第06話〈不可逆の時〉
革製の座席がギュギュッと太ももに摩擦する。
「はい、おつり」
男は瞬きもせずに少女を見眺めた。
「行かないの?」
男は片手に携帯を手にしていた。
既に何者かとの連絡が行われていたようだった。
「キミ、いくつだって?」
「18。あなたは?」
「24」
「嘘でしょ?もっと若く見える」
「嘘をついてオレが得するって言うのか?」
「・・・あの時も得があって嘘ついたわけじゃないよね」
「・・・・」
男はガタガタとギアを動かし、車を出した。
風景が徐々に変わってきた。
素朴な黄緑色が街で色付いた。
暫くすると【Z●⊥U<∩⌒{emj_ip_0857}∩】と記された看板が見えてきた。
AM9:04。国際空港。ターミナル内。
駐車場付近に差し掛かると、空車へと入っていった。
そして停車。
エンジンキーを挿しっぱなしにした状態で、男は車から降りた。
少女はそのまま座席にいたが、コンコンと窓を叩く音で降りる。
トランクを開けて、そこから銀のキャリーケースを取り出した。
中に物騒なモノでも入ってるんじゃないか。
無機質な銀は、まるで男のように見える。
硬派を装うが、中身は狂気を隠しているような、男のように。
ターミナルは随分と人で溢れかえっていた。
何か気付いた点といえば多人種が多いというところだ。
上空では飛行船が見える。
これから不法入国し、どこか知らない場所へと運ばれる。
今がその過渡なのだ。
隣の男は所謂運び屋だが、それ以上の具体的な事は分からない。
きっと〈色んなものを運ぶ人〉を総じて運び屋と呼ぶんだろう。
多かれ少なかれ、危険に携わっている。
昨夜の会話から何となく聞いて取れた。
〈第2ターミナル。3階出発ロビー〉
「ねぇ、お兄さん。あたしお巡りさんにはどうしても捕まりたくないの」
椅子にもたれた少女は言う。
「理由は?」
「家に戻るならいっそ殺された方がマシだから」
少女は視線を下げながら言う。
「へえ」
男はキャリーケースから手帳らしきものを2つ取り出した。
それを見ろ、と手渡す。
「?」
表紙に書かれた金文字を眺める。
ぱすぽーと。そう書かれている。
中身を開いてみると、案の定、およそ関わりのない人間のものである。
「何これ?」
「お前は今からその人間として歩くんだ。名前、生年月日、血液型、年齢。しっかり覚え込め」
「・・・・」
少女がパスポートを眺めているその間。
男はキャリーケースを引いて、目先のカウンターで手続きをしていた。
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・今だ。
後にも先にも。今しかない。
席を立ちあがって走り出した。
可及的足早に、死に物狂いで人より前に出る。
しきりに後ろを振り返るも
男どころか、自分と周囲との身長差でもう何も見えない。
それなら尚、好都合だ。
人の層で身を隠せる。
少女は歩きながら上着を脱いだ。
第2ターミナル。と書いてあったのを覚えていたが、引き返す入り口までは相当遠い。
しかしその道以外は知らぬ存ぜぬだし、何より焦りが走れと促す。 だが、走ることは可能ではない。
記憶を辿り人の密集をこころでは駆けながら縫って歩く。
目眩しの条件が揃っている。男はもう見当もつかないだろう。
やがて目先に出口が見えた。
はぁ。はぁ。
ざまあみろ。
はぁ。はは!
少女は肩を下ろし、スピードをさらに加速させた。
一刻も早く扉の向こうに出ようと、人混みを押し退ける。
外と館内の境が見えた。
あと一歩。そこを跨げば外。
前のめりに踏み出した。
・・・・その折。
身体が不可逆的に引き戻される。
ごった返す人混みと。
その中で起こる現象とで
目まぐるしい。
脳が冷えて思考回路が止まる。
汗が沸き立つ。
身体を残して心臓が逃亡している。
後ろを振り向くことを、何かが阻んでいた。
「どこへ行くつもりだ?」
その一言は騒々しい人混みの中で。
掻き消えるほどだったのに。
確かに自身へと掛けられたのが少女にはわかった。
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