悪夢をあげる
椿が連れられて来たのは、打ちっ放しのコンクリートの部屋だった。その部屋は椿の部屋よりも幾らか広いが、椿の部屋と同じく窓が無い。
それもその筈で、この部屋はポートマフィアアジトの地下に存在していた。
鴎外は黒服に部屋の外で待機するように言い渡し、部屋の中には椿と鴎外、そしてもう1人。
歪で不気味な人形を抱いた小さな男の子がいた。
「だァれ?」
ケタケタと無邪気な笑顔を浮かべるその子は、何処か恐ろしい。
「森サンのオトモダチ?」
「彼はQ。君と同じく精神操作の異能を持つ能力者だよ」
「……能力者?」
「? 僕と同じなの?」
椿はそこで初めて、自分以外に異能を持つ能力者を知った。
それも自分と同じ精神操作を持つ目の前の少年に、何処か親近感を抱く。…鴎外に手を握られていることが無ければ、椿はQに走り寄っていただろう。
其れはQも同じだったらしく、裸足特有のぺたぺたとした音をコンクリートの室内に響かせながら近付いてきた。
「へぇ〜そうなんだ。うふふ、ヨロシクね〜…おっとっと☆」
ぐらりとQの体が傾く。鴎外と椿が繋いだ手に向かって倒れ込んできたQに、鴎外はさっと手を離していなした。まるでQがそうすることを予見していたかのように。
椿は突然倒れ込んで来たQに避けるという選択肢は無く、そのままぶつかる事になった。咄嗟にQの体を支える。
「大丈夫…?」
「ダイジョウブ…? ……ふふ、うん!ダイジョウブ!やさしいんだねぇ、君。お名前は?」
「椿」
「ふ〜ん!じゃあ椿、」
「僕にとびっきりの狂気をみせてよ」
椿の肩に、手形が浮かび上がった。
バリバリと沢山の虫が羽化し卵を突き破るような音を立てて、人形の頭が裂ける。
「Q、」
「異能力『ドグラ・マグラ』」
人形の笑い声が響いたような気がした。
▽
ゆらり。影が見えた。
見覚えのある、影だった。
「椿」
「お、かあさ…ッ?!」
「…椿」
「かッは、おかあさん、や」
「あなたのせいで」
「ひ、」
「あなたのせいで、あなたのせいで、あの人も、わたしを愛してくれなかった、あなたのせいで、あの女も、如何してはやく殺さなかった、あなたがはやく殺していれば、異能を使っていれば、わたしはこんなに苦しまずに済んだのに……!!」
「やめ、て、おかあさん」
椿の目の前に現れたのは、死んだはずの母だった。その目は変わらず暗く濁った色をしていた。
唯一記憶の母と異なるのは口数が多いこと。母の口から出る言葉は、呪詛のように椿の心臓を締め付ける。
そして以前は抱かれることのなかった母の手は、椿の細い首を絞めていた。冷たい手をしていた。必死に気道を確保しようと母の腕に爪を立てる。立てたそこから血が流れ、母の手を染める。
如何してこんな事に。何度も頭の中で考えた。然し1年蓄えてきた知識はこんな時に限って応えてくれない。母は私を恨んでいたのだろうか?そんな素振りは記憶の中の母は見せなかった。然し椿は何時も思っていた。あの日から。
若しも私があの日よりもっと早く異能を使い、母と逃げていれば。
「あなたのせいで、あなたのせいで、あなたのせいで……」
「何をしているのですか?」
「殺されてしまいますよ。折角あの夜、逃げ出したというのに」
「それとも、死を望むのですか?」
視界の中に、母以外の影が覗き込んだ。
耳が拾う音を疑う。手の先から力が抜け体が硬直する。もとよりしづらい息が喉の奥で突っかかる。心臓が止まるような魔を宿した紫水晶。人を惑わす宝石。
朧気だった記憶が蘇る。フョードル・ドストエフスキー。そうだ、こんな顔をしていた。
「ぼくが手伝って差し上げましょうか」
ふふふとあの夜の記憶と変わらず不気味に弧を描く口。首を絞める母の手にその手を添えた。力は入らない。
フョードル・ドストエフスキーの手は、そのまま上へと向かっていった。
そして雨が私に振り返る。赤い雨。雨雲は母。その喉には、私が以前使っていた短剣が刺さっていた。
「あ、」
「良かったですね」
「その目で母の最期が見れました」
目を剥いた私の頬をぬるりと血塗れの手でフョードル・ドストエフスキーが撫でる。
叫びは声にならなかった。
▽
Qが異能を発動してから、椿はひとりでに床へ仰向けに倒れ、譫言のように「おかあさん」と繰り返していた。どのような悪夢を見ているか鴎外は察する。椿は今、父親のマフィアで唯一の支えとなっていた母の記憶を元に悪夢に見ているだろうと。
然し、ブツブツと繰り返していた譫言は突如ぴたりと止まった。締め切られているはずの室内に風が吹き荒れる。その中心にいるのは、未だ倒れている椿だ。
「……これは、困った事になったねぇ」