黒の片割れ
「まだだ。異能の進行を止めるんだ、意識を集中させろ」
「ッやってる…!」
あれから3日。異能は云う事を聞かなかった。箱庭は変わらず水のようにその範囲を広げては脳が痛みを訴え、気絶する事は少なくなったが椿は消耗していた。如何にかしようにも如何すればいいのかわからない。地面が続く限り箱庭は広がっていく。
(…地面、)
偶々。そう、偶々だ。
ふと天井を見る。
何処までも続く地面とは違い、天井はその範囲を部屋1つ分に限る。これは、行けるのではないか?と意識を地面から天井へと移すと、呆気ない程簡単に、箱庭はその範囲を部屋内に固定させた。
「………でき、た」
なんだ、なんて簡単だったんだ。
箱庭は進行を止め、部屋に留まっている。この感覚を掴めれば、何時かは意識を地面に移しても箱庭を留めることができるだろう。
「太宰」
「うふふ、よかったね。第一段階は合格だ」
「第一段階?」
「そ、第一段階。それじゃあ第二段階に入ろう」
パシりと腕を掴まれる。崩壊する箱庭。そして太宰の蹴りが、椿の腹にめり込んだ。
「?!」
「……何をやっているんだい?はやく異能を使い給え。敵は待ってはくれない」
「! ちぃッ!」
本気だ。
太宰から距離を取り、叫ぶように箱庭を呼んだ。頭上の天井で水が広がるようにその範囲を広げる。部屋の四隅まで広がると、箱庭は進行を止めた。太宰は箱庭圏内にすっぽりと収まる。これで操り人形も同然だ、とホログラムを見て椿はハッと息を呑んだ。
太宰が口角を上げる。太宰の『人間失格』は凡百異能を無効化すると共に、凡百異能から干渉されない。つまり、箱庭圏内にいたとしても、太宰は操る事が出来ない。
其れなら如何すれば良いか。答えは明白だった。
「…はぁッ!」
脚が地を蹴る。姿勢を低く保ち勢いそのままに、急所を的確に狙った鋭い拳が太宰の体に打ち込まれた。太宰は笑みを深くすると、腕をガードに椿の拳を受け止める。ジンとした痛みと痺れるような感覚が腕に広がった。
椿は幼少から異能を使わない事の方が多かった。それでもあの地獄のような場所で椿が生き、自身を守れていたのは、異能では無く、マフィアを潰すために培った体術だった。それは相手の急所を的確に狙い殺す、研ぎ澄まされた刃。小さな椿の容姿に油断すればその喉はいとも容易く掻き斬られる。
然し付け焼き刃の其れは太宰には効かない。暫く攻防を続けていると椿の拳や蹴りは凡て相手の急所のみ狙っている事に気づいた。単調過ぎる其れは、パターンさえ読めれば容易く躱すことが出来る。どんなに鋭い攻撃も当たらなければ意味が無いのだ。
太宰が態と急所を晒すと、椿は誘われるようにその場所へと飛び込んできた。
「真っ直ぐすぎるね」
「!」
予想通りに来た拳を太宰は掴み、勢いを受け流し椿の体を回転させ拘束する。暴れる椿の後ろでふぅと息を吐くと、パッと手を離した。
「はい、おしまい。今ので君は1度死んだ」
「む…」
どうやら悔しいらしい。息が上がっている椿を見て体力もないらしいな、と太宰は考えた。
第二段階はこうだ。異能を使えない、または異能と相性が悪い場合でも渡り合える戦闘スキルを身につけること。椿は事前にあらかた身につけてはいたが、それでも何処か危うい。諸刃の刃だ。
通常、能力者は異能を鍛える。然しその宿り主、つまり自分自身の体は普通の人間であるため暴力には基本的に弱い。それに比べ、椿の体は幼少の度重なる戦闘で幾らか丈夫だった。これを鍛えない術はない。
穴を埋めてやれば彼女は今以上に強力な能力者となり、ひいてはポートマフィアに大きな成果を上げるだろう。
「…何方かと云えば、私は戦闘員では無いのだけど」
「?」
寧ろ太宰は頭脳派だ。其れなら不本意だが、相棒の方が椿を鍛える事が出来る。真に不本意だが、其れが最適解だ。
太宰は徐に携帯を取り出した。
▽
パキリ、パキリと割れた窓ガラスを踏む音が無人の通路に木霊する。其れは何者かの来訪を告げていた。何処か荒々しいその足音は廃ビルの内部、椿と太宰のいる部屋に近づく。
