先生の部屋から借りてきていた本は、最初こそ私に施されたオペの詳細を探るためであったけれど目的を失ってもなおなかなかどうして面白い。
時間を忘れ、夢中になって読んでしまった。
ふと思い出して時計を見に行けば、時刻は夕方をとうに過ぎていた。
潜水艦は時間感覚が狂うって本当なんだな…全部読んでしまったし、先生に返しに行こう。
積み上げた本を持ち上げ、隣の部屋に向かう。
…ノックができない。
「先生ー、中におられます?借りた本を返しにきました」
「入れ」
「いやちょっと無理です手が塞がっちゃって」
「…あぁ?」
面倒臭そうな返事が聞こえたと思えば、扉の開く音。
「昼も思ったが、それは前が見えてんのか?」
「見えなくても隣なんで。これ、お返しします」
「自分で持ってったんだから自分で棚に戻せ」
「じゃあお邪魔します」
横歩きで本棚に近付き、本たちを元あった場所に返していく。
「何処に何があったかまで覚えてんのか」
「ええまぁ。こういうのはしっかり元通りの場所に戻さないとドクターの機嫌を損ねると相場が決まってますから」
「そりゃあいい心掛けだな」
医者なんて基本みんな変わり者だ。
彼らの自分ルールを知らずに守らなかったせいでネチネチと説教されたこともある。
これはこっちでこれはこっち…
残り数冊というところで、一冊の本が目に入った。
救急救命…手に取り、中に目を通す。
救急救命とはなんたるかから始まり、1次救急、2次救急、3次救急…鼻血が出た時から腕が落ちた時の対処法まで載っている。
異世界らしいというかなんというか。
ここまで詳しく載っている本、元の世界ではお目にかかったことなかったな…
「おい、読むならまた貸してやるから部屋で読め」
「!ごめんなさい」
すぐ後ろで聞こえる声に驚いてぱたんと本を閉じる。
「これ、借りていきますね」
「好きにしろ」
船長室を後にして自分の部屋に戻って早速本を開く。
最初の講釈部分はいい。
私が読みたいのはこの先、実際の手当の部分だ。
この船に乗り、先生の助手として彼を支えていくのなら以前では必要の無かった情報もインプットしておく必要があるだろう。
医者ではないのでどこまで助けられるかは分からないけど…
でも知識はあるに越したことはない。
そもそも今までとは環境が違いすぎるのだから。
考えながら知識を詰め込むことに没頭していたせいで、扉が開いた後にまたもや気が付かなかった。
「名前ちゃーん!おーい」
肩を叩かれて漸くイッカクさんの来訪に気付く。
「びっ…………はい」
「ごめんごめん驚かせちゃったか。貴女の歓迎会やろうって話で食堂が盛り上がってるんだけど来れる?」
「歓迎…会」
「そ!せっかく仲間になったんだから」
にこ、と人の良さそうな笑顔を浮かべるイッカクさん。
「はい、是非」
「そう来なくっちゃ!」
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イッカクさんに連れられて到着した食堂は、もうすでにどんちゃん騒ぎ。
そんな中でも扉を開ければ注目を集めた。
「お!来たぞ主役!」
「よっ!むさ苦しい男だらけの潜水艦に降り立った白衣の天使!名前ちゃん!」
「ちょっと、あたしは男カウントなわけ?」
「男カウントだろ!」
「ここ座れ!ここ!」
この宴は一体いつから始まっていたのか、顔を真っ赤にした1人に真ん中近くの席に誘導される。
イッカクさんはジョッキを受け取り、離れていってしまった。
「野郎ども!天使が来たぞ〜!」
「「「うおおおお!!!」」」
こういったテンションに慣れていない私はおどおどするばかり。
そもそも酒の席すら何年ぶりかというレベルだというのに。
「名前ちゃんなんか食うか!?」
「なんでもあるぞ〜肉も魚も!」
「いやまず打ち解けるには酒だろ酒!呑むだろ!?」
「あの私、」
言葉を紡ぐ前に目の前には樽で出来たジョッキが置かれ、ビールのようなお酒が注がれていく。
たしかに、酒は好きだ。
以前の話ではあるが、飲み会ではとりあえず生、の一言から始まり、ハイボールにワイン、日本酒果実酒焼酎なんでもござれ。
好きなだけでなく、体質も強い方だった。
ここ最近は忙しさから自宅で寝酒に少し嗜む程度で、それも頻度としてはかなり稀。
呑みたい気持ちはある。好きだもの、山々だ。
けれど、脳血管の手術をしたばかりで経過観察中の身としては、アルコールなど以ての外なのであった。
「えーと、」
急に、目の前のジョッキが持ち上げられる。
上にのぼっていくジョッキを目で追えば、着地点はいつの間に来たのか、先生の口で。
「わ!キャプテン!」
「いつの間に!」
少しの間を置き、一気にジョッキを空にした先生はコン、と静かにそれを元あった場所に戻した。
「こいつは脳血管のオペをしたばかりだと言ったろう。アルコールなんか呑ませんな」
「え〜、だって歓迎会すよ歓迎会!」
「そっすよまだ緊張してるみたいだし、酒がいちばんじゃないっすか」
「だめだ。歓迎会だなんだは好きにすりゃいいが、酒だけは厳禁だ」
ちらりとこちらに視線を寄越す先生。
分かってますよ、の思いを込めて見返した。
「そんな殺生な〜!」
「折角の
途端に真っ青になって高速で首を横に振りだすクルーの皆さんに、先生は私の隣に腰掛けてもっと寄越せと酒を強請り出す。
並々注がれたそれを、顔色ひとつ変えずまたも一気に呑み干した。
見かけによらず、彼もアルコールに強いらしい。
医者のくせに一気呑みなんかして。
「なんだ」
見てたのバレた。
「医者の不養生だなーと思いまして」
「どの時代の医者だって酒くらい呑むだろう。あとお前、分かってるとは思うが許可を出すまで風呂も入るなよ」
「分かってますよ」
「えー!風呂まで制限されんの!?」
「…お前らなぁ」
根本的になぜアルコールがダメなのか分かってない人たちに、お風呂もダメな理由など分かるはずがないというのに。
呆れた様子でなおも酒を呑む先生の隣で、酒の入ったクルーたちから代わる代わる投げかけられる質問に答え、出された食事をとっているうちにその日の夜は斯くも楽しく更けていった。
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