墓場 - deer

月が綺麗ですね

うちの組の抱える問題の一つに七尾の学力がある。あいつがテストで赤点をとってしまえば補修のせいで講演が回らなくなるのだ。ゲームだ遊びだということはほとんどできなかった学生時代に培ったもので七尾の家庭教師のようなことをしているが、今日の宿題は寮中を巻き込むものだった。

「左京にぃ!どうしよう、今日の宿題難しすぎるッス!」

リビングで料理をする伏見にコーヒーを頼めば、うるさい犬が帰って来た。そろそろ首輪でもつけるべきだろうか。瑠璃川にでも言って髪の色と揃えた首輪でもこしらえるか。耳と尻尾が見える気がする七尾のべそかき顔に息を吐いて口を開いた。

「帰って早々うるせぇな。ただいまはどうした」

「ごめんなさいッス!ただいまッス!!」

「よし。んで、何の宿題だ?」

犬の躾でもしている気分だ。あいにく本物の犬を飼った経験はないが、迫田がそんなものだろう。手がかかって世話が焼けるが、別段嫌とは思わないため、犬を飼うのに向いている質なのかもしれない。

「これッス!」

勢いよく取り出されたプリントには「I love youを和訳しなさい」とあった。どうやら英語の宿題らしいが、有名な文豪の言葉しか思い浮かばない。確かにこれは難しい宿題だと目を細めた。

「何だ?夏目漱石か?」

「千円札の人ッスか?」

「ああ、有名な話だろ?」

「猫が汽車でカムパネルラ?」

最近国語で銀河鉄道の夜を習っているらしい。猫だけは合ってると笑って褒めているが、伏見は七尾に甘すぎる。いや、こいつは誰にでも甘いのかと、次々に帰って来る学生たちにおやつを用意する姿を眺めた。

「おや、難しい顔をしてどうしたんだい?まさか、君も詩興が湧かずに行き詰っているのかい?」

「ふふ、左京君もロマンチックなんだね」

「そんなわけねえだろ。ったく、好き勝手言いやがって・・・」

詩を書くのに行き詰ったらしい有栖川と空のコップを持った雪白にプリントを見せる。これは自分の専売特許だと騒ぐ有栖川に顔をしかめた。

「かの夏目漱石が言ったように、ワタシたちは愛してるなどという安直な言葉を使っていてはダメなのだよ!やはりここはワタシが人肌脱ごうではないか!」

「脱ぐなら監督がいないところでしないとね。監督の番犬たちが暴れちゃうから」

「そこでこっちを見るんじゃねえよ。で、雪白ならどうするんだ?」

バラのごとき美しいパトスがどうだと天を仰ぐ有栖川を視界に入れないようにした。恐らく雪白のI love youは俺とは違うものだろう。あいつの愛というものは、好きになって恋をして、という一般的なプロセスでは絶対にたどり着けない場所にあるのだ。

「そうだね、月が綺麗ですねとは言われてきたけど、それじゃあつまらないよね」

「あなたのためなら死んでもいいってこの前映画で観ましたよ!」

手を洗って伏見の作った菓子を食べている佐久間が顔を上げた。愛の言葉を紡ぐには、口の端にクリームをつけていては駄目だろう。世話を焼くのが楽しいのか、雪白がそれを拭っていた。

「何の話っすか?」

一人だけクリームの量がおかしい菓子を頬張る兵頭が首を傾げた。

「まずは口の中を空にしろ」

溜め息と共に吐き出せば、伏見がお茶を持ってきた。

「太一の宿題だってさ」

「あー?アイラブユーの和訳?」

「そうなんス!難しすぎッスよ!」

「月が綺麗ですねじゃダメなんですか?」

「何を言っているんだい?過去の作品をなぞっていては芸術とは言えないではないか!ノスタルジズムからの脱却!イノベーションこそ今求められる芸術なのだよ!」

少女漫画の定番だと言う向坂に有栖川が噛みついた。言っていることは理解できないこともないが、芸術どうのは理解できなかった。要は文豪の言葉を借りることを良しとしないらしい。

「お、俺っちカノジョもいないのに愛なんて分かんないッスよぉ・・・」

「確かに、オレもよく分からないし。そもそも恥知らずポエマーは分かるわけ?」

「愛という言葉に拘るからできないのだよ!芸術とは自由であるべきだからね、もっと形を変えてみてはどうだい?」

「形を変えるっすか?」

「そんなの、好きで十分」

仕事の茅ヶ崎以外春組が集まった。脚本を書いている皆木には向いている宿題かもしれないが、碓氷は監督さんにしか興味がないのか、つまらなさそうにコーヒーに口をつけていた。