椿は先程太宰が呼んだ人物だろう、と思いつつも警戒の色を強めた。
部屋にその人物が現れる。
「人を出前みてぇに呼び出すんじゃねぇクソ太宰」
「やあよく来たね中也。来る途中流れ弾にあたって死ねばよかったのに」
「縊り殺すぞ!!……で、其奴か?云っていた奴は」
「嗚呼………そうだよ」
太宰の言葉に誘導されるように、中也が視線を移す。椿を目にすると片眉をくいと上げてみせた。次いでハァと溜息を吐くと、ジトリと太宰を見据える。
「この弱っちそうなのを相手しろって?」
「うん」
「………どうなっても知らねえぞ」
たとえ死んでもな。そう云って中也は仕方なく椿に再び目を向ける。それは既に敵に向ける鋭いものとなっていた。ブルリと椿の背中を冷たいものが駆け抜ける。
太宰が一歩後ろに下がると、目の前にいた中也が消えた。否、消えたように見えた。咄嗟に腕をガードにすると叩き込まれた衝撃。軽く数メートル吹っ飛んだ椿は背中を酷く壁に打ち付けた。息が喉に引っかかる。遠くに太宰の声が聞こえた。
「立ち給え!敵を見失うぞ!!」
「!…ッげほ」
ふらりと立ち上がるも既に中也の姿を目視することはできない。
何処に、
「遅せぇよ」
耳元で低い声が響いた。
そしてまた打ち込まれる蹴り。ギリギリで攻撃を受けた腕から嫌な音がした。再び飛ぶ体。床に脚を踏ん張り、勢いを殺しているとザザザ、と凄まじい摩擦音がした。
今度は見失わないように中也へ目を向けたまま、トン、と脚が壁に着くと同時に地面を蹴る。鞭のように腕を振るい、中也の胴めがけて其れを振った。
その腕は中也に捕えられる。ハン、と目の前で中也が鼻で笑った。
「そんなもんかよ」
「……まだ、」
椿は中也に掴まれた腕を軸に脚を振り上げ体を回転させた。咄嗟に片腕で受け止めるが、其れは中也の頭を殴打する。今度は中也が吹っ飛ぶ番だった。
「ッハ!やるじゃねぇか!」
楽しくなってきやがった、と嬉々とした声をあげる中也に、椿は変なスイッチを入れてしまったかとゲンナリした。正直もう腕は折れている。使えるのは脚のみか、と目は中也に向けたまま思う。
「手前、名前は」
「? 椿」
「へぇ、俺は中原中也。太宰が連れてくるような奴だ、それも女。期待はしちゃいなかったが…」
チラと太宰を見る。その顔は変わらずニコリと笑みを浮かべていたが、中也の言葉に「まぁ私が見込んだのだからね。当然だよ」と手を上げて見せた。中也はフンと目線を椿に移す。
「……中々良い。俺に1発入れられたのは褒めてやる…だが、その腕だと今日はもう無理だな」
「!」
気付かれていた。
太宰は「あ、矢っ張り?」とキョトと目を開かせるとスタスタと椿に近付き、無意識に背に隠していた腕を取る。
「!!! いっっっ」
「痛い?うーんここら辺??」
「ーーー!!!やめ」
「うふふ、どうしようか」
「手前何やってんだよ!」
「あら中也、居たの?小さくて気付かなかった!」
「今ここで手前の胴を真っ二つにしてやろうか?!!」
やりかねない。それに対して太宰はいつもの調子でうふふと笑っている。
何なんだ…と思っていると、太宰の手がもう一つの手によって解放された。中也だ。
「……何?」
「何ってお前、骨折してんだぞ。太宰に触らせんな、酷くなるぞ」
「ええ〜心外だなぁ私は椿の何処ら辺が折れているのか確かめようと」
「痛がってる姿見て笑ってたの何処の何奴だよ!!」
「私?」
「………………ハァ」
疲れた、とでも云うように溜息を吐く。中也は振り回される質らしい。太宰に遊ばれている……可哀想に。
同情の目で椿が中也を見ているとそれを感じ取ったのか、中也は何見てんだ手前見世物じゃねぇぞ、と眼力を強くした。
「まぁこの腕じゃあどうしようも無いね。一旦アジトに帰ろう」
「治癒の能力者が出払って無ければ治して貰えんだろ。行くぞ」
「?? ?、」
そのまま両サイドを固められる。第二段階はここで打ち切りらしく、両肩をがっしりと掴まれた。
宇宙人連行のように脚をずりずり引き摺られ、3人の人影は廃ビルを後にしたのだった。