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部屋の隅にあったベッドの中で蹲り、いったいどれほどの時間が経っただろうか。
きっと幾許も経っていないだろうが、この格好で先生を出迎えざるを得なくなった事に気がついた時から何ひとつ落ち着いて物事が考えられない。

近づいてくる足音にハッとして、思わず息を殺す。
ーー誰?
明らかに扉の前で止まった人物が、あんなにも会いたかったはずの彼ではないことを心から強く願う。
どうか先生じゃありませんように、先生じゃーーー………


「…寝てんのか」

時が止まった気がした。
何年も聞き続けて、当に耳慣れているはずのその声は何だか妙にこそばゆくて。
身じろぎをせぬよう体を強張らせるのに精一杯で、足音がベッドの傍まで近づいてきている事には気が付かなかった。

ぎしり、顔のすぐ隣でベッドが軋む音がして漸くすぐ隣に彼がいることに気付かされる。

あぁ、変な汗が出てきた。
呼吸ひとつにこんなに緊張することは初めてかもしれない。
どきん、どきん、部屋全体に木霊しているのではないかと思うほどに心臓の脈打つ音がはっきりと聞こえる。

「……名前」

ずっと、ずっと聞きたかった単語で鼓膜が震わせられる。
毛布の向こうから聞こえてくるその声は記憶の中のものより幾分か優しく感じた。
一粒の涙が頬を伝い、ぎゅっと強く目を瞑る。

彼は、こんなに優しい声をしていたか。
こんなに優しい声で、私の名前を呼ぶひとだっただろうか。
もっとそっけなくなかったか。
ううん、違う、やだ、彼は、そうじゃなくて、彼が、……

…彼が、先生が生きていて、よかったーー……


小刻みに震える私に気がついたのか、毛布越しに頭に手が触れ、じんわりと体温が伝わってくる。
私は知っている、彼は見かけによらず手のひらが暖かいのだ。

「…せん、せい?」
「起きてんじゃねェか。腹でも下したか」
「本当デリカシーないですね…」

のそりと体を起こし、頭から毛布を被って体は隠したまま顔のみを覗かせる。
ずび、と啜った鼻先を、彼が小さく笑って柔く摘んだ。

「出迎えがねェから何かと思えば、何べそかいてやがる」
「先生、生きてたから…」
「勝手に殺すな」
「死ぬ気だったくせに、よく言いますね」
「…そうだな。ケリつけて…死ぬ気で、自分に成ってきた。…今戻った」
「……おかえりなさい」

最後に会った時よりも何処かすっきりとした表情の彼は満足そうに鼻を鳴らして体ごと前を向いた。
毛布がはだけぬように気をつけながら私も移動し、ベッドの縁に2人で肩を並べる。
暫しの無言の後に、先生が先に口を開く。

「こっちの状況はどうだったんだ」
「こっち、は…」

何処から話せばいいだろう。
少しだけ言葉を止めて考え、少しずつ話し出す。
ただ報告するだけだというのに、久しぶりの会話に何処か緊張すら覚えた。
本当に厄介な感情を自覚してしまったものだと改めて身悶えしたくなる。

ドレスローザを離れた後。
ゾウに辿り着いた時。
ミンク族との最初の出会い。
みんなとの再会。
そして今日に至るまで。
私がキレ・・てしまった時のことやら何やら、都合の悪いことは割愛させていただいたが報告としては上々だろう。
先生は特に相槌を入れたりすることもなく、たまにこちらに視線をよこしながらもただ黙って私の言葉を聞いていた。
それが勝手な気まずさを加速させるようで、足早に報告を終わらせて次は先生、とパスを送る。

彼も少しの間考えた後に私たちと離れた後の事をざっくりと教えてくれた。
ドフラミンゴとの、国を挙げた戦争。
内容が苛烈を極めていくほどに、今まで小さく燻っていた違和感が大きくなっていく。
どうして先生はこんなに大変な思いをしてまでドフラミンゴを堕としたかったのだろうか。
海軍もいたという事だし、作戦次第では危ないところは海軍に押し付けるやり方だってできたはず。
それをなぜわざわざ…

「…こんなところか」
「…そうでしたか……えー、と、ひとまずですけど、お疲れ様でした」
「あぁ。怪我は」
「私はあれ以降特には。先生こそ」
「大したことねェ」
「勿論そうですけど…撃たれてましたよね」
「……」

あの時の音声を思い出してじわりと涙が滲むが、気付かれる前にと引っ込める。
安心と緊張のせいか情緒が完全にバカになっているようだ。

「みせてください」
「…俺は医者だ」
「私は看護師です」
「………」

渋々といった様子で開襟の前を開いてお腹をみせてくる先生。
包帯も巻かれていない胴体には、所謂弾痕と呼ばれる跡が3つ、痛々しく主張をしていた。
思わず眉を顰めた私に、先生は拗ねた様な顔をする。