第02話〈終わりの始まり〉
「おめぇ、今日もサボったのか?」
燻る煙。
室内はその不快なニオイが充満している。
黄ばんだ天井まで伸びて、広がってゆく。
男の定位置であるところだけ、特に黒い。
男はいかにも不良、いかにもチンピラ的な容姿だった。
よくいる型にハマりたがらない人間の象徴で、不幸にもそれが父親であった。
そのけたたましい目つきときたら。
眼孔から飛び出してくるのではないかと思えるほどだった。
「何とか言わねぇ?」
店主の怒鳴り声にも動じなかった少女が奥歯をガタガタと震わせ。
身体は既に戦慄している。
ライオンに目をつけられた小動物のようにただ静止するのみ。
目先の母親はスナック菓子を摘みながらを視聴していた。
そこに混じる効果音。サバゲー好きの兄は自室でゲームをしているだろう。
確認して、再び恐ろしくなる。
ウェルカム・バック・ヘル。
品行方正のない空間。
他者との隔壁、プライペートの権利を持っだが故に、ここは、ほぼ無法地帯。
男はガニ股で近づいて来た。
ペンダントライトと少女の間で、しゃがみこむ。
ゴホッゴホッ。
黒ずんだ下唇と上唇が白いタバコを咥えている。
隙間の奥は暗くてよく見えない。
加えていたタバコを、関節のゴツゴツとした指の腹が取る。
「____っっつ!!!」
チリチリ。太ももから異様なニオイが燻る。
幸い、皮膚が溶ける前には避けられたものの皮膚は焼けている。
ターボライターによる火あぶりで、爛れた二の腕の一部にはなるまい。
悲鳴を聞いても平然とするのは、この家父長制一家においては至極普通であった。
ここは小さな帝国。父親は絶対君主。
意見の不一致は反逆、意義を唱えるものなら物理的に教戒する。
「ごめんなさい」
「お前が使えねぇなら今殺してもかわらねぇんだぜ?しっかり覚えること覚えてオレらを楽にしてくれよ」
「・・・・・・」
「おい、飯は?」
「槐(えんじゅ)、金渡すから買ってこい」
机の上に無造作に投げられた札。
槐、そう呼ばれた少女は、札をとって、外にでた。
アパートの二階から下りて、真っ先に公園へ行った。
真っ暗闇の中で、設置された蛇口を捻る。
この公園はかなりの年季が経っていたため、管の中を何が媒介しているかも凡そ見当がつかない。
ネズミやゴキブリだけでなく、目には見えない病原菌。はたまた・・・といったものが付着してないとも限らぬが
なにも知らぬ少女は太ももを洗浄しないまま、灰が皮膚に沈殿してしまうことを心配した。
そして少女はベンチに腰掛け恍惚とした。
街灯に虫が群がっている。
青白い月が浮かぶ夜の公園。
ああ。
サンライトに照らされていた頃は、何が楽しくて砂の塔を作っていたんだろう。
思い出せない。
大きなお姉ちゃんに占領されたブランコ。
仕方ないとその斜め向かいの砂場で独り。
母親に呼ばれて作りかけのまま置き去りにして、
次の日には崩れていた塔。
もう一度無心で作り直した時もそう、きっと。
存外今と同じ、イデオロギーは変わらずに。
あの頃の自分は何も思っちゃいなかったのかもしれない。
公園に一人の通行人が表れる。
マスクに、グレーのニット帽。
上下は黒い。
どこか怪しい。
横断するのかと思いきや、こちらに近づいてくるようにも見える。
怪しい。
距離が縮まると、やはりそうだった。
「お嬢ちゃん、どうしたの?」
「友達待ってる」
「へぇ・・・その友達とやらはいつくるんだい?」
「何であなたに言う必要があるの?」
「そんな邪険になるなよ。寒いだろ?どうだい。良かったら近くの店にでも」
「・・・・」
「ほら、行こう」
男は軽く肩を叩いた。
少女は背中を押されながら歩いた。
車があるとは一言もなかったのに、当たり前のように鍵を開けた。
「さあ乗って。助手席はご覧の通り汚れてるから後ろに」
車はワゴン車で、後部席はスライド式のドアだった。
ガラスは、フロント以外全面的にスモークが貼られ、外からは何も見えない。
見えてはいけないものでもあるというのか。
けれど中は存外、綺麗だ。
「どうしてその荷物をこっちに置かないの?」
「よく使うからさ、その方が取りやすくてね」
そういった助手席には、ゴルフバッグやボール、スケボーとスペースを取る遊具ばかり。
走行中、左手にガストが見えたが後ろに流れすぎる。
「・・・ねぇ、どこまで行くの?あたし直ぐに帰らないと殺される」
「殺される?」
「親よ」
「友達を待ってたんじゃないのか」
「あれはウソ」
「・・・殺されるなら何でついてきた?キミの親は、心配性か?」
「・・・・・心配性ではないわ」
「はは、何それ。大丈夫さ安心しな。その親には殺されはしない」
やがて車は辺鄙な地を走っていた。
土地は広く殺風景で、家並みすらない。
代わりに、あちらこちらに焼却炉が立っているときた。
そんな場所で、徐々にスピードが落ちてゆき、まさかと思った時に停止した。
フロントガラス越しに見えたのは少なからず店ではない。
車から降りてみると、それは明らかになった。しかし家というにも、何か乏しい。
そうだこれは、これはプレハブの小屋じゃないか。
「ねぇ、一体ここはどこ?」
「いいから入って」
扉の中は、闇。
だがかろうじて見えはする。中央から部屋の端、隅にかけ暗くなっている。500ルーメンが見せるのは机に置かれていたのは緑のランタン。
そして白い円形の机のみ。
「おい、いるか?」
男は言う。何がいるというのか。
暗闇といえど、この空間は虫の音だって聞こえるほど無音に等しい。
“コトン”
足音が聞こえた。それはまぎれもなく、足音。じっと静止してこちらが灯りに照らされるのを待っていたのだろうか。ゆっくりと浮かび上がる姿に、目を凝らした。
腰元、腹、胸、首、これだけで男だろう。だがこの時から血が退いた。彼は確かに人であったし、あるいは人であって人ではないような、想像された悍ましい姿というわけでもなかいのは分かっていた。
姿が露わになるほど、脳裏を浮かび上がるのは狂気。いや、“凶器”だったのだ。
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