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「…よし、まあいいだろ」

毎朝の診察にも慣れてきたあたりで、先生から経過観察終了のお達しがでた。
とはいえ、まだまだ油断は禁物。

「頭痛や吐き気があればすぐに言え」
「了解です。ありがとうございました」

船長室を出たその足で向かうのは…

「戦闘訓練?」
「はい」

食事中だったイッカクさんを捕まえてお願いをする。
看護師ではあるものの、海賊船に乗ることになったからには自分の身くらい自分で守らなくては。
先生は「構わない」と言ったけど、毎度毎度誰かに守ってもらうわけにもいかないだろう。

「経過観察はひとまず終わったので、そろそろ護身術くらいは覚えた方がいいかなと思いまして」
「元々こんな世界とは無縁なわけでしょ?得意な武器とかも…」
「ないですね…」

得意な武器なんて私の世界の一般人は一生知り得ない。

「使いやすいものならなんでもいいと思うけど…刀やらナイフやらの刃物系なり、棍棒やら鈍器やらの打撃系なり?あ、飛び道具もあるよ」
「…できれば直接的に命を奪わないようなものがいいんですが」

看護師という命を救う側である以上、相手を殺すようなことは出来る限りしたくない。
というのは半分本音でもう半分は建前だ。
純度100%の本音で言えば、人殺しが怖い。
現代の日の本を生きてきた者としては当たり前の感覚。
勿論殺したことなんて一度たりともないし、目の前で患者が病によって息絶えていくのを見るのさえ恐ろしかった。
必死の救命措置の甲斐もなく、今まさに命を落としていく患者の息遣い、家族の泣き声、無機質な機械の音。
初めて聞いた時のそれは、今でも目を瞑れば簡単に甦ってくる。

「…どんな武器を使っても、どんな闘い方をしても相手が死ぬか死なないかはこっちの力量次第だよ。鍛錬を積めば刃物でも傷つけないことは出来るし、拳一つで命を奪うことも出来る」

でもそれなら、と彼女は続けた。

「護身術として気絶を狙うくらいなら体術かなぁ?ベポが得意だよ。こう…カンフー?っていうの?」
「ちょっと聞いてきます!」
「いってらっしゃーい。今の時間は多分測量室にいると思う」
「ありがとうございます!」

ひらひらと手を振るイッカクさんと別れ、その足でそのまま測量室に向かった。

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何も考えずに測量室の前まで来てしまったが、よくよく考えればここに居ると言うことはつまり彼は仕事中なのでは。
途端に申し訳ない気持ちになりながら、控えめにノックをする。

コンコンコンッ
「はーい」
「苗字です。開けてもいいですか?」
「苗字…ああ名前か!いいよ!」

今後はファミリーネームじゃなくて名前を名乗った方がいいだろうか。そっと扉を開く。
初めて足を踏み入れた測量室は、ほんのりとインクの匂いがして、壁際には大きな本棚、その隣には製図用であろう大きめの机。
ベポさんの部屋でもあるらしいのでベポさんのベッドや家財道具なんかも隅に見える。
直前まで机に向かっていたであろうこの部屋の主、ベポさんがこちらに体ごと振り向き、横には先生。
…昨日の今日、どころか今日の今日なのであまり先生にはいて欲しくなかった。

「どうしたの?」
「何の顔だそれは」
「…なんでもないです。ベポさんにお願いがあってきたんですけど今って少し大丈夫ですか?」
「え!おれにお願い!?いいよいいよ兄貴分のおれに何でもお願いして!ちょうどキャプテンに報告も終わってひと段落したところなんだ」

どんと聞いちゃう、とドヤ顔で胸を張るベポさんと、動く気配のない先生。
切実に何処かに行ってくれ。

「あのー…ですね、イッカクさんにお伺いしたんですがベポさんは体術がお得意とのことで…」
「うん!おれ体術得意だよ!いっぱい訓練したからね!」
「…護身術的なものをご享受いただけないかなー…なんて…」
「え!勿論!教える教える!おれでいいの?」

先生からの突き刺すような視線からは極力目を逸らす。
何かしたいんだもの。しょうがないんですよこれはもう。

「いつやる?今やる?」
「い、今ですか?どこで…」
「もうちょっとで一旦浮上するからさ!その間甲板でやろうよ!ね、いいでしょキャプテン!」
「…あぁ、良いんじゃないか」

顔が怖い。
目が笑っていない笑みというのはああいうのを言うのか。

「そしたら浮上した後に甲板集合ね!操縦室行ってお願いしてくる!」

先生の怖すぎる顔に気づかないベポさんはそう言い残して先に部屋を出て行ってしまった。
共にこの場に残っている先生の方面から、怒りと呆れのオーラを感じる。

「…大層な向上心をお持ちのようだな?」
「な、何かしてないと落ち着かないんですよ」
「護身術程度ならおれが教えてやってもいいが」
「先生の手を煩わせるわけにはいかないですから!ね!」

うん、そうだそうだと無理矢理作った冷や汗だらだらの笑顔で何度も頷く。
今の彼にお願いしたら多分容赦はゼロだ。
直後、ガゴン、ともボコン、ともつかぬ音がして潜水艦全体が大きく揺れる。
浮上の合図だ。そそくさと甲板へ向かう。
後から悠々とした足取りで先生がついてきているのには気づかないふりをした。

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「ところで名前、護身術って相手の攻撃を受け流す受身術なんだけどそれだけでいいの?」
「受身術…」
「そう。基本的にこっちから仕掛けることはしないんだ。練習してても上手いこと発揮できなかったりもするし…カウンター技とかも教えとく?どうする?護身術だけ教えるなんて不安だよおれ。ていうかなんで突然護身術教わりたくなったの?」
「あー…ええとですね」

デッキチェアで本を読み出す先生を尻目に、ベポさんにこうなった経緯を説明する。

「…というわけで、直接的に殺人に結びつかない方法でなんとか自分で自分の身を守れたらと思いまして」
「なるほどねー。人殺しはやなんだね」
「そう…ですね。極力」
「海賊なのに?」
「海賊なのに」

そもそも、まだこの船の中での生活を数日しかしていない身としては、あまりにも環境が穏やかなので海賊としての実感が湧いていないというのもある。
今ベポさんに「海賊」と言われ、改めてそうか私は海賊なのか、と思ってしまったほどだ。彼らと一緒にもっと時間を過ごせば変わっていくんだろうか。

「気持ちは分かるけどさ〜、でもさ〜、カウンターくらいなら相手を殺しちゃうこともないしさ〜…」
「そこまでいうなら…少しだけ」
「やった!じゃあ教えるね!」

両手の人差し指同士をつんつんと合わせ、こちらを伺うように上目遣いで見ていたベポさんが、私が頷くとぱっと花が咲くように笑った。
今更なんだけど可愛いなぁ。
なんでこんなに可愛い白熊なのに海賊船に乗っているんだろう。