「そうだ!それだよ真澄くん!監督くんへの愛の言葉にすれば解決するのではないかね?」

「か、監督先生への愛の言葉ッスか!?」

「ああ、愛している、というのはあまりにナンセンスだからね。ワタシたちが使う言語は喜ばしいことにとても芸術向きの色彩豊かなものだ。自分ならではの言葉を答えにしてみてはどうかね?」

「何か恥ずかしいッス!」

I love youの和訳は監督さんへの愛の言葉というテーマに変わったらしい。確かに漠然と外国の言葉に頭を捻るよりは効率的だと思うが、相手が監督さんというのはどこか面白くない。こういうときに限って普段見せていない部分が見えてくるものなのだ。

「監督にプロポーズとか簡単。好き。大好き。結婚して」

「あからさますぎじゃねえの?監督ちゃんへのプロポーズならもっと考えろよ」

「なら、アンタは何て言うの」

「そりゃやっぱり・・・・・・嫁さんになってくんねえ?とか・・・」

「万ちゃんも真澄クンと大して変わらないッスよ!」

「はは、いつの間にかカントクへのプロポーズ選手権になってきたな」

伏見の言う通りで、学生たちが菓子を片手に監督さんにプロポーズするなら何と言うのかを考え始めた。碓氷と摂津が睨み合いをしているが、兵頭と殴り合いをするよりは遥かにマシだと思い放置した。

「兵頭はどうなんだよ」

「あ?んなもんアンタの傍にいたいとかでいいだろ」

「つまんねえやつだな」

「あ?やんのか?」

「ああ?お前こそやんのか?」

「わー!万ちゃんも十座サンも落ち着いて欲しいッス!臣クン!臣クンならなんて言うッスか!?」

くだらねえ喧嘩に発展しそうになった摂津と兵頭をなだめて伏見に話題をそらす。何だかんだ秋組で一番柔軟なのは七尾だろうと思った。

「俺か?そうだなあ。毎日カレーを作ってくれないか?かな」

「ああ、それ正解っぽいっすね。監督なら絶対オッケーしそう」

「待って!真澄君落ち着いて!」

「左京にぃも落ち着いてほしいッス!!コーヒー溢しすぎッスよ!?」

明確な殺意を表す碓氷は佐久間に止められ、俺が思わず溢したコーヒーは七尾が片づける。聞き捨てならねえ言葉に動揺してしまったが、伊達に初恋を引きずっていないのだ。監督さんに響くプロポーズの一つや二つくらい俺にだって言えるはずだった。

「じゃあボクのお姫様になってください!とかどうかな?」

「椋らしくていいんじゃない?で、銭ゲバヤクザは?」

「誰が銭ゲバヤクザだ。プロポーズなんてお前らに聞かせても仕方ねえだろうが」

「そんなあ!俺っちの宿題のために教えて欲しいッス!!」

「ほら、馬鹿犬が困ってるからさっさと言いなよ」

「・・・幸せにしてやるから責任取って結婚しろ」

碓氷の顔が険しくなる。さらに瑠璃川からの目線だけで凍りつけそうだが、一々相手にしてはキリがない。全て見えなかったことにしてさっさと宿題済ませろよと睨みをきかせた。

