閑話 夢見る少年
「椿の狂気、とーっても詰まんなかった!だって君、森さんを襲えば面白かったのに、ずっと寝ながらおかあさんって云ってるだけなんだもん!」
「……」
「異能を暴走させたのはちょっと面白かったけど」
「…………………」
「? なぁに?」
「別に。じゃあね」
「えー!ちょっと待ってよう!ここ詰まらないの!もっとお話してよぉ」
確かにQの座敷牢には、窓はあるが本などはひとつも無かった。
椿が去ろうとすると必死に牢屋の柵を掴み背中に声を投げかける。以前悪夢を見せられたとはいえ、子どもの悲痛な叫びに椿の脚は自然と止まってしまった。渋々といった感じに椿はQのいる座敷牢の柵の前まで戻ってくる。目の前ではニッコリと、何処か鴎外や太宰に似た笑みを浮かべたQがいた。
「ねぇ、椿。“おかあさん”って、なに?」
「は、」
「僕、“おかあさん”知らない」
「…お母さんは、」
徐に問われた母について。どう答えれば良いのか、椿はわからなかった。
そもそも椿も、母についてはあの地獄の場所での母しか知らなかった。然しそれが世間一般の母の像とは云えないことは知っていた。会う時間も少なければ、他人を介して掛けられた言葉も、今思えば母のものか分からない。
“私は一般論しか言えないが、母親は普通、己の子どもが生きていて呉れればそれで幸せだよ”
ふと、太宰の言葉を思い出した。何となく背中にじんわりと熱が広がっていくような気がする。
覚えている母の欠片を拾い集めた。暗く、黒い瞳。抱擁すれば抱きしめ返してくれた手。椿をあの場所で待っていた母。
椿は柵に掛けられたQの手にそっと触れた。
「…お母さんは、貴方が生きることを願ってくれる人。熱を、与えてくれる人」
「…? 生きる?」
「そう。こうして、優しく撫でてくれる人」
柵の手を通り過ぎ、柵の中のQの頬にまで、椿は手を滑らせた。
Qの異能の発動条件を椿は知らなかった。彼は彼を傷つけた人間凡てに呪いをかけることが出来る。今、それをするかもしれないという緊張感の中、椿はこの母を知らない少年に、母を伝えようとした。
Qがぽつりぽつりと言葉をこぼす。
「こんな触られ方、はじめて」
「そう」
「あったかいんだね」
「そう」
「椿は、僕が生きることを願ってくれる?」
「……………」
「願ってくれないの…??」
また悲痛めいた声色に、椿は思わず「願うよ」と云ってしまった。するとQは今までの不気味な微笑みとは違う、頬をバラ色に染めて柔らかい笑みを浮かべたのだ。椿の手に擦り寄ると「あったかい」と呟く。
「椿は僕のおかあさんになってくれるの?」
「えっ…………………無理」
「どうして?生きていることを願ってくれて、このあったかいのもくれたよ?」
「血の繋がりが無い」
「? 血が必要なの…?今、剃刀も何も取られちゃったから無いや」
「そういうのではなくて」
「じゃあ、なに?それって必ず必要なの?」
「………………必ず、では無い、けど」
「じゃあ、いいじゃん」
そしてQは、再びうっとりとした顔をした。
剃刀というワードを聞いて椿は手を引っ込めたくなったが、Qにがっしりと掴まれてしまっている。振り切る事も何となくできないまま、暫くそうしていた。
「あのね、僕。久作って云うんだ」
「Qじゃなくて?」
「うん。呼んでよ椿」
「…久作」
風が座敷牢に舞い込んでくる。窓からかと思ったが、其れはこの空間の何処かに、風の通り道が出来た事で起こったものだと感じ取った。誰か来る。
「……真逆と思って来てみたが、君。何してるんだい」
“それ”に触れるなんて自殺行為だよ。お望みなら私と心中するかい?と、暗いそこから姿を現したのは太宰だった。見える口元は笑っている。然し声色は何処か、いつもの飄々さの薄れた冷気を含んでいた。
「…太宰」
「あれぇ、太宰さんだぁ!」
コツコツと歩みを進める太宰の長い脚は、そう時間も掛からず椿と久作の入れられる座敷牢に着く。久作は太宰が着く直前に、パッと椿の手を離した。
久作を見ると柔らかい笑みは消え、また何時もの不気味な微笑みを浮かべて太宰へ視線を向けている。
グイと腕が引っ張られ無理矢理立たされた椿は、そのまま太宰に引き摺られる形で座敷牢を後にした。
「もう彼処には近付かない方がいい。わかった?」
「………うん」
そうは云いつつ、また自分は彼処に足を運んでしまうのではないかと、椿は思うのだった。
そして2人はその通りに、近いうち椿が出向く事で再会する。
同じ異能を持つ能力者の奇妙な関係。母と子と云える程の歳も、血縁も椿と久作の間には無かったが、何か断ち切り難い絆が、確かに芽生えていた。
「とんだ人たらしだ。一体誰に似たんだろうねぇ」