1



「………ん、」

ゆっくりと目が覚める。
久しぶりに取った、長い睡眠だった。
頭には寝癖が撥ね、声は掠れている。
今は何時なのだろうか。
ゆっくり壁を見渡すと、遠くに壁掛け時計を発見する。
しぱしぱする目に、昨夜コンタクトを外し忘れたことを思い出した。

「うわさいあく、」

張り付いたコンタクトをやっとこさ外す。眼球ごめんね。
しばらく目を閉じて涙液を分泌させたのち、目を瞬かせて時計を見た。
…いや、コンタクト取ったんだから見えるはずがないじゃん。
自慢ではないが、私は重度の近視だ。
学生時代の勉強のやりすぎだろうか、コンタクトか眼鏡なしではそこそこ生活するのが難しい。
視界は常にぼやけまくり、完全にピントを合わせられる距離は顔から30cm強ほどまでだ。
どんな場所なのか分からないここで無防備な状態になるのは得策ではないが、少なくとも昨日の2人は私を今すぐどうこうしたいわけではなさそうだった。
それに、どちらにせよしばらくこの部屋から出られないのなら見えなくても同じこと。
すでに渇きつつあるワンデーのコンタクトは屑籠に捨て、時計に近づいて凝視する。
下から見上げる形にはなるから正確ではないが…

「……11じ…?」
「12時前だ」

突如、扉の方から聞こえた声に大きく肩を揺らす。
勢いよく振り返ると、そこには昨日の人相悪男が立っていた。

「きゅ…にはいってこないで…ください」

驚きと寝起きでいつも通り出ない声。
つい鎖骨辺りをトントンと叩く。

「俺の艦だから俺の勝手だ」

そう言ってのけるとやおら近づいてきて、「今日の診察だ」、とまた私のバイタルを確認しだした。

「今日も大事ないか」
「…はい」

昨日も思っていたが、この男は人相こそ悪いが中々に端正な顔立ちをしている。
私の実年齢よりは幾分か若そうだが、私より目測30cm以上も背が高く顔がいい男にあちこち点検されているといろんな意味で緊張してくるのだった。
不自然でない程度に顔を逸らして誤魔化す。

「診察は終わりだ。病気が病気だから本来ならあと2、3日はこのまま安静にしてもらいてェところだが…」

男が言葉を一旦切り、こちらを見た気がした。

「…お前、一体何者だ」

背中を冷たい汗が流れる。
世に殺意、と呼ばれるものだろうか。
人生で初めて向けられたそれは、簡単に体の自由を奪い去る。
何しろ20云年、そんなものとは無縁の、純然たる一般人としての道を生きてきたのだ。

「…わた、しは、」
「苗字名前」
「、え」

私が動きを止めると、勤務先の病院名と職業、私の名前をもう一度並べ、問うてくる。

「おれはこれでも医者の端くれでね。この世界において有名な病院ならある程度頭に入っているがこんな名前の病院は聞いたことがねェ」
「………」
「で、病院の名前…地名だよな。調べてみたが、こんな地名は存在しない。お前はどこから来た」
「、…!」

文字通り、息が止まった。
ゆるりと頭を擡げ、男に焦点を合わせる。
病院名まではいいとして、地名が存在しない?
嘘だ、このご時世どんな調べ方をしても嫌でも出てくるはずだ。
それくらいの都会ではあったのだから。

「…なん、」

で。

止まる脳を必死に動かしても、出てきたのはそんな言葉だけだった。
昨日から何がどういうことか全く分からない。
だって私は職場の休憩室でクモ膜下出血を起こして、震源ど真ん中でマグニチュード9を越える大地震を経験して、それでも脱出路確保のために廊下に繋がる扉を死ぬ思いをしながら開けただけだ。
そう、それだけなのだ。
だが、それをどう説明したら目の前のこの男に通じるだろう。

「お前は侵入者か?」
「………」

せめてもと、ゆるゆると首を力なく横に振る。
結果はどうあれ、こちとらそんなつもりは一切ない。

「どうやって艦内に現れた?」
「………」

そんなの分からない。
私が聞きたい、ここがどこなのか。

「前の島から潜んでいたのか?それとも浮上のタイミングで飛んできたか」
「………」

分からない。何もかも。
この男が何を言っているのかも今ひとつ理解が追いつかない。
前の島?浮上のタイミング?そもそも船って何…?
質問を経るごとに鋭くなっていく空気にキャパオーバーを迎えた私の頬をつ、と涙が伝った。

「は、」

険しい顔をしていた男が間抜けな声を上げる。
元々緩い涙腺が年々緩んできている自覚はあったが、ここにきてから泣いてばかりだ。

「わか、りませ、ん、私、なにも、しらな、くて、ここどこ、」
「おい、」

男の声が年相応に揺らぐ。すると、

「朝食べてなくてお腹すいたでしょ、ご飯ー…」

ぴしり。
その言葉に相応しい空気。
扉が開きっぱなしなのをいいことに、こちらも無遠慮に1人の女性が足を踏み入れてきた。

「……何してるんですかキャプテン」
「いや違う、たった今突然、」
「見苦しいですよキャプテンともあろうものが。ちょっと貴女大丈夫?」
「すみま、せん」

彼女はたじたじと言葉を紡ぐ男を押し除けて自身のポケットからハンカチを出して涙を拭いてくれた。誰かはわからないが優しい人だ。

「はい、あの、ありがと、ござ、ま、」
「おれは何もしてねェ」
「何もしなかったら泣きません」

ぴしゃりと言われ、気まずそうに黙る男。

「ここだと逃げ場がないんだからいきなり問い詰めたら可哀想です。食堂で話を聞きましょう、キャプテン」
「…まぁ、そうだな」

居心地悪そうに先に部屋を出ていく男。
いきましょうか、と先導してくれる彼女の後に続くことにした。

---