、リリアンが死んでしまうかもしれない。
 リリアンの口からまた赤黒い液体が吐き出された。ボタボタと重い水音がしてユリの花弁を汚すけれど、花自体が血と同じ色をしているので区別がつかなかった。赤黒い花から赤黒い液体が滴り落ちると、周囲の熱で花が溶けたような錯覚に陥る。
 女の瞳が充血していた。涙が流れるべき場所から血を流している。呼吸も荒い。
 隆弘がフラフラと立ち上がる。身体が見えない壁に圧迫されているようだった。止血した傷がブシュリと音をたて血を吐き出す。
 リリアンはその比ではないくらい、口や目から赤黒いものを垂れ流していた。禍々しいユリの中で、同じ色の液体を吐き出している。
 男は一度深呼吸したあと、ゆっくりと、なるべく穏やかに聞こえるよう、静かに言葉を吐き出す。

「リリアン」

 身体にかかる重力が強くなった。ミシミシと骨が軋む。リリアンが口から血を吐き出した。ユリを吐き出したようにも見える。
 隆弘が一歩踏み出すと、足がズブズブと床に沈んでいった。さらにもう一歩踏み出す。コンクリートであるはずの床が波打って隆弘の身体を飲み込んでいくが、構わず男は突き進んだ。

「リリアン、俺が怖いのか?」

 翠玉がグラリと揺れた。脅えている。隆弘から逃れるように女は座り込んだまま後退していった。そのせいでなぎ倒された花がひしゃげ、花弁が舞う。血のような花弁。リリアンが血を吐き出す原因になった花だ。
 隆弘の足が膝あたりまで沈み込んだ。周囲に青白い火花が現れ、隆弘に絡みついて激痛を残す。少し身体を揺らした男は、立ち止まることなく歩き続けた。
 炎がユリから男の服へ燃え移る。嬲るような熱さがヒリヒリとした痛みに変わっていく。

「……俺はお前の敵じゃねぇ。もう一度聞くぜ。俺が怖いのか?」

 剥がれたコンクリートの破片が周囲を飛び回り、隆弘の背中にぶつかってくる。息をのんだ男は一度大きく仰け反ると無理やり体勢を立て直し、底なし沼のようになった地面を踏みしめた。

「そんなわけねぇだろ……お前が俺を怖がる理由がねぇ」

 隆弘の腕がリリアンの肩を掴む。女が暴れるも、男の力が強く離れない。
 リリアンが悲鳴を上げた。

「やだっ!」

 コンクリートの塊が隆弘の肩に突き刺さる。衝撃と痛みが走って血が噴き出した。そろそろ身体が危険信号を発している。
 それでも彼は脅える女の顔を、力尽くで自分に向けた。

「下ばっか向いてるから相手が誰だかもわかんねぇんだ。俺の目を見ろ! リリアン・マクニール!」

 エメラルドとコバルトグリーンの視線が絡み合う。
 恐怖に揺れていたエメラルドがコバルトグリーンを捕らえると同時に、隆弘を押しつぶすような重圧が消えていった。
 リリアンが2度ほど軽く瞬きをして、小さく声を出す。

「あ……」

 ユリを燃やしていた炎が消えた。ショートした照明がもとに戻り、ボロボロの部屋を照らす。男の肩に突き刺さっていたコンクリートの塊が音をたてて地面に落ちた。床はもう底なし沼ではなくなっている。

「隆弘……」

「ああ」

「怪我してる……」

「ああ」

「大丈夫……?」

「ああ」

 リリアンがもう一度瞬きをした。透明な液体がエメラルドに膜を張る。血でないことに隆弘はひどく安心した。
 女の声が震えている。

「助けに、きてくれたの?」

 男が、口の端を持ち上げてみせた。

「ああ」

 エメラルドを濡らした水の膜があふれ出し、血で汚れた頬を伝う。赤い色のついた涙を隆弘の指が拭うと、女がうっすら笑みを浮かべた。

「ありがとう」

「気にすんな」

 目の前にある女の笑顔がぼやける。隆弘は口の端を歪めたまま目を閉じた。

――ああ、もう……限界か。

 背中から流れる血が止まらない。銃で撃たれた傷もあるし、電撃と炎と妙な重力の攻撃で身体はボロボロだ。そのうえコンクリートの刃が刺さっては体力に自信のある隆弘にも限度というものがある。

――リリアンは、助けた。

 惚れた女は笑っている。
 ありがとう、と言って幸せそうに。
 だから、それでいい。

 力のぬけた身体がリリアンのほうに倒れてしまった。少し重いかもしれないが、ちょっと動けば抜け出せるはずだ。
 女の身体が隆弘と一緒に倒れた。赤い花弁が宙を舞う。一緒に舞う液体はリリアンのものではなく隆弘のものだ。
 女のエメラルドが見開かれ、震える声が隆弘の耳元で聞こえてくる。

「たか、ひろ……?」

 隆弘がリリアンを押し倒すようにしてユリの上に倒れた。彼は女に気にしないで先に行けと言おうとして、結局なにも言えないまま意識を手放した。
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