10




「…もう済んだ傷だ。この通り繋がってるし、問題なく動かせる」
「そういう問題じゃないです!」
「……」
「そ、いう、問題じゃ…」

ほら、またそうやって誤魔化す。
私が聞きたい話の本質を隠して無かったことにしようとする。
言葉も発せなくなるほどに、大きな感情に翻弄される。

繋がっている、済んだ傷。
そんな簡単な話じゃない筈だ。
だって彼は医師で、医師にとって大切な腕が、無くなっていたかもしれないのだ。
医師でなくたってこれから先の航海、いくら能力者でも腕があるのとないのでは話が大幅に違ってくるだろう。
そもそも普通に暮らしている人間だって四肢欠損は大きなハンデとなるというのに、それが「繋がっているから大丈夫」だと?
何がどうなってこの傷跡が刻まれたのか。
実際は無くならずに済んでいる、確かにその通り。
彼の言うようにもうそれで終わりにするべきなのかもしれないけれど、だけど、それでも。

「…なぜ、ですか」
「……」
「ドフラミンゴを、こんなになってまで…自ら堕としたかった理由は何なんですか…!?」

彼が息を呑んだのを空気で感じとる。
彼がそれに“死ぬ気で”挑んでいたことは理解していたつもりだった。
だがどうだ、腕が無くなりかけたという事実を文字通り眼前に突き付けられただけで今、怖くて震えと涙が止まらない。
ただそれだけでこの有様なのだ。
実際私は理解しているつもりなだけで本気で捉えられていなかったのだろう。
彼の「本気」を知らなかったから。

もう聞かずにはいられなかった。
自発的に話してくれないということは私には聞かせたくない話であろうことは承知の上で、それでも彼の口から誤魔化しじゃない、本当の理由を聞きたかったのだ。



声にならない嗚咽を洩らして泣き続ける私の頭を、ふと先生がかき抱いた。
急な事で対応できずに完全に彼に体を預ける体勢になってしまったがその驚きを以てしても涙は止まらない。

「……落ち着け。過呼吸気味だ」

安心と、恐怖と、
少しの疑心と。
様々な感情が掛け合わさって大きな波となり私をぐんぐんと圧し流していく。
その波は、陸にいる私を容易く溺れさせた。

「……っ、は、っは、」
「おい、」


息を吸う、吐く、吸う、吐く。

おかしい、吸っているのに苦しい。
酸素が入ってこない。
何故だ。おかしいな。

息を吸う、吸う、吸う。
吐く、
吐け、ない。

焦れば焦るほどにメカニズムが狂っていく。
殆ど不随意的にできている筈のことができなくなっていく。
苦しい、おかしい、どうして。
目の前にいる先生の姿も捉えられなくなっている。
緩慢な動作で踠く私の顎を、先生が強く掴んだ。

「っ、」

半開きのまま酸素を求めて震える私の唇が、先生の唇に被われる。
反射的に逃げようとする私を逃すまいと、顎を掴んだ方とは逆の手で頭をがっちりホールドされた。

「ぅあ、」
「、」

刹那の息継ぎすら許されずそのままの勢いでベッドへと押し倒され、彼の吐く二酸化炭素を吸わざるを得なくなる。
ホールドされていた頭と顎はいつの間にか解放され、代わりに両腕がベッドに縫い止められていた。

視界も定まらぬまま、ただ彼から提供される息を吸って、吐いて。


どれくらいそうしていたか、きっと時間で言えば1分2分にも満たなかったかもしれない。
カナヅチの彼に陸の海から救い上げられた私はさっきまでの状況を少しずつ理解し、そんな彼の下で仰向けになったまま色んな意味で泣きそうになっていた。

「落ち着けと言った」
「………は、い」

掠れた声を何とか喉から捻り出す。
さっきあのタイミングでああしてくれなければもっと酷くなっていたのは最もなのだが、過呼吸をキスで治めて落ち着けだなんて、熟無茶を仰せになるお人である。

「また泣くのか」
「……」
「また泣くなら次は救命目的じゃねェキスをする」
「…も、泣きません」

ぐにゃりと歪んだ視界を気合いで正す。
そのまま腕を引っ張り起こされ、今度はベッドの上で向かい合った。
もうこれ以上狡いことはさせないと決めた。
こんな私で頼りないかもしれないけれど、

「…もう、」
「…」

誤魔化さないで。
長い沈黙の末に、先生が短く息を吸う。

「……おれはずっと、何者でもなかった」