閑話 人は見かけによらない
久しぶりに最上階の其の扉の前に来た。
黒服が下がる。椿は扉を開き、毛の長い絨毯に脚を沈み込ませながら歩みを進めた。その先には鴎外とエリス。
「やぁ、椿ちゃん。異能を制御できるようになったと聞いたがッッ?!」
ドスッという音を立てて椿は鴎外に熱烈な抱擁…というよりはタックルに近いそれを浴びせた。エリスが耳元できゃあきゃあと何か云っているような気がする。「椿ちゃん?」と何処か心配そうな色を含ませて鴎外が声をかけると、椿は力いっぱい締めていた腕を離した。ほ、と息をつく鴎外。力も強くなったと思うのは気の所為では無い。
気を取り直して顔を見合わせると椿の頭にぽんと手を置いた。
「ふふ、背が伸びたねぇ。其れに力も強くなったかい?私としては余り大きくならないで欲しいのだけれど」
「リンタロウキモチワルイ」
「…」
「? 椿ちゃん?」
「チェンジで」
「え?」
「太宰…あのスパルタ。ぜったい許さん…」
「太宰君と上手くいって無いのかい?」
「椿いじめられてるの?」
エリスと共にオロオロとする鴎外の姿は、子どもが学校に行きたくないと駄々をこねた時に対する親の其れである。
確かに椿の体には擦り傷が増えているし医務室の利用も頗る多いが、太宰の教育とは…と鴎外は顎に手を当てた。確か自分も太宰を教育した時はあったが真逆アレを椿にそのままやっているのだろうか。だとすれば椿のこの駄々は一周回って私の…とまで考えてやめた。そしてその考えを確と胸の内に仕舞い込む。
「太宰君も君の為を思っての事だろう。無意味な事はしないよ、彼は」
「……わかってる」
実際異能の制御も体術も見違えるようになっている。其れは紛れもなく太宰の教育の賜物だった。然し、だ。教育と共に遊ばれている気がするのも気の所為では無かった。
「…これなら中也の方がマシ……」
「中原君?」
「うん、」
「ほほ、中也か。見る目があるのう、お前さん」
「…? 誰」
「嗚呼。済まないねぇ紅葉君」
「良い良い。面白いものも見れたしのう」
艶やかに着物を纏った女性がそこには居た。頭の先から指の先まで品の有る振る舞いで、紅茶を飲む姿は凡ての女の鏡と云えよう。
「私は尾崎紅葉。中也とは、お主と首領のようなものじゃ。お主の話はよく聞いておるぞ、椿。会えて嬉しい」
「ヨロシク…?」
「ふふふ、愛いのう。此方に来て良く見せてお呉れ」
そろと鴎外に目配せをすると、鴎外は柔らかな笑みを浮かべて「彼女は先代の頃からポートマフィアに所属している。大丈夫だよ」と云った。其れを聞いた椿はおずおずと紅葉に近づく。
紅葉は嬉しそうに椿の頬を撫でた。
「絹のような娘じゃ。これは大きくなるのが楽しみだのう」
「私はそのままでいて欲しいけれどねぇ」
「ほほほ、其方の趣味は聞いておらぬわ」
ふにふにと椿の頬を紅葉の手が滑る。次いで腕の擦り傷を見ると、おなごが傷を付けるのは頂けないと顔を顰めるのだった。
椿はここに来て初めて比較的まともな人間に出会えたのではないか?と希望の眼差しを紅葉に浴びせた。矢張りこの紅葉に育てられた中也に教育を乗り換えてもらうことは出来ないものか。思考を巡らせていると紅葉はうっとりとした顔で口を開いた。
「本に愛いのう。然し其の服、解れてみっともない。首領?一寸椿を貸して呉れんか」
「おや、本当かい?いいよ」
「椿も、良いか?」
「うん」
その言葉が後の祭りになるとは、この時の椿は思ってもいなかった。
▽
「嗚呼、愛いのう愛いのう!さ、椿。此方を向いて給れ。そして次はこれを着てお呉れ」
「洋装ばかり着せていたけれど、和装も似合うねぇ椿ちゃん。盲点だったなぁ」
「………………………」
着せ替え人形。正しくその言葉が相応しかった。
紅葉に連れられるまま、成すがままに着物を着せられ帯を締められ、出来上がった其れを見て紅葉の何かを刺激してしまったらしい。其れを鴎外に見せてヒートアップした2人の勢いに、椿は身動きが取りづらい着物でげっそりとしていた。
真逆常識人だと思っていた紅葉が着せ替え癖があるとは。思わぬ落とし穴と人は見かけによらないという事を学んだ椿だった。
因みにエリスはいつの間にか消えていた。裏切られた気持ちだ。
長い髪は纏め上げられ、品の良い髪飾りと簪で留められていた。頭を振るたびにシャラシャラと耳元で髪飾りが鳴る。
着物は青、緑、橙、と先程から様々なものを着せられていたが、今は紅の美しい絢爛な着物を着せられ、これまた品の良い帯や小物と合わせられた。紅の着物が椿の白い肌をいっそう引き立てている。腕にあった傷は着物の下に隠され、比較的無傷だった首から上は紅葉によって化粧まで施されていた。本気すぎる。
黙っていれば紅葉に負けず劣らず、隣に立っても恥ずかしくない程だ。年も本来より大人びて見える。
「次はこれじゃ。然し帯の色で迷っていてのう…首領はどう思う?」
「おや、私かい?どれどれ…」
まだ続くらしい。いい加減着せられるたびに腹をぎゅっと締められ重みを足される事に軽く恐怖を覚えてきた。
2人が帯選びに夢中になっている内にそろりそろりと扉へ近づく。……気づいていない。今がチャンスだ。
「…ゴー」
音もなく扉を開けると、そのまま椿はそそくさ執務室から脱走した。
「……おや?ねぇ、紅葉君?」
「何じゃ。次はこの帯に合わせて小物を」
「嗚呼、うん……椿ちゃん逃げちゃったみたいだよ」
「!」