「そんな目で見ないで欲しいッス!ゆ、幸ちゃんは何て言うんスか?」

無事に標的は移動したらしい。後は好きにしろと、他人事のようにコーヒーを流し込んだ。

「アンタの隣にいる時が一番可愛いからオレと結婚して」

「も〜ユッキー素直じゃないんだから!」

「うるさい」

「オレだったら、いつでも君の傍に駆け付けるから。くらい言っちゃうかな〜!やっぱり愛は素直に伝えないとね!」

薄々感じていたが、三好は普段見せない部分がある。この監督さんへの言葉もその中のものなのだろう。茶化すような口調だが、目の奥は真剣そのものだった。

「はい!オレの三角になってください!って言う!三角大事!」

「すみー流石!」

「いや、三角ってなんだよ」

他の学生組に遅れて帰って来た皇が言葉を落とした。おかえりと迎えられながらツッコミを入れていたが、斑鳩の思考回路に正論で挑もうとする方が負けなのではないだろうか。

「たいっちゃんの宿題でカントクちゃんにプロポーズするんだって」

「ふふっ、随分飛躍したね」

「何だそれ?」

「監督にプロポーズするなら何て言うかって話。ほら、ずっと笑っててくださいとか」

「オー!じゃあカントクはワタシと永遠に逃避行ダヨ!」

「この天才が結婚してやるんだから、旦那になってやってもいいぞくらい言わねえとダメだろ」

「うっわ、自意識過剰」

皆木の説明でシトロンと皇が続いた。皇に関しては一回沈めた方がいいかもしれねえと碓氷を見れば目が合ったので、無言で頷いておいた。

「天馬も素直じゃないね」

「そういう東さんはどうなんだよ」

この場を見守るように聞いていた雪白に注目が移る。監督さんに対する感情はそれぞれだが、年齢不詳のこいつが何と言うのかはここにいる全員が気になるようだ。

「カントクは可愛いからね、何て言おうか迷うけど・・・君だけでいいんだ、かな。カントクだけの添い寝屋さんになってあげようかな」

「うむ、とても東さんらしいではないか!耽美でセクシーエクスタシー!」

「ありがと誉。あ、紬、丞おかえり」

「ただいまです。皆集まってどうしたんですか?」

「これだけ集合してると壮観だな。無駄に温度が高い気がする」

「それも仕方ないさ・・・何といっても第一回MANKAIカンパニー監督にプロポーズ選手権を開催しているのだからね!」

これを次もやるつもりなのかと溜め息が漏れた。碓氷と俺に殺されたくなければこれきりにするのが賢明だと思うが、有栖川が賢明な判断をできるはずもない。迫田にドラム缶とセメントだけ用意させておこうと携帯電話を手に取った。

「プロポーズ選手権、ですか?」

「元は馬鹿犬の宿題だけどね」

「プロポーズの宿題ってなんなんだ?」

「細かいことは気にしないで欲しいッス!」

「監督へのプロポーズかあ。太一君はどうしたの?」

「それがまだ分かんないんスよお・・・だから紬サンたちも教えて欲しいッス!」

「丞は得意なんじゃない?GOD座はこういう公演多いから」

「あんまり思い出したくはないが、お前の笑顔が俺の太陽だ、とかは散々言って来たな」

「・・・寒い」

「密さん大丈夫ですか?俺温かい飲み物もらってきますね!」

「うん、ありがと咲也」

「姿が見えないと思っていたら外で眠っていたのかい?」

「眠かったから・・・」

「臣さんがマシュマロ入りのココア作ってくれたんです!」

「うん」

「ところで、密はカントクのどこが好き?」

「・・・寝顔、好きだよ」

いつそれを見たのかと問いただしたいところだが、監督さんはソファーで寝ていることが少なくなかった。疲れているのは仕方ないとは思うが、あまり無防備な姿を晒して欲しくないというのが本音だった。

「紬はどうするんだ?」

「うーん、そうだな・・・あなたじゃなきゃダメなんです、かなあ」

月岡のこういうところが油断できないのだ。いつも穏やかなやつほどどんな気持ちを秘めているか分かったものじゃない。ギャップとでも言うべきなのだろうが、正直敵に回したくない相手だと思う。
結局、七尾の宿題が進まないまま時間だけが過ぎ、伏見と皆木が作った飯を囲んでいるころ茅ヶ崎が帰って来た。誰よりも騒いでいる有栖川がプロポーズ選手権の最中なのだと説明したが、こいつはまだ答えを言っていないことに気づいた。

「おい有栖川、お前はどうなんだ」

「ワタシかね?ふむ、君に愛の言葉を贈り続けようとでも言おうか」

「わあ、かっこいいです!物語の中の王子様みたい・・・」

向坂が頬を赤く染めれば、悪い気はしないようで、鼻を高くしていた。これが芸術的なのか分からないが、別次元の脅威と言えるだろう。俺の監督さんなら賢明な判断をしてくれると信じたいが、あのカレー屋ならどの言葉に揺らいでもおかしくはないような気がしてならない。

「至さんはどうですか?」

「んー、そうだな。俺のSSRは君だけだよ、かな」

「オー!Proposeまで廃課金兵ダヨ!」

「んで、咲也は何て言うの?」

「そうですね、色々考えたんですけど、俺の家族になってください!って言いたいです」

「咲也らしくていいんじゃね。ま、監督さんは排出率かなり絞られてそうだけど。何連したら来てくれるやら」

ゲームの仕組みはよく分からないが、この口ぶりは監督さんを手に入れたいということだろう。もちろん、譲ってやるつもりはないが、食えないやつが多すぎる現状に少し頭が痛くなった。

「そこは単発で引いてくださいよ」

「それには咲也のゴッドハンドが・・・ん?つまり咲也は恋のキューピット?」

「ああ、背中に羽根生えてそうですもんね。次のシナリオにキューピットでも出すか?」

「俺と監督の恋物語・・・」

「やるなら秋組の公演でやれよ」

「・・・何だかんだ銭ゲバヤクザが一番大人げないよね」

そうして、監督さん争奪戦は収束へ向かう気配のないまま夜が更けていった。次の日、花丸をもらったと笑う七尾が掲げたプリントには「俺っちの苗字をもらって欲しいッス!」と書かれていた。